Nori

さあ自分を生きよう。 19歳 I/ENTP 2021.08.29- 双極性障…

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さあ自分を生きよう。 19歳 I/ENTP 2021.08.29- 双極性障害Ⅱ型診断あり :躁の時、病気否定するのでnote更新してません。(鬱日記ばかり溜まる…)

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    鬱日記。 病み続けて10余年———。 いつか、この霧と泥が拭われることを信じて書き続けることとしたものの集積物。 高2-

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記事一覧

頭が痛い身体中が痛い。座っていられない。好きな読書や書くことすらできない。生き地獄
何が辛いってこれが8年間無限ループしてることだ。人生に一時停止ボタンなどない。無限地獄。早く死にたい。

Nori
9時間前
2

ダメだもう何一つ頭に入ってこない
甘えとかじゃないまじで何もだめだ
授業どころではない
早く死にたい
なんの罰なんだろう生き地獄だ

Nori
1日前
3

やばい!エビリファイやばい!ニヤニヤが止まらない!!合ってるかも!!すごい!!やばいダンスしたい😆😆😆

Nori
2日前
1

抗不安薬断薬したけど、受験できないよりは良いので再び精神科を受診しました。違う病院で違う薬物治療したらなんとか今年耐えられるかもしれない。どうにか私は東大に合格するんだ。
余談:血液採取をしたら気絶して、記憶ないけど低血圧で死にそうになってたらしい笑笑
看護師さんが優しくて涙。

Nori
3日前
3

治るなら抗不安薬飲みたい
せっかく断薬したけど、離脱症状えぐかったけど、飲み続けて身体壊すかもしれないけど、、、それでも鬱がましになるなら
でも親に残ってた薬を取られてしまった。
マジで死にたい
本当にこの躁鬱の無限ループから私を離脱させてくれるのは死しかない
生き地獄すぎる

Nori
3日前
1

躁鬱なんだけど、これに言い訳したく無い。鬱のままやる。鬱のまま動く。鬱でも休んだら自分のためにならない。自分の本望じゃない。諦めないでくれーーーー
頭動かなくても体調悪くても負けるな
躁鬱でも夢叶えたいよ
自分の人生を諦めたくないよ

Nori
3日前
1

躁鬱8年の暫定的見解

【躁鬱歴8年での暫定的結論】 ①躁鬱は治らないので受け入れるしかない →その永遠の繰り返しに絶望、躁鬱の激落に絶望(だいたい二週間周期) ②鬱転はわかるが躁転は自…

Nori
5日前
11

人に相談しようとも
薬物治療しても
自傷行為をしても
現実逃避をしても
何も私の鬱を解決しない
自分で自力で立ち向かうしかない

あまりにも辛すぎる
あまりにもどうしようもない
あまりにも辛い動けない
でも誰もこれをどうにもできない
死にたい死にたい死しかない殺してくれ

Nori
7日前
1

私は愛され必要とされたい なんらかの努力なしに愛されることを知らないからなんでもできる なんでもするから愛してほしい でもこれは無償の愛どころか愛かどうかも怪しい …

Nori
7日前
3

人生が楽しくない、そもそも楽しいってなんだよ

人生が楽しくない。 そもそも楽しいという感情が一体どういう時にまき送ってくるのかを私は忘れてしまっている。 時たまに感じる知的興奮(noteを書いたり、それを読まれた…

Nori
8日前
12

鬱を治す方法(強め)

なぜ鬱は再発するか 鬱を治すには本当に治す覚悟がいる。 現状鬱であるという状態を「治す」ということは、「性格を変える」ということとほぼ等しいです。性格を変えると…

Nori
1か月前
15

強く生きるために:覚悟と甦生

やはり、受験期に深淵を覗いてはいけないと強く思うのですが、どうしても覗いてしまう。無垢な友人のその無垢な瞳に映る私の絶え間ない孤独が、深淵となって見つめ返してく…

Nori
2か月前
10

【鬱日記】毒親育ち

近況 鬱になってしまった… 4、5、6月上旬まではすごい元気に勉強をしていて、自習室に最初に行き、1番最後に出るという毎日で、隙間時間も欠かさず勉強できていた。(予備…

