生きのびるために

自分自身で経験することはできないが、見ておくべき世界がある。知らなくても生活に支障はないが、知っておきたい現実がある。そう考えさせられるような作品だ。

デボラ・エリス著『生きのびるために』はタリバン政権下のアフガニスタンのカブールを舞台に、人々の暮らしを描いている。著者が難民キャンプで取材したアフガン女性の話に基づいているそうだ。本を読み進めていくごとにいくつもの出来事が、言葉が、心に突き刺さる。

家が爆撃を受けるたび、一家は多くのものを失い、爆撃ごとに貧しくなった。

主人公のパヴァーナは6人家族だ。父親と母親、姉のヌーリア、妹のマリアム、弟のアリ。両親はともに大学を卒業していて、収入も多かった。大きな家をもち、使用人もいて、子どもたちも各々の部屋があった。しかし、その家は爆弾で破壊された。以後、住居を転々とし、そのたびに持ち物は減り、家は小さくなっていった。

「爆弾にやられなかったものは、強盗にやられた。でも、おかげで引っこしは楽になったわね。」とパヴァーナ家族の知り合いのウィーラ夫人も言っている。爆撃で家が壊れ、それから逃れるために引っ越す。壊れた家から金目のものを強盗が取る。そうしてなんとか生きているのだ。

普通の人たちが普通じゃないことをしなくちゃならない。ただ生きていくだけのためにね。

生きていくためには食べ物が必要だ。そして食べ物を手に入れるためにはお金が必要だ。たくさんお金を稼ぐために、普通ではないこともやらなくてはならない。

父親がタリバン兵に連れ去られて以来、パヴァーナは男の子に変装して市場でものを売ったり、手紙の読み書きをしたりしてお金を稼ぐがそれでもギリギリの生活だ。ある日パヴァーナは、自分と同じように市場で働く友人ショーツィアに出会う。二人はお金がたくさん稼げるある仕事を耳にする。墓場での骨拾いだ。墓場を掘り返して骨を集め、それを仲買人が買い取って別の人に売る。普通の人ならやりたがらないし、そもそも墓場を掘り返すなんてありえない。だが、儲けられる仕事ならやるしかないのだ。

かれらにも悲しみの感情はあるのだろうか?

パヴァーナの父親を理不尽に逮捕したり、女や子どもを殴ったり、パヴァーナの目にうつるタリバン兵は乱暴で恐ろしい。見せしめとしてわざわざ競技場で残酷な処刑をし、そのときに切り落とした手首を笑いながら群衆に見せびらかしたりする、人間の心もないような人たちだ。

だが、一人のタリバン兵に会ったことで、パヴァーナは彼らのことがよくわからなくなる。彼は乱暴な口調で話しかけてきたが、パヴァーナに手紙を読んでもらうと目に涙を浮かべていた。亡くなった妻の遺品の中にあった手紙らしい。カブールの人々を苦しめているタリバン兵も家族があり、そしてその家族の死を悼んで悲しみ、泣く。戦闘が続いているという普通でない状況だからこそ普通の人間とは思えない行動をしているが、兵士という肩書をなくしてしまえば、彼らもパヴァーナと同じ人間なのだ。

カブールには、花より地雷のほうが多い

戦闘続きで荒廃したカブール。少し離れたところに行けば地雷原がある。爆撃で壊された建物の中に地雷が埋められていることもある。パヴァーナの亡き兄ホセインも地雷で吹き飛ばされた。墓地で骨を拾う作業の途中で少し離れた手洗いに行くときも、パヴァーナとショーツィアは用心しなくてはならなかった。

「もともとアフガン人は、美しいものを愛する民族だ。」
パヴァーナが市場で花を植えようとしたときに手伝ってくれた老人はいう。しかし、地雷だらけで荒れ果てたカブールで長く過ごしていると小さな花の美しささえ忘れてしまう。醜いものばかり見ていると何かを美しいと感じる心までも失ってしまう。それが人間の心なのだ。

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ひとつひとつの言葉が重くのしかかる作品。Netflixでもカートゥーン・サルーン制作のアニメーション映画が配信されているのでそちらも観たい。

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