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いのち短し選べよ己

 心底どうでも良くなった。誰の基準なのかも分からない美醜を気にかけることが。今私は病気で働くことすらできずに落ち込むことが。流行についていくことが。独身で彼氏もいないことが。「ありのままの自分を受け入れる」ことは諦めとは違う。自分で選び取って納得しなければ、ありのままなど受け入れられない。「諦め」はありのままの自分を受け入れる上での選択肢のひとつに過ぎない。ありのままの自分を受け入れるためには、強固な意志と苛烈な選択と納得の作業が必要なのだと思い至った。私は今日、映画PERFECT DAYSを観終わった後、そういうことを考えていた。

 役所広司さん演じる主人公の平山さんは、まさしく自分の人生を自分で選び取って、納得して生きている人だと思っている。東京スカイツリーのお膝元、押上の古いアパートの一室に独りで暮らしている平山さん。平山さんのお部屋は理路整然としていて綺麗だ。物の住所が決まっている。この光景が目に入った時点で、ああ、この人はこの生活を誇りに思って守っているんだ、とわかった。ルーティンとも言えるような暮らしの中で、平山さんは諦めてこの暮らしをしているわけではないという立証をしていったように私は受け取った。平山さんは他者と馴れ合わない。でも他者を排除したりしない。そして孤独ではない。平山さんは誰かと生きることよりも「平山さん」自分自身のために生きることが最優先なのかもしれない。そこに一本筋が通っている。私が定期的に通っている病院でこう言われたことがある。「生活の中に少しのことで良いからルーティンを作ってみてください。今は黙っていても絶え間なく膨大な情報が流れ込んできたり、他者の視線が気になったりと外的な刺激が多いです。それに、一度外に出てしまえば、自分じゃどうしようもないことの連続です。ルーティンを作るというのは、自分自身の不可侵領域を作るということです。いくら外から刺激されても、思い通りにならなくても、1日の中に自分で決めて、自分で確立したルーティンがあれば、それを辿る作業をすることが自分を大切にし、守る意味を持つことになるはずです。」と。平山さんは、自分の暮らしという不可侵領域を守っているからこそ、他者との関係も柔軟なのかもしれない。劇中、私のこの仮説を逆説的に立証している1日がある。是非ご覧いただきたい。

 私は平山さんの生活が羨ましいというよりは、その筋の通った生き方が眩しかった。きっと、映画に出てきたあの子も、そしてあの子もそう思ったのではないだろうか。この世の中に「生きづらい人」は居ても「生きやすい人」なんて居ないのでは?と私は疑っている。みんな、「生きやすいように工夫して生きている」のだと思っている。その工夫をのぞかせてもらっているような気がするから、私はエッセイやドキュメンタリーが好きなのかもしれない。この映画は真にエッセイのような映画だった。

 自己決定が幸福度に影響するというのは有名な説かもしれない。物質的な豊かさは勿論幸福に繋がるだろう。でも、それよりも心が満たされるのは自分の生き方を自分で納得して選択できた時だと私も思う。「選択」は時に贅沢品に分類されてしまうかもしれない。選択できない環境だってある。だからこそ、平山さんに憧れるのかもしれない。しかし、誰しも自分の人生の最終決定権は自分にあるはずだ。このことを綺麗事で終わらせる人生に私はしたくないと抗っていたはずなのに。私は今、就労できないことによる金銭的不安や、社会通念上の幸せの形に惑わされて、そのことを失念していた。今からでも遅くないはず。私は私の選び取った「完璧な日」を積み重ねていく。そのために今日はこの後、寝落ちするまで本を読むことにする。

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