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先週の週末は、かなり珍しく夜家族と外出し、近くの都会で行われていた「青い夕べ」なる街の中心部がブルーでライトアップされる催し物に行ってきた。
もの凄い人ごみで、中央広場はぎっしり人で埋め尽くされ、前に進もうにも進めない。一瞬、去年韓国で起こったハロウィーンの圧死事故が頭をよぎり、怖くなって引き返そうとしたが、結局とどまり、時間が過ぎるうちに落ち着き、最後は夜の街を楽しんで帰ることが出来た。去年までの私ならまずそんな場所に出かけようと思うことがそもそもなかったので大きな変化。また一つ行動範囲が広がった。

それが嬉しくて週末はいい気分だったのだが、新しい週が始まり、月曜日になるとだんだん自宅でいる自分に鬱屈してきた。
確かに行動範囲は広がって来たけど、まだ体はこわばっているし、外出もできる時と出来ない時があるし、普通の生活が出来てるとはとても言えないなあ。これでは仕事をすることもできないし。

ここ数週間で起きた最大の変化は、また仕事がしてみたいという望みが湧いてきたこと。
2度目のパニックになって約9年間、プライベートで日本語を教える以外は自分でお金を稼ぐことをしていなかった。できなかった。もともとは働くのは嫌いでなく、日本でもドイツでも暇を見つけては仕事をしていたのだが。

そんな中、同年代の友達のSMSが目に飛び込んでくる。
それぞれ、仕事や趣味の活動で活躍している姿を投稿していて、それを見ているうちにどよーんとなってきた。
いいなー、華やかでキラキラしていて、何よりも健康そうで。
私だって健康だったら、パニックがなかったら、こんなんじゃなかったら、もっといろいろな所へ行って、お金も稼げて、活躍出来ていたかもしれないのに。
もう見ていると自分がみじめで見たくないのに、なぜか吸い寄せられるように見てしまう。

そうなると負の思考の連鎖が止まらない。

子ども達にだってもっといろいろしてやりたかった。あの子たちが小さい頃、もっと元気で明るいお母さんでいたかった。車で習い事の送り迎えしてやりたかった。もっと精神的に側にいてやりたかった。
夫は本当にいい人で、文句ひとつ言わずサポートしてくれた。それには本当に感謝しかない。が、おかげでというか、子ども達も心ここにあらずの私より夫になつき、今でも何かあるとすぐにパパ、パパ、である。私って本当に役立たず。空気みたい。夫も子ども達もそんなことないよ、と言ってくれるが自己否定の根は深い。

どよどよしていたところ、娘がショッピングに連れていけと言う。
街に行くのはしんどいし、途中でパニックになったら怖いし渋っていたが、いつも用心深くいることにも嫌気がさして、いいや、パニックになっても行くんだ。と破れかぶれで心を決めて出かけた。
最初は本屋だけ、それが出来たらお店一つだけ見る、気分が悪くなったらすぐカフェに腰を下ろして休憩しよう。そう思いながら歩くと、最初の本屋でなぜか落ち着いていられた。私は本が好きなのに、なぜか高校生の頃から本屋や図書館にいると、落ち着かなくて息が詰まりそうになるのだ。いつもやってくるゾワゾワした気分が来なかった。ん、これはいけるかも。

続いて娘のお目当ての若者のブティック。
ここでも足元がしっかりしている。前回2か月前ぐらいに来たときはフラフラで歯を食いしばるように頑張って娘のショッピングにつきあったのだが、今日は静かな気持ちで、ティーンエイジャーの娘にあれやこれや服のアドバイスをしている。あ、うれしい。普通の人がショッピングを楽しむってきっとこんな感じだったのね。

最後のショッピングモールも少し息が上がったが、いつもよりずっと長い時間「普通に」娘と見て回ることが出来た。
キツネにつままれたような感じ。私はこの「普通に」買い物をするとか「 普通に」本屋へ行くとか「普通に」出かけるということが何年もできなかった。
どこへ行っても、いや行く前から不安がこみ上げ、息が浅くなり、体が収縮し、酷くなるとパニックになり・・・のパターン。
普通の暮らしがしたい、ただひたすら普通の生活が送れるようになりたい、というのがここ何年もの切なる望みだった。

一日だけとはいえ、それを味わうことが出来てうれしい。しみじみ喜びに浸っていた。
だからと言って、すべてがすぐに上向きになるわけではないのだが、取りあえず、今までにない気持ちを味わえたということで、今日はよしとしなければ。

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