せめて、不要不急で非合理な「きちんとした暮らし」を
バレエが好きだ。
あの、ボールをカッコよく飛ばすやつじゃなく、踊るほう。フワッと跳んだり、クルクル回ったり、スッと止まったり。流れるように空気を動かし、鍛え上げた
身体で表現する。
大人になってバレエを始めたから、まだまだドタバタしてばかりだけど、体幹がしっかりしてきて、綺麗なポーズをとれると気持ちがいい。必要な筋肉がつけられるよう、食生活にもちょっと気をつかうようになったし、体を動かすのはストレス解消にもなる。
いろんな動きを練習して覚えるために、YouTubeでバレエの動画もよく観るようになった。バレエの先生を専業としている人もいれば、プロのバレエダンサーの人もいる。
そんななかで、必然と目に入ってくるのは、ロシアとウクライナの話。どちらも、もともとバレエが有名な地域で、日本人のバレエダンサーもたくさん働いている。その地域出身のバレエダンサーも、世界中にたくさんいる。
その一人ひとりが抱えている様々な葛藤。
「大変な状況で、なにをのんきなことをと思われるかもしれない。でも...」
と、それぞれが苦慮しながら情報の発信を続けているのをヒシヒシと感じる。
なんだか、テレビのCMがACジャパン一色だった震災直後のことを思い出す。
「苦しい思いをしている人たちがこんなに身近にいるんだから、自分たちも楽しんじゃいけない。神妙にしていないといけない。」という閉塞感。
でも、だけど、そういう緊急事態にこそ、私たちは毎日の楽しみを、暮らしを、手放しちゃいけないんじゃないか。平和でのほほんと暮らして、今日の晩ごはんはなににするかが最大の悩み。そんな状況にある私たちこそが、平和の一部。
それなら、それを簡単に手放すことは、大切にできないことは、あってはならないことなのではないだろうか…
そんなことを考えていたら、スープ作家の有賀薫さんの言葉が目に留まった。
私たち市民にできる、少し遠回りだけれど唯一のことは、言葉を発する前に、きちんと暮らすということだなとつねづね思うのです。...
...言葉のないところで私たちの守るべきもの、大切にしなくてはならないものを伝えられる。これが暮らしの力であり、私たちが「きちんと暮らす」意味もそこにあります。綺麗事だけで暮らしは立ち行かないし、だからこそ暮らしをまっすぐみつめる人が増えると、言葉にも重みが増します。...
そういえば、"わたし”をめぐる冒険という連載でも、こんな話があった。
...「ソーシャルイノベーション(*)は、身体性からはじまる。」...
…頭だけだと議論の結果、すごく暴力的なことになってしまったりする。...
…いいレシピがあったとしても料理人によって味が変わるみたいに、変化を生み出そうとする僕たちのあり方とか関係性が結果に反映される。…
"平和”を手放したい人なんて、いないと思う。
きっと、それぞれに"平和”のかたちがあって、信念があって、大切にしているものがある。
これからもそれを絶やさないために。
少しずつでも広げていくために。
争いごとに限らず、世界や日本でさまざまなことが起きている現状を無視するわけでなく、それらを事実として把握しつつ、でも、それらをあたりまえにもしない。
そのために、自分がこの瞬間からできることは、不要不急で非合理な「きちんとした暮らし」とはどんなものなのか問い続けること。その暮らしを手放さないこと。そして、その決意をこうしてかたちにしておくことかなと思うのです。
(*)社会変革
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