46万回のありがとう 神様登場につきミラクル連発 #203
これはワタシが46万回のありがとうを言うまでの奇跡の記録。
203日目。
彼との衝突からちょうど2週間。
昨日はびっくりするような奇跡の連発だった。
あのオッサン(ワタシの中の神様)がまた現れたのだ。
人生、不思議なことに、同じような問題が何度も訪れる。
ワタシの場合は元夫との時にその問題が出てきた。
一言で言うと、結局は「自分を愛せよ」と言うことに尽きる。
それができていないので、天上の皆様方なのか宇宙のパワーなのかが、パートナーシップやら仕事やらお金やらを使って必死に私達にサインを送っているのに、私達は目の前の問題解決だけして安心してしまう。
”またしても根本的問題解決失敗につき、さあ次は何で気がつかせよう”と、天上では会議が開かれているだろう。
ワタシの場合は、ええ加減にせえ、と言わんとばかりに、最後は健康にでた。
乳がんの疑いが出て初めて、これまで自分を犠牲にしてきたことや自分を大切にしてこなかったことを思い知った。
ごめんごめんと何度も自分に言って、「これからは自分を大切にする」と自分に約束した。
からの元夫との離婚。
からの彼との出会い。
彼の場合も、仮に彼とワタシが終わっても、彼自身がその問題に向き合わなければ彼はずっとまた同じ問題にぶつかるであろう。
ワタシにはそれがわかっていた。
ワタシもワタシで何か解決すべきことがあったんだろう。
人は変えられない。
自分で気がつかなければ問題なんて一生解決しないのだ。
だからあえて彼にはそんなことには触れず、その代わり、ワタシも自分が大切にしたいものをもう一度よく考えるための時間にしようと思った。
そして、昨日の朝、彼からLINEが入る。
「話そう。父島(一緒に旅行に行く計画で予約をしている)のこと、キャンセル期限とか話したい」
ってことだった。
ついに来たか、、、
そんなふうに思い、覚悟を決めて、全てを受け入れる準備をする。
言いたいことを整理して、彼の家に向かった。
そんな道中、不思議なことが起こる。
ゾロ目ばかりが目に入ってくるのだ。
彼の家に行くまでに00〜88まで、時には6666とか。
とにかくふと目をやると全てがゾロ目というぐらい。
99を見れたならば全制覇できる。
でも9は縁起が悪い数字だから基本ゾロ目ではないよね、なんて思いつつ、映画の『インターステラー』を思い出し、何かに応援されているのだと自分に言い聞かせてみた。
「どうか奇跡が起こりますように・・・
あ、でももう。こんな人生ほんと嫌かも。
何で生まれてきた?なくなってしまいたいわ。
でも奇跡が起こりますように・・・」
と、ネガティブ思考が起こっては奇跡を祈るの繰り返しだった。
電車に乗るとそれは突然始まった。
昔、ワタシが離婚前、自分と向き合っていた頃によく聞こえた頭の中の声だ。
それはなぜかいつも関西弁のオッサンの声。
おそらく『ガネーシャの神様』に色濃く濃厚に影響されてるワタシ。
「あんな、自分、奇跡奇跡いうけど、こっちがどれだけエネルギー必要か知ってんの?
わしら奇跡おこせるけどな、今回の奇跡は結構大きいねん。
ほんで普通、奇跡起こすん前払い方式やねん。
自分一生懸命ありがとう唱えてるけど、さっきんので一瞬で自分貯めてたエネルギー無くなってん。何かわかる?」
って始まった。
奇跡にはすっごいエネルギーが必要らしくて対価は払えよということらしい。オッサンは太ったお腹の前に今日は大きな水瓶を抱えていた。
そしてやけに勿体ぶる。
一瞬でエネルギー消耗したやつって何だろう?と考えた。
愚痴とか不満が多いこと?と聞いてみる。
「いや、それは後で説明するとして、もっとおおっきいやつ。わからんの?さっきガソリンスタンドの前歩いてた時、かすめてたやろ?」
あ!自分なんてなくなってしまえばいい、何で生まれてきたかってこと?
「せや。あれはいかん。一番あかんえ。
一番強力やったわ。
一瞬でチャラやて。
一瞬で台無しや。ええか。
生まれてきた意味なんか考えんでいい。
自分が生まれた時どれほどの人が喜んだか。
どれほどの人を笑顔にさせたか。
もうほんまそれだけ。」
あ、だからか。
ガソリンスタンド前でネガティブなことを思った後に自分が生まれてきた時の両親や祖父母の笑顔が(記憶にあるはずもないのに)浮かんできて、次には息子が生まれた時のことを思い出してなんなら1人ウルっとしていた。
まるで命のつながりのショートフィルムを見せられたかのように。
「ほんでな、さっきの愚痴不満の件やけど。
ありがとうを唱えても愚痴不満言ったらどんどんマイナスになっていくって、誰かから聞いてんにゃろ。
けどそもそも愚痴不満ってどんな時に出てくる?」
しばらく考える。
そしてー
それは、自分の思っていることと違うことが起きたり、コントロールできなかったりした時に言ってることが多いと気づく。例えば仕事。
「それな。つまり、本当の自分から外れてるってことやねん。
だから愚痴不満を言うことそのものが悪いというよりかは、本当の自分から外れてるってとこが問題やねん。
自分に嘘つきながら騙し騙し働いとるから不満が出てるんやろ。
だからそんな自分とのズレを直さないままにありがとうを何回唱えたってそれは大したエネルギーになってへんで。」
つまり、例えば、今の仕事は全然楽しくないけれど、与えられたものに感謝しようと必死に無理やりありがとうを言っても意味ないってこと?
