見出し画像

人生はアフォガード〜毎日泣いていた新入社員の自分へ〜

会社に入りたての頃、ほぼ毎日泣いていた。
トイレで一人こもって、会議中に突然、先輩との面談のときに…
今思い出しても、なぜあそこまで涙が出たのか不思議だ。
たぶん、自分が思い描いていた自分の「こうあるべき」「こうありたい」姿との落差についていけなかったのだと思う。

大学生くらいまで、「求められたこと」や「やりたいこと」はある程度できた。体育は苦手だったけれど、諦めていた。友達にも「運動音痴」といじられ、「私に運動を期待するのは野暮」という認識すり合わせができていた。

就活もそこまで苦労しなかった。「自分がしたいこと」「相手が自分に期待したいこと」の中間地点を考えてプレゼンするのは好きだった。

しかし、メガベンチャーに入社した私は、人生で最初の挫折をした。入社後間もなくはじまったのは営業研修だった。取引がない企業に電話でアポイントをとり、商品を売るのが目標だった。「お世話になっております。◯◯会社の△△です、■■社長、いらっしゃいますか?」という、「一刻も早く切ろう」と思う電話。あれをかけていた。

アポは取れない。そして、「仕事は人の役に立つもの」と思って入ったのに、他人の貴重な業務時間を奪う邪魔者になってしまった。「思っていたのと違う?」この問いをずっと考えていた。考えれば考えるほど泣けてきた。

私の心をさらに疲弊させたのは、周りの同期がアポをとっていくことだった。「どうして私にできなくて、彼にはできるのだろう?」そこまで違うことはしていないし、私は優秀なはずなのに。「私に向いている仕事は何?」この問いもずっと考えて、考えれば考えるほど泣けてきた。

どの問いを考えても、心の鬼教官が「甘えてんじゃねえ」「自分ができないだけだろ」と叱咤し続けるからだ。結局私は「過去の栄光を捨てられない自分」と「正論しか言わない鬼教官」を両方飼ったまま、なんとかこの研修を乗り越えた。

うーーん、今書いていても、この研修が必要だったのかは分からないし、しんどいな、と思う。意義や意味は理解できるし、最終的に商品が売れたときは嬉しかったが、このようなプロセスで行う必要はあったのだろうか……。

一つだけ、私がこのとき手に入れたものは「人生こんな感じかも」という実感だ。
お金を払って教育を受けていた立場から、自分がお金を貰う側になるという転換はしんどい。学生時代にある程度成功してきた人ならますますしんどいと思う。挫折になれていないから。

人生はうまくいかず、”苦い”ときが多い。でも、ときどき”幸せな甘さ”にも出会う。仕事をしていて大好きなお客様や仲良しの上司ができ、チームでいい仕事ができたとき。みんなで大人なのにハイタッチをして帰ったとき。一つ一つの幸せな思い出が、明日も生きる力になっている。

女優の杏さんがこんなことを言っていた。「泣くほど辛い演技をするときは、その役の幸せな時を思い出すんです。そして、幸せな演技をするときは、その役の本当にしんどかった時を思い出す。そうすると心の底からの感情が出るんです。」この言葉がすごく心に残っている。

私にとって人生は「アフォガード」のようだ。コーヒーを甘いバニラアイスにかけたデザート。コーヒーの苦さの先にしか、甘いアイスはない。
甘いアイスを過ぎると、コーヒーの苦みがくる。それがぐちゃぐちゃに混ざり合い、波のように交互に押し寄せながら、それでも食べ進めていく。総じて「おいしいはずだ」と信じるしかない。

noteをはじめたのは、この人生のアフォガードな感じを自分がどう生き延びてきたのか、そのときに感じた幸せやそのときに得た知恵を残しておきたいと思ったから。

アフォガードはイタリア語で「溺れる」という意味らしい。日常に溺れがちで、悩んでしまう私の知恵が、誰かの小さな光となりますように。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?