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思考とは右往左往することと見つけたり


記事を書き溜めていると、書いているうちに認識が変わることがある。それをキッカケに書き溜めていた記事を書き直そうとすると、さらなる認識の変化や言い回しが生まれて、いつまでたっても公開できない事態になる。

この内情を語らずに記事を更新していければいいが、言い訳がしたい僕にはそれができない。恥ずかしながら自己弁護したい欲がある。

毎日が発見と混乱の連続だ。

ミステリードラマの主人公の周辺の刑事さんのように、新しい情報に出会うと全くの認識違いに驚き「じゃあ、どういうことなんだ?」とか「ということはつまりこういうことか?」と右往左往する。

良くないと思う! と思ったことも、事情を深く知っていくと、良くないけど、でも、そうなってしまうのは仕方がないことかもしれない。なんてことも思う。

芯がないとか、筋が通ってないと自分でも思うけれど、新情報によって評価が変わるのは仕方がないのではないかと天の邪鬼なことを思ったりする。

1+1=2 という計算式に新情報が入れば、1+1+2=4 になって当然だからだ。これを答えありきで答えは「2」でなければならない。なんてことを考えると、「+2」を無視したりすることになる。

本当に「+2」していいのか? という評価も必要だ。嘘の情報によって事実誤認をしてしまうのも良くないからだ。しかし、嘘も真実も含めて新情報は計算式に入れて、解を導きながら、その解や計算式がそもそも合っているのかを疑わなければいけないのではないかと思ったりする。

つい最近まで見ていたドラマ「イチケイのカラス」も、そういう視点に立った思考が発揮されているような気がした。
1+1=2 かどうかを検算するだけでいいなら間違っていないけれど、本当の本当に 1+1 なのか「=2」 でありきで計算式が提示されてはしないか。
信じるに足る・疑うに足る情報がおおよそ過不足なく出揃っているのか。そんなことを頭の隅に置きながら状況に向き合って認識と判断の階段を登っていかないといけないのではないか。

面倒くさくても、じれったくても、納得できなくても、ちゃんと、おおよそ過不足のない状態を求めようとする姿勢を手放さずにいられるのか。

そんなことを考えた。

テニスの大坂選手の敗者インタビューに対する発言を受けて、会見することも大事だという意見や、インタビュワーの姿勢や「いまはちょっと言葉にできない」と言って立ち去るだけでもしたほうがいいのではないかという、様々な意見を見かけた。
気持ちや語気、感情の強い意見をみかけたりもしたが、直後、うつ病の告白によって、アスリートのメンタルケアについての取り組みなどに話は広がりつつ、強い口調だった方の中にも、事情があるなら仕方のない部分はあると仰る方もいた。そこに、風見鶏的な揶揄を向ける人がいることも含めて、たくさんの意見と価値観が存在するのは、意見や価値観を理由にとる言動が不適切なものではない限りは問題ないと思っているし、新しい情報によって認識や評価が変わることにはなんの違和感もない。

某CMみたいに「はやく言ってよぉ」って思うひともいたかもしれない。けれど、順を追ってラリーすることでアスリートのメンタルケアについての話ができるような空気をもたらせたことは、ある種のメリットのようなことかもしれないし、議論の矢面に立つ大坂選手への風当たりが強くなることをデメリットだと評価できるような気もする。

自分の意見をあらわすとき「断言」したほうがいいことはあるが、認識するときは「断定」を避けたほうがいいのかもしれない。
僕自身はどんなスタイルで認識し、どんなスタイルで発言しようか。もちろん炎上はしたくないし、どっちつかずで芯のない風見鶏だなぁとお叱りを受けたくもないが、頑なでいたくもない。すべての分野でバランスの取れた意見は説得力がないような気もする。悩ましい事この上ない。

断言しないこと、認識に余白をもつことを断言すればいいのか?
なんてナゾナゾみたいなことを考える。

奥歯煮物が詰まったような物言いをしていくのも良いかもしれない。
読んでてもきっとおもしろくはないけど。苦笑。

ああ、でも、情報を常に食べるってことはいつもモグモグ咀嚼してのみこんで、消化もするし身にもするけど余分なものは排出し、毎日歯磨きするように情報を取り入れるクチも綺麗にしなきゃならないってことですかね。

てことはつまり…情報の摂取・咀嚼・消化・排泄・歯磨き・栄養管理、スナック菓子の食べすぎ注意。話半分くらいに聞いて盲信しない。くらいのいろんな注意点があるってことなのかもしれませんね。

やっぱ、断言しないほうが良いような気がしてきたぞ…。
あー、でも、この先の記事がますます歯切れの悪いものになってしまうな。でも今よりつまらなくなるだけのことだからいっか(ぇ

ああでもない、こうでもないと迷って思考停止するより、あれのいいとこ、これのいいとこをどうにか取り入れて、あれのだめなとこ、これのだめなとこを、どうにか減らしていきたいと欲張って右往左往していくほうが、なんだか悩み甲斐、戸惑い甲斐、右往左往甲斐があるような気がしてきました。

よーし、これからも右往左往するぞー! おー!


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