46万回のありがとう 1029 ありがとうを言うようになってから唯一困っている件。
これはワタシが46万回のありがとうを言うまでの奇跡の記録。
ありがとうカウンターは44万回を超えた。
ありがとうを言い続けてからの唯一の悩み
ありがとうを言って、有るものに感謝すれば全てありがたいと思うようになる…はずなのだが、現実ではそうでもないことが唯一ある。
仕事だ。
ワタシは営業の仕事をしている。
会社やお客さんに振り回されっぱなしだ。
ありがとうが全てに「ありがとう」ならば、会社にもお客さんにも大いに感謝ができるはずなのに、ワタシは感謝どころか毎日会社に行くことはおろか、起きることが日々辛くなっている。
な、なぜだ。
愚痴や不満を言うとありがとうカウンターがゼロになると聞いていたのだけれど、ワタシのおっさん神様曰く、愚痴不満そのものがだめなのではなく、「本当の自分から外れること」が一番だめということらしい。
愚痴や不満が出る時はつまり本当の自分から外れている時というわけだ。
だから、単純に愚痴不満がいけないのではなくて、自分の本当の気持ちに気づきなさいよ、ということらしい。
価値観が浮き彫りになる
週末、彼と会っていたのだが、彼に会いにいくその道中、草や花がとっても綺麗で、風にゆらゆらする姿を見て、自分の心の状態がすごく整っていることを感じた。
しかし、一夜明けて月曜日、もう起きた瞬間から仕事行きたくなーいと駄々捏ねてる自分がいた。
なんでそんなに嫌なんだろう。
今の仕事は自分の経験を活かせて、お給料も概ね満足だ。
ワタシは色々な出来事を思い出して、何に一番怒っているか、自分を観察してみた。
するとわかったのはとにかく会社やお客さんに振り回されるのが嫌で嫌で仕方がないということ。
それがなければ続けられるのに、とにかく自由がないのが窮屈なのだ。
ワタシは自分の意思で動きたいのだ。
いやだと思うことは何かを教えてくれている。
だから逃げずに見つめ、見つけることが大切だ。
彼との会話でふと気がついたこと
彼はアメリカ人なので、日本人が毎日雨戸を閉めていることや、家の駐車場に車を停めた後で門を閉めたりロープをするのはおかしいという。
多分、これを読んでいる多くの人はワタシと同じで「なんで?どこが?」と思うだろう。
アメリカでは雨風から守るための雨戸だから、雨も風もないのに雨戸を閉めたりするのは違和感があるし、ガレージの門やロープは本来誰かが自分の敷地に駐車しないようにするためのものでしょ?と彼は言う。
雨戸は光や音が外に漏れるのが嫌だというプライバシーの理由もあるかもしれないが、ここでのワタシの気づきは一つ。
当たり前と思って考えもせずにただやり続けてきたことがたくさんあると言うこと、だ。
そういう一つ一つに気が付けると、自分の判断やルーティンがいかに自分以外の意思で作られているかが良くわかる。
例えば、コーヒー。
ワタシは会社でもコーヒーをよく飲んでいたのだけれど、ふと最近になって「美味しいから飲みたいのではなく、目を覚ますために無理矢理飲んでいる」ということを発見してしまった。
全くの無自覚だった。
そうやって自分以外の何かによって埋め込まれた概念を「本当にそれでいい?」と疑い始めると、自分が本当はどうしたらいいと思っているかがどんどん見えてきて面白い。
さあ、ワタシは仕事をどうしたいのだろう。
小さな概念から気づき、何かを変えていく時なのかもしれない。
読んでくださる方にありがとう。
スキくださる方にありがとう。
画像提供ありがとう。
ありがとうは言われた側にも徳が積まれていくそうです。
良い1日を!
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