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#5 生きたいのなら言い訳をやめろ。

2019年1月。

乳がん再検査からしばらく経つ。

今日は結果をききに行く日だ。
朝から体に力が入らない。
もうすでに、乳がんに侵されているのだろうか。
最悪な気分だ。

灰色の冷たい空を眺めて、また大きなため息が漏れた。

ため息をつきすぎて、体重が軽くなったんじゃないかと言うぐらい、ため息ばかりだ。いや、今日はむしろ、ため息という行動しかしていない。

今日帰宅するときはどんな気持ちなんだろう・・・

そう思うともはや家を出る気がしない。
やばい。ここを一歩出たら帰ってこれない気さえする。
それでも、理性が現実的なことをささやいて私を諭す。

「明日は仕事、あるでしょ。」

こういう時の声は、たいがいまともなことを言っているのが悔しい。神様が全力で軌道修正をしてくれているかのようだ。

「わかった、わかった。」

あまりにもしつこいその声に、まるで思春期の子どもが、口うるさい母親に目も合わせずに言うときのように言葉を放つ。

じゃあ、行くか・・・

力なく、自分で自分に声をかけてバス停に向かった。

灰色の空に例の薄ピンクの建物が浮き上がって見えてきた。あぁ、なぜ故にピンクなのだ。幸せのシンボルカラーが私の目を刺す。足取り重く、それでも行かねばならないという義務感に背中を押されて前へと進む。病院の自動ドアが実にむなしい。無念だ。

ドアぐらい開けれるわい。

自分でも自分のやさぐれ具合にびっくりして、診察券を出す。腰をかければ待合室の椅子の冷たいこと。
病院ってなんでこんなに冷たいんだろう。

あ、まただ。
また、あいつが来た。

あの黒いベールが私をまた包み込む。

あ・・・

そうか、これ。
こいつ、コドクカンだ。
私、孤独感に包まれているんだ。

黒いベールの正体がわかったのに、それでもそのベールを払う気にもなれない。

孤独感と言う名のそのベールは、もしかすると自分では取り除くことができないものなのかもしれない。すごく息苦しいんだ。内側から外の様子は透けて見えるのに、ベールの外側の人たちには私が見えていない。いや、それとも見て見ぬふりか。

名前を呼ばれて診察室に入ると、その黒いベールは姿を消した。

良かった、ベールが消えた。

そう思ったのもつかの間、「検査結果をきくためにここにいる」現実を思い出した。診察室は小さな箱だ。

箱の中に、年齢も個性も立場も違う3人が押し込められている。そこにいる理由も理由なら、ましてや居心地がいいわけがない。

先生が淡々と話し始める。

「ここにこうね、影があるわけだ。ほらね、こっちと比べるとこっちには小さいけど影があるでしょう。これね。それでね、再検査して、今回は悪性のものじゃないから、これまた、一年後でいいかな。一年後に検査うけて様子観察していくっていうんで大丈夫だよ。はい、お疲れ様。」

っておい!
心の中で思わずつっこんだ。
所要時間5分とかかっていない。

私、心の中で大爆笑だ。
今までの心配はなんだったのだろう。

私ってば、一人で悲劇のヒロインを演じて、ばっか見たい。ほんと、笑っちゃう。ちゃんちゃらおかしい。ちゃんちゃらおかしいの「ちゃんちゃら」ってどういう意味?あー面白い。あっはっは。

明らかに脳内のねじが一本どこかに行ってしまった私は、心の中で腹を抱えて笑っている。

そして、その笑いがいつの間にか安堵の笑いと涙に変わっていくのを心の中でじんわり感じた。

診察室を出ると、そこには先ほどまでの冷たさは感じなかった。それどころか、まるでディズニーのプリンセス映画のように、私が歩くところには花が咲いていくかのようだ。いやはや、単純である。

気持ちは晴れ晴れ、足取りは軽い。
生まれ変わったかのような気分で病院を後にして思った。

そう、私は生まれ変わったんだ。

あの診察室のドアの先には、もしかしたら別の運命が待っていたかもしれない。

でも少なくとも今の私には、「乳がん」という診断はくだされなかった。かわりに「今をしっかり生きろ!」という処方箋をもらった。

乳がんでなくても、交通事故で明日死んでしまうかもしれない。自分の命の大切さと、家族のこと、孤独感、なによりも自分の人生はたった一度きりだということもわかったのだ。もし病気になったら、それ以降をどうやって生きていくかのシミュレーションもできた。こりゃひと粒で何度美味しい思いなのだ?

死んだら何もできない。

私は私の人生をこれからどうやって生きていこうか、ある決心ができた尊い2か月だった。言い訳をして先送りしてきたことに向き合う時が来たようだ。

つづく・・・

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