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子供のプログラミング教育を考えるとき、ITスキルとリテラシーを混同してはいけない

TVで子供向けプログラミング教室について特集をしてるのをみかけました。大筋としてプログラミングが将来の職能につながったらいいっていう趣旨の特集でした。スタジオでも比較的前向きに捉えられていたプログラミング教室。ただ、ちょっと期待をしすぎじゃないか、という印象も。。。プログラミングをどう活かしたいのかがフワッとしすぎているんです。わたし自身はそこまでプログラミング教室に過度な期待はしていなくて。なぜなら、小中校程度で教わるプログラミングはロジカルシンキングに役立つくらいで、ITリテラシーの向上にはつながらないと思うからです。すると、プログラミング教育はどこかちょっと的はずれな習い事な気もするのです。子供に論理的な思考法を身につけてほしいという目的ならともかく、将来のITと向き合うための手段なのか?と言われるとなかなか評価の難しいところ。


ITリテラシーってなんだっけ?

ITリテラシーの向上のための教育を考えたときにまっさきにこのnoteが頭に浮かんだ。(勝手に引用させていただいてます。。。)

子供にITリテラシーを学ばせたいのなら、この記事で両親がやっているように自分たちの置かれている環境をタスクとして見直すほうがよっぽどいい教育になる。身近の生活にはどんなタスクがあって、どこに負荷がかかっているのか?それを網羅的に把握した上で、なにをIT化すると生活の質がどのように向上するのか?Slackを使うだとか、ToDoリストのツールは何がいいとか、自作でプログラミングしますとか、そういうことは2次的なもの、あるいは課題を解決するための手段でしかありません。この記事の取り組みの素晴らしいところは、チームとして家事タスクを進めるにあたってもっとも効果的な手段は何かを見極めるという作業を公開している点だと思います。

そもそも何に困っていてその問題はITによってどう解決できるのか?ITリテラシーが高いっていうのは、日常にあふれる課題に対してITをどう活用するかを考えられることじゃないかプログラミングはひとつのスキルであって、必ずしもリテラシーの向上に必要な条件ではない。php、JAVA、pythonプログラミングができたところで、活用できなければわれわれの生活の向上には役に立たないのだから。

ITリテラシー ≠ ITスキルを考える

このような誤解は、ITリテラシーと、ITスキルを混同していることから生まれているように思います。もう少し噛み砕いて音楽に例えてみる。ITを音楽に例えるなら、プログラミングは「作曲する」ということに似ている。そして、音楽を実生活の中に取り込み活用する能力がリテラシーだ。

作曲が上手にできる人は音楽関係の仕事に就くことができるだろうか?この答えはYesでありNoでもある。逆に、作曲が苦手な人が音楽関係の仕事につくことができるだろうか?あたりまえだけど、Yesですよね。音楽を生活にどう活用できるのか?つまり音楽に対するリテラシーが高ければ、音楽を仕事にすることは誰にでもできる。「作曲」は音楽のひとつのスキルにすぎず、作曲ができないからといって音楽に疎いということにはならない。むしろ作曲は全くできないし演奏すらできないけれど、音楽に精通している評論家はそこら中にいるし、それを生業にしている人もたくさんいる。

これはITでも同じではないだろうか。スキルや技術(プログラミング)を身につけることと、ITに対するリテラシーを向上させることは「別のこと」とわかってほしいのです。

ITリテラシーの向上は子供にとって死活問題

大きな違いは、音楽はなくても生きていける。(すみません。わたしも音楽は大好きなので、No Music No Lifeとカッコよく断言したいけど。。。ww)しかし、ことITに関してはこのご時世ほぼすべての企業でなんらかのシステムが導入されており、仕事をする上でITを全く使わないことはありえない。ITスキルの習得とかプログラミングは趣味でいい。でもITリテラシーの習得は未来の子供にとっては死活問題です

いま日本のほとんどの企業では、「何をIT化すると業務の質や職場環境がどう変わるのか?」という、まったく当たり前とも思える問に答えらる人材がほとんど育っていない。ITが急速に発達したあまり、わたしたちの生活や具体的な職場環境にITをどう活用していいのかイメージできないんです。

