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鬱(だった)日記

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鬱日記。 病み続けて10余年———。 いつか、この霧と泥が拭われることを信じて書き続けることとしたものの集積物。 高2-
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記事一覧

鬱を治す方法(強め)

なぜ鬱は再発するか 鬱を治すには本当に治す覚悟がいる。 現状鬱であるという状態を「治す」ということは、「性格を変える」ということとほぼ等しいです。性格を変えるということは、今の自分がやっている「行動を全て変える」ということです。 今までの行動を非鬱人のものに変えるということは現状の「コンフォートゾーン」から脱却ということで、辛いに決まっています。 逆説的だが、鬱があまりにも自分の中に食い込み、鬱状態が私を決定づけてしまっているので、鬱を治すということが一旦は自己否定の形にな

人生が無意味・無駄と感じているひとへ

全て無意味に感じる。それは鬱症状のなかでも中枢に位置する大変迷惑な存在で、生の否定として現れ、無気力を浴びせてくる。ただ布団に安住する。 今回は、<なぜ私が人生無意味と感じるに至ったか>を再度検証することで、「人生は有意義である」という確かな論理を考えてみる。 これは前回の記事「鬱のコペルニクス的転回について」の”前提の吟味”の考えから発生した。 人生、常に動機の吟味を忘れてはならない。最初の一歩に結果まで詰まっているといっても過言ではない。 話は逸れるが、稲盛和夫氏は第

【鬱日記】毒親育ち

近況 鬱になってしまった… 4、5、6月上旬まではすごい元気に勉強をしていて、自習室に最初に行き、1番最後に出るという毎日で、隙間時間も欠かさず勉強できていた。 途中途中でパンチを喰らう場面もあったが、2、3日後には認識の立て直しを行い、元気に生きられていた。(途中、5/25にシスター鈴木秀子の講演会にも参加) (←躁なのではという指摘があったが、全く自分としてはそんなふうに思っていなかったが、あとからツイートを見返すと確かに………) 6/9共通テスト模試があり、6/1

鬱のコペルニクス的転回について

 前回の稚拙なnote記事に、ありがたいことにコメントをいただき、鼓舞していただきました。現在、この記事を書く力をくださったのは、お読みいただいた方々のお陰です。ありがとうございます。 今回は10年来の鬱歴の中でも割と大きなコペルニクス的転回が訪れたと感じているので、それを記したいと思います。 今まで今までは、うつ病になる原因は「ストレス、環境、幼児体験、トラウマ、脳の機能障害、ホルモンバランスの乱れ」であると考えていました。そして「抑うつが2週間以上続いて、日常生活に支

【鬱日記】初めての精神科

今日は、初めて精神科に行ってきた。 鬱は10年くらい患っていたけれど、初めて。 理由は親が10年以上薬を服用していて中毒気味になり、それでも治っていないところを見て、西洋医学的な側面では治せないと思っていたから。 それでも、もう受験生で病んでいる暇はないし、流石に辛すぎて、毎日自殺したくてしょうがなくて、限界突破してたから、行ってみようと思った。 高校生で初診を受け付けている精神科が限りなく0に近く、何時間も探してやっと見つけた病院。 藁にもすがる気持ちで行った。初診を受け

【鬱日記】鬱からどうしたら脱却できるのか

昨日、昨日、明日は病まないと決めたはずなのに 沸々と湧き上がる病み感情をTwitterに書き込んでしまっていた 考えずに書き出したので、結構無意識の部分が顕になったのではないかと思う、 少しでも病まないための対策をしなければ。 明後日には張り切って楽しまねばならないことがあるのだから、せめてその日までには楽観的な自分を取り戻したい。 生きるのって過剰なほどに辛いことだと思う、 ざっとこういうことが浮かぶ (というかさっきTwitterの方にばばっと書き込んでいた。これはも

【鬱日記】もう4月。自戒の念と普遍的疑問

もう4月になってしまった。 受験とかに対する焦りが出てくる。出てくるというか元々そこに存在はしていた、現実逃避して認識しないでいただけのこと。 また、毎度の「病み期」とやらが来てしまったために、全く勉強に身が入らない。昨年のクリスマスあたりにも1週間ほどの病み期がきてしまって、そこから傾向と対策は掴めたつもりであったのだが、駄目だった。 今回の病みは今までと違って、身体的苦痛が+αしている。磁場がくるったような眩暈が襲うのだ。 今日という日まで、10日ほど混沌と浮遊に思考を

【鬱日記】なんで生きてるのかわからない

本当になんで生きているのかわからない。 ずっと悪夢をみているみたいだ。 けれど死ぬ勇気もないクソ野郎だ。 自分はなんでこんなに病むのだろうと不思議で仕方ない。一度病むと何もかもが手につかない。(がこれを記している。心のどこかでこの病みに終わりを告げたいのだろうと思う、) けれど病みが晴れるとなんであんなに病んでいたのか分からないほどに楽しく生きることができる。 というよりも、忘れている感じである。蓋をしている感じ。常々思うところはある。生きているのはなんでなのか。よなよなし