Nori
3か月前
8

【SSRI断薬の経過報告】
2月15日医師の判断なしでレクサプロ10mgを断薬開始。
・ひどい眩暈(ぐらぐら、ふらふら)
意識がヒュッと身体から2秒抜けるのを反復。頭を動かすと感じる。
・吐き気
・耳鳴り(雪を踏むシャリという音)
・身体の抜け殻感
・世界が眩しい
・瞼が下がる

Nori
7か月前
1

人生が無意味・無駄と感じているひとへ

全て無意味に感じる。それは鬱症状のなかでも中枢に位置する大変迷惑な存在で、生の否定として現れ、無気力を浴びせてくる。ただ布団に安住する。 今回は、<なぜ私が人生…

Nori
7か月前
11

鬱のコペルニクス的転回について

 前回の稚拙なnote記事に、ありがたいことにコメントをいただき、鼓舞していただきました。現在、この記事を書く力をくださったのは、お読みいただいた方々のお陰です。あ…

Nori
7か月前
14

頭が痛い身体中が痛い。座っていられない。好きな読書や書くことすらできない。生き地獄 何が辛いってこれが8年間無限ループしてることだ。人生に一時停止ボタンなどない。無限地獄。早く死にたい。

ダメだもう何一つ頭に入ってこない 甘えとかじゃないまじで何もだめだ 授業どころではない 早く死にたい なんの罰なんだろう生き地獄だ

やばい!エビリファイやばい!ニヤニヤが止まらない!!合ってるかも!!すごい!!やばいダンスしたい😆😆😆

抗不安薬断薬したけど、受験できないよりは良いので再び精神科を受診しました。違う病院で違う薬物治療したらなんとか今年耐えられるかもしれない。どうにか私は東大に合格するんだ。 余談:血液採取をしたら気絶して、記憶ないけど低血圧で死にそうになってたらしい笑笑 看護師さんが優しくて涙。

治るなら抗不安薬飲みたい せっかく断薬したけど、離脱症状えぐかったけど、飲み続けて身体壊すかもしれないけど、、、それでも鬱がましになるなら でも親に残ってた薬を取られてしまった。 マジで死にたい 本当にこの躁鬱の無限ループから私を離脱させてくれるのは死しかない 生き地獄すぎる

躁鬱なんだけど、これに言い訳したく無い。鬱のままやる。鬱のまま動く。鬱でも休んだら自分のためにならない。自分の本望じゃない。諦めないでくれーーーー 頭動かなくても体調悪くても負けるな 躁鬱でも夢叶えたいよ 自分の人生を諦めたくないよ

躁鬱8年の暫定的見解

【躁鬱歴8年での暫定的結論】 ①躁鬱は治らないので受け入れるしかない →その永遠の繰り返しに絶望、躁鬱の激落に絶望(だいたい二週間周期) ②鬱転はわかるが躁転は自分ではわからない ③鬱の私と躁の私とは相互理解ができないので、もう一方の状態を責めがち。 狙い目は 鬱転しそうな時の自分にどうアプローチして、下がりすぎないようにするか。鬱になったら10日は無駄にするので如何にその日数を減らすか。 (個人的には躁状態の方が楽。2型なので) 躁状態の方が、社会的生活ができる。むし

人に相談しようとも 薬物治療しても 自傷行為をしても 現実逃避をしても 何も私の鬱を解決しない 自分で自力で立ち向かうしかない あまりにも辛すぎる あまりにもどうしようもない あまりにも辛い動けない でも誰もこれをどうにもできない 死にたい死にたい死しかない殺してくれ

私は愛され必要とされたい なんらかの努力なしに愛されることを知らないからなんでもできる なんでもするから愛してほしい でもこれは無償の愛どころか愛かどうかも怪しい なんの支えもないまま生きていけない 自立できるほど抱えたものは小さくない こんな腐った世界では誰かを愛し誰かに愛されないと生きていけない 枯渇 この世が終わるぐらい死んでもいいぐらい愛し愛されたい 三島の『憂国』のような愛には心酔する。 現代のマッチングアプリに見られるような肉欲的愛には到底近づけないような愛