現場でITを活用できないIT技術者たち

ある企業で来客に対する受付の応対が煩雑になったため、受付システムを導入しようという話になりました。優秀なIT技術者が呼ばれ、速やかにシステム選定を行い、翌週には導入を完了しました。来客者がタッチパネルに必要事項を打ち込むだけで、自動的に担当者にSlackで通知が行くという非常に便利なものでした。ところが、現場ではSlackの導入方法がわからないし、使い方すらわからない。導入後しばらくはSlackの使い方のヘルプでIT技術者の一日が忙殺されてしまいます。それが落ち着いたと思ったある日、担当者が離席していてSlackの受信ができずお客様を待たせてしまったという問題が起こりました。それなら離席していてもSlackを受信できるようにスマホにSlackをいれればいいという話になり、また翌週には全社員のスマホにSlackを導入した。すると今度は携帯電話しか持ってない社員はどうするのか?という問合せが殺到。そしてまたある日、突然内部監査が飛んできて個人端末に来客者の情報を送信するのは機密の取り扱いがなってない!とお叱りを受ける。そこで、業務用のスマホを全員に貸与することになった。。。ある日、業務用のスマホを紛失したインシデントが発生し、、、問題はますます肥大化していく。

「課題はIT技術によって解決できる」極論を言えばこれは正しい。しかし、技術でしか解決できない、ということではもちろんありません。むしろ課題はその活用方法にあります。特に技術者はすべての課題を技術で解決しようとするものです。だから対応が場当たり的にならざるを得ないことも。。。上記の例に関して言えば、もしかしたら受付係をひとり雇うだけでよかったのかもしれない。もしかしたら会議室の予約のルールをちょっぴり変更すればよかっただけかもしれない。例えば、受付には打合せの開始時間に合わせて来客が殺到するものです。0分と30分開始がほとんどですよね。ほとんどの企業の受付では、たいてい0分と30分に来客のピークがあります。そこで、打合せの開始時間をフロアごとに分散し、15分開始や45分開始の会議を奨励したことで、受付に滞留する来客が激減した、なんて話を聞いたこともあります。でも、ITスキルからは、その観点は生まれない。わたしたちの職場環境の全体像がどうなっていて、そのどこに課題の本質があるのか?そもそもこれはITで解決すべき問題なのか?ここをIT化するとあそこはどうなるのか?導入に関わる課題だけでなく運用時に何が起こるのか?これらに答えられない限りいくら場当たり的にIT化しても環境はさして良くならないのです。

得意なこと、好きなこと、は的外れ

プログラミング教育に関して、子供の得意なことを伸ばすのがよいのか、好きなことを伸ばすのがよいのか?なんてスタジオでも親御さんも話していたけれど、ちょっぴり的外れと感じてしまう。IT教育を単に趣味としてしか考えていないのではないだろうか。(や、趣味として習い事をさせたいってことであれば全然それでかまわないんだけど。。)われわれ親世代が、その程度のリテラシーなのだと思います。

この数十年でITはいきなりやってきて、われわれの生活にものすごい勢いで浸透してきました。そのため、技術習得ばかりが先行して、実際に生活にどのように適応できるのかをイメージできる人が育っていません。特に日本ではゼネコン型のシステム開発の商習慣が根付いているため、「おまかせ」体質、「丸投げ」体質がいまだに抜けません。これが企業内のリテラシー向上を更に遅らせています。

学校での教育ひとつとっても、紙での授業がいまだに変わらない。それが悪いって言っているわけではなく、例えば個人情報保護の問題ひとつとっても、紙での取り扱いとデジタル媒体での取り扱いは課題の質が違う。何をデジタル化すると、どういう課題が新たに生まれるのか?もっと言えば、果たして学校に毎日通うという形態が今の社会の方向にどこまでマッチしているのか?(個人的には物理的な場に集まる、対面の必要性を感じていますが。)対面の必要性と、非対面の利便性の境界はどこにあるのか?ITについて語ろうとすると、単にテクノロジーや機能の話に終始してしまいがちだ。物理的現実と、デジタルの場にあるつながりを理解しないかぎり、SNSなどの新しい社会のつながりに対するリテラシーは育たないのではないかと思うのです。



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