「ありがとうが無意味になることはない、ただ、自分とズレのない上で言えるありがとうの方がポイント高いねん。」
なるほど。
「ほんで、ここまで踏まえてどうすんの?
今回の奇跡起こす?起こさへん?
起こしたら何で返していくねん?」
えっと・・・
そうか、自分のズレを直していくことだ。
多分それは仕事かもしれない。。。
これが自分でも意外だった。
自分を愛して、対話すること!とか言うのかと思ったら、仕事、とか言ってるし!
恋愛の問題で仕事に行き着くなんてあり?
ともあれ、違和感の解消をしていくことが大事だと気づき、オッサンに約束した。
するとオッサンがいなくなる。
またゾロ目ばかりの光景に戻る。
行き交う車をバスから眺めていると
いやぁ、でも・・・奇跡って言ってもないでしょう。
期待しても無駄でしょうよ。
もうあとは天に任せます。
ワタシ覚悟したから大丈夫!
と、ホメちゃんことホメオスタシスに押される形で思考が言葉になる。
次の瞬間、あーあー、天に放っちゃったよー、という何だかやっちまった感。
今まで読んだ本には「委ねる」が大事って書いてあったでしょ、それでいいのよとホメちゃんが全力で応戦してきた時、バスがカーブを曲がる。そしてその瞬間、
「え?自分何言ってんの?
天に任せてええのん?
今までの話なんやってん?
自分、どうなりたいかはっきり言わんと誰も自分に奇跡なんて起こせへんて。
いやいやいや。委ねるて。
ほんまちょっと待って。
ほんまに何やったん、さっきの話。
ちゃんと聞いてた?」
と、呆れ果てたオッサン再登場。
まるで休憩中にバイトに呼ばれたコンビニの店長みたい。
慌てて、自分の願いをはっきりと言い直す。
「執着」と「積極的・具体的」は何かが違うらしい。
「よし!ほな行くで!さっきの忘れんといてな。
ほんで、困った時だけ呼ぶのやめぇ。
嬉しい時にこそ呼んでぇな。それわしらめっちゃ嬉しいねんて。」
そう言ってまたいなくなった。
いよいよ彼の家に着く。
彼も自分がどうしてあんな風に強く思ってしまったのかわからないと言う。ワタシは与えてしまった誤解をもう一度解く。
会えない時間に考えたことも全て吐き出す。
相手の意見を尊重しながら自分はこうしたい、と伝えた。
自分を犠牲にしないでほしい、自分だけで解決しないで話してほしいと。
自然と涙が溢れてくる。
彼にも恐れがあること、あの日自分の言動でワタシを傷つけたことをごめんと伝えてきた。
もう一回やってみよう、と彼が言った。
そしたらもうワタシの中で何かが崩壊。
あー怖かったんだよーと泣きまくった。
いい歳して全く。
彼がそばにきて抱きしめてくれて、ひとしきり泣いた後、
「ワタシのために言ってるんじゃないよね?自分を押し殺してないよね?」と確認すると
「For us. 」
ワタシと彼、2人のための再出発だと言った。
久しぶりに彼が作ってくれたご飯を食べて、その日は家に帰る。
道中、いや、彼の家にいる時から何度もオッサンにありがとうを言った。
最寄駅から家まで歩いている時にふと
「結局今日、00〜88までのゾロ目だけで99見れず!惜しい〜。」
と思った、まじでその1秒後、ワタシの右を通って行った車が◯99◯だった。これ、ほんとのほんとのまじです。
兎にも角にも8月31日、夏の最後は鳥肌立つわ、ジャンプして喜びたいわで忙しい1日でした。
嘘のように聞こえるかもだけど、上記全て本当にワタシの身に起こったこと。
オッサンがいい事言うので、「ちょっと待って!忘れないように携帯にメモする!」っていくつか言葉を残しながらの会話だった。
自分を大切にしながらありがとうを唱えることがさらに大事だと言うことを学びました。
愚痴不満は自分とのズレです。
ちなみに怒りは自己防衛。
過去のトラウマと未来への不安でホメちゃんことホメオスタシスが一生懸命、私達が傷つかないように守ろうとしているのだ。
ホメちゃんには悪気はない。
重要なのは、怒りも悲しみも、私達自身ではないと言うことだ。
だからその感情を切り離して、ニュートラルになれる秘密基地が頭の中にあるといい。
そこには君のオッサンがいるかもしれない。
読んでくださった方にありがとう。
スキくださる方にありがとう。
画像提供ありがとう。
ありがとうは言われた側にも徳が積まれていくそうです。
そういえば、オッサンにお礼は何がいいか考えたら「お水」と言われた。水瓶持ってたし。なぜだろう。
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