人生が楽しくない、そもそも楽しいってなんだよ

人生が楽しくない。 そもそも楽しいという感情が一体どういう時にまき送ってくるのかを私は忘れてしまっている。 時たまに感じる知的興奮(noteを書いたり、それを読まれたり、友人と「魂の会話」で内省的分析を行うこと)の他に、何をしたら自分が楽しいのかがわからない。 この世の中は、特に私、z世代は「完成したロードマップを自分の大きさやスペックがわかった状態で生きていく」という環境に感じる。これから大きな開発が行われるわけでもなく、完成したものを失う恐怖によってのみ突き動かされている

鬱を治す方法(強め)

なぜ鬱は再発するか 鬱を治すには本当に治す覚悟がいる。 現状鬱であるという状態を「治す」ということは、「性格を変える」ということとほぼ等しいです。性格を変えるということは、今の自分がやっている「行動を全て変える」ということです。 今までの行動を非鬱人のものに変えるということは現状の「コンフォートゾーン」から脱却するということで、辛いに決まっています。 逆説的だが、鬱があまりにも自分の中に食い込み、鬱状態が私を決定づけてしまっているので、鬱を治すということが一旦は自己否定の形

強く生きるために:覚悟と甦生

やはり、受験期に深淵を覗いてはいけないと強く思うのですが、どうしても覗いてしまう。無垢な友人のその無垢な瞳に映る私の絶え間ない孤独が、深淵となって見つめ返してくる。無垢な笑顔の照り返しに苦しみを覚える。 しかし、わたしは生きている、幸せになるために生きているはずだ。 わたしは深淵のなかに再び潜り込んだ。どうにか、幸せになれないかと。 覚悟を決めるという救い わたしは今まで、自分自身を「毒親育ちの双極性障害で、かつ発達障害持ちで社会不適合者だ」と定義づけてきました。 わたし

【鬱日記】毒親育ち

近況 鬱になってしまった… 4、5、6月上旬まではすごい元気に勉強をしていて、自習室に最初に行き、1番最後に出るという毎日で、隙間時間も欠かさず勉強できていた。(予備校代は親からの前借り) 途中途中でパンチを喰らう場面もあったが、2、3日後には認識の立て直しを行い、元気に生きられていた。(途中、5/25にシスター鈴木秀子の講演会にも参加) (←躁なのではという指摘があったが、全く自分としてはそんなふうに思っていなかったが、あとからツイートを見返すと確かに………) 6/9共

【SSRI断薬の経過報告】 2月15日医師の判断なしでレクサプロ10mgを断薬開始。 ・ひどい眩暈(ぐらぐら、ふらふら) 意識がヒュッと身体から2秒抜けるのを反復。頭を動かすと感じる。 ・吐き気 ・耳鳴り(雪を踏むシャリという音) ・身体の抜け殻感 ・世界が眩しい ・瞼が下がる

固定された記事

人生が無意味・無駄と感じているひとへ

全て無意味に感じる。それは鬱症状のなかでも中枢に位置する大変迷惑な存在で、生の否定として現れ、無気力を浴びせてくる。ただ布団に安住する。 今回は、<なぜ私が人生無意味と感じるに至ったか>を再度検証することで、「人生は有意義である」という確かな論理を考えてみる。 これは前回の記事「鬱のコペルニクス的転回について」の”前提の吟味”の考えから発生した。 人生、常に動機の吟味を忘れてはならない。最初の一歩に結果まで詰まっているといっても過言ではない。 話は逸れるが、稲盛和夫氏は第

鬱のコペルニクス的転回について

 前回の稚拙なnote記事に、ありがたいことにコメントをいただき、鼓舞していただきました。現在、この記事を書く力をくださったのは、お読みいただいた方々のお陰です。ありがとうございます。 今回は10年来の鬱歴の中でも割と大きなコペルニクス的転回が訪れたと感じているので、それを記したいと思います。 今まで今までは、うつ病になる原因は「ストレス、環境、幼児体験、トラウマ、脳の機能障害、ホルモンバランスの乱れ」であると考えていました。そして「抑うつが2週間以上続いて、日常生活に支