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僕のafter.311 《19》理事長更迭!被災直後の被災地の人材事情

6月にケンスケに呼ばれてから、僕はほぼ毎週末なんらかの方法で南相馬に入っていた。最初は「人材がいないんだ」「若い人がいないんだ」と聞かされていたのだが、毎週訪れているといろんな人に出会う。若い人ももちろんいる。僕よりも年下で復興支援活動を行っているグループもいた。そのメンバーは中学の後輩だったりしたんだけど。彼らのプロジェクトのサポートをすることもあった。なんだ、聞いてた話と違うじゃん、ちゃんと若くて頼りになりそうな奴らいるじゃんと思った。

そんなころ、NPO内部で問題が発生する。理事長の更迭騒動だ。このNPO法人は元々は理事長のミヤさんが震災前から町づくりに関わる活動がしたくてケンスケに相談していたのだという。大方準備も整ったときに震災が起こったため、迅速にNPO法人として登記して活動を始めたというわけだ。そんな発起人でもあるミヤさんの更迭騒ぎが起こったのは、実は今に始まったことではない。NPO法人となってからまだ数ヶ月なのに、だ。
ミヤさんは気弱で、周りの意見に流される、自分の意見は主張しない(意見があったのかどうかもわからない)、リーダーというには程遠い人物だ。それでも言い出しっぺの彼は理事長のポストに就いた。もし今が平時だったなら、そんな優しいリーダーでもNPOはうまく回っていたのかもしれない。けれども、今は非常事態。迅速な決断と行動が求められる。ミヤさんはとにかく失敗というか凡ミスが多かった。買い出しを頼まれれば、見当違いなものを買ってきた挙句領収書ももらってこない、提出が必要な書類を自分で抱えて締め切り過ぎて露見するなど、30代のいい大人が大丈夫か?と思えるようなものばかり。僕もまだミヤさんとは知り合って間もないし、こんな状態ではフォローしようがない。
しかもここ数日ミヤさんとは誰も連絡が取れなくなり、ついには音信不通に。噂では中通りの方に働きに行ったとか行かないとか。そんな状態になったので、理事会で更迭案が出されてしまったのだ。本人とも連絡取れないんじゃ致し方なし。副理事長がミヤさんのお兄さんと友人だったので、お兄さんを通して理事長退任に必要な書類を作成し、ミヤさんの念願だったNPO活動はわずか数ヶ月で終わりを迎えた。

地元に残っている人はいる。若い人もいる。でも、人材がいない。家族がいて働き盛りの若い世代の多くは市外に避難している。そりゃそうだ、放射能の影響が怖いもの。家族がいて、家族を県外に避難させて、それでも地元に残っている人もいる。そういう人は大抵公務員だったり、看護師だったり外れられない仕事を持っている人だ。新たに発生した『復興支援』といういわゆる何でも屋みたいな仕事を担えるのは、ちょうど仕事に就いていなくて、扶養家族がいなくて身軽に動けて、志を持っているという本当に稀有な人だけなのだ。当たり前のことを当たり前に遂行できる能力まで求めたらバチが当たる。そんなレベル。
本当に色んな地元の人と繋がった。能力はあっても他の仕事をしていてキャパはないか、もしくは志を持っていないか、もしくは暇を持て余しているけれど能力が不足しているか。
ケンスケが「人材がいないんだ」と言っていた本当の意味を僕は知った。

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