強く生きるために:覚悟と甦生
やはり、受験期に深淵を覗いてはいけないと強く思うのですが、どうしても覗いてしまう。無垢な友人のその無垢な瞳に映る私の絶え間ない孤独が、深淵となって見つめ返してくる。無垢な笑顔の照り返しに苦しみを覚える。
しかし、わたしは生きている、幸せになるために生きているはずだ。
わたしは深淵のなかに再び潜り込んだ。どうにか、幸せになれないかと。
覚悟を決めるという救い
わたしは今まで、自分自身を「毒親育ちの双極性障害で、かつ発達障害持ちで社会不適合者だ」と定義づけてきました。
わたしの過去を論えば、客観的に見ても不幸なことばかりです。
でもやはり、そうなってしまった原因は全て自分の中にあるとする。
全ての責任を自分に能動的に引き受けることが、生まれ変わる、新しい自分になるということに一番必要なことと考えるようになりました。
つまり「覚悟」をする、腹をくくるということ。
カナダの精神科医 エリック・バーンは
You cannot change others or the past.
You can change yourself and the future.
と述べています。
他人と過去は変えられないが、自分自身と未来は変えられる。
自分を、ダメな自分だと定義づけて生きることほど自分の人生を蔑ろにする行為はないのではないか。
折角生まれてきたのに、自分自身で自分を不幸だと定義づけ、実際にそうなっていることほど愚かなことはないのではないか。
過去のトラウマを引きずって(自分で能動的に引きずっているわけではないのですが、)それに自分の人生の基盤を置くのをやめる。
過去がこうだったから、今の自分がこうで、だから未来はこうだろうと予め決定することをやめる。
フラッシュバックしても、それは自分自身を成長させるための出来事であったと覚悟を決める。
これらが、現世利益的にプラスに働かなくとも、他人からその苦渋が認められなくとも、私は、私のその努力を知っていると、自分に対しての誇りのみを思う。他者を下げるでもない自分を下げるでもない、相対的な価値のなかに自分を置かない。
毒親育ちにとって、自分が毒親で育ったと言うことを許し、前を向くのは筆舌に尽くし難い行為です。おそらく、毒親育ちのみ理解していただけると思います。
親に愛されて育った人とのどうしても分かり合えない溝、ギャップ。親と呼べる、精神的愛着の形成ができなかった宙ぶらりんの人間のとてつもない生きづらさ。慢性的に生きることに対しての熱量の枯渇。潜在的な生きていることへの罪悪感。
(※一つ前の記事「毒親育ち」参照)
しかし、もう私は、社会からのその理解を求めない。
同じ土俵で評価されることを恐れない。
私は、今日から、そう生きることをここで決心します。
ここに「自律」「孤高」が求められているように感じる。
自分で自分自身の親となる。自分の力で自分の責任をとって生きていく。
自分自身を諦めていたら、なんだか、運命の思う壺というか、そこで諦めて妥協して死んでいく自分はやはりダサいと思う。
自分自身で自分の限界を決めることほど愚かなことはない。
誰かから自分の苦労を理解してもらいたいという「依存心」
自ら選択してきた人生なのに「自己憐憫」
今までの不幸は愛着の不形成だとする「責任転嫁」
自分の弱さを認める。自分の傲慢さを認める。人は誰しもが未熟。
とはいっても、どう考えても不幸な人間が、その原因を全て自分のものとすることはものすごい辛いです。今も辛いです。
ではなぜ、あえて辛いことを能動的に認め、覚悟を決め、頑張るのか。
なぜ、より頑張ろうと思えるのか。
やはりそれは、結局は自分自身のためだからです。
この辛さを乗り越えたところに救いはあると私は確信している。
ものすごい辛いけど、辛いけど、でもここを乗り越え、自分の過去を自らが選択したものだと肯定して生きる。そうすれば、かならず未来は変わる。
瞬時に、インスタントに変われはしないだろう。
けれど、無垢な他人を見た時に嫉妬した時、羨ましいと思った時、理解されない苦渋を感じてきた自分を思った時、それを理解されない嘲笑にあった時、無垢者からのよくわからないアドバイスをされた時、溝を感じた時。
わたしは彼らを許そう。
許そう。
許そう。
許そう。
負けそうな時、挫けそうな時、鬱になりそうな時。
何度も何度も思い出そう。わたしはこれからは過去を生きない。
ただ今を生きることを。
わたしは彼らを過去を許せる大きな人間でありたい。人間が人間に憎しみを抱くのはとても悲しいことだ。だからこそどんなに辛くても、綺麗事ではなく、時間をかけても、許し、自分の人生を愛そう。
わたしはここにおいて過去の自分と決別する。
もう過去を見ない。
鬱の本や毒親の本も捨てる。そういう思想をやめる。
自分の今までに安住しない。新しい自分になることは、難しいけれど、やるしかない。
私の親は未熟だった。でも彼女の親も毒親だった。許そう。
私をいじめていた人々もきっと不幸だった。許そう。
とにかく息のできなかった高校時代の過去。許そう。
仕方がないのではない。これでよかった。これがよかった。私がそれを選んだ。
私はどん底を身をもって知れた。
精神的に悩む人により寄り添える。より大きな人間になれるじゃないか。
他者と比較せず、ただただ自分自身の人生を誇りあるものにするために、めげずに努力しよう。
常に社会から自分の価値が評価され、判断されていると言う強迫観念を捨てよう。世俗勢力に負けないように、自分の中での真理を追求し、正しい生き方をわたしは貫こう。
自分は何をしたら楽しいのかを改めて探そう。
幸せになる決心をしよう。
自分で自分を幸せにするんだ。
わたしは幸せになれるんだ。
過去で未来は決定されるのではない。
ただ今だけが未来を決定するんだ。
わたしは、自由だ。
褒められもせず、苦にもされず、そういうものに私はなりたい。
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