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幼少期の英語教育はいけないのか?

Google Alertで“英語教育”をフォローしていたら、榎本博明さんという方が書いた、“わが子を「英語ペラペラにする」に潜む重大なリスク”という記事を見つけました。

「英語の勉強に時間を割いたことで、ほかの勉強がおろそかになったらどうしよう/日本語が話せなくなったらどうしよう」、子どもに英語教育を受けさせようと思っている人なら、考えたことがあるかもしれません。

しかし、結論から言うと、個人的にはその心配はないんじゃないかな、と思っています。教育の専門家でもなんでもないのですが、最近英語教育に興味があり色々と勉強したり調べたりしていたので、そう思う根拠を書いていきます。まとめるのが下手ですっっごく長くなってしまったのですが、、興味のある方は是非お読みください:)

1. 英語学習をすることで日本語が使えなくなるのか

冒頭で紹介した記事で筆者は、以下のように述べています。

母語の学習、私たち日本人であれば日本語の学習をおろそかにして英会話に時間や労力を費やし、「うちの子は英語でアメリカ人と会話ができる」などと喜んでいると、バイリンガルどころかセミリンガルになってしまい、後に学校の勉強についていけなくなる恐れがある。セミリンガルとは、この場合で言えば、日本語力も英語力も両方とも中途半端で、思考の道具としての言語を失った状態を指す。

そもそも、日本語を学習した記憶はありますか?わたしの場合、漢字は学校で練習して覚えて書けるようになったものも多いですが、語彙などは普段の会話や読書で自然と身につけて来たように思います。小学校の国語の授業で文法のワークブックを解いた記憶もあるのですが、すでに使えるものを難しいレベル(五段活用など)をつけられて再学習させられているような感じでした。

これは想像に過ぎないのですが、日本に住み、日本語話者の親のもとで育つ場合、英語力が中途半端になることはあっても日本語力が中途半端になることは考えにくいです。そこまで徹底して英語教育を取り入れることの方が難しいのではないでしょうか。

2. 語彙の発達の遅れについて

バイリンガルの子どもが同年代の子どもと比べて語彙テストのスコアが低いという研究結果はこれまでにありました。単純にそれぞれの言語にかける時間が減るので、語彙の学習に時間がかかるのは想像に難くないかと思います。

しかし、2019年に発表されたカナダの新しい研究では、話をする(story telling)時の語彙量について、バイリンガルとモノリンガルの間に差はないと分かりました。

University of Albertaのこの研究(1つ目の記事)では、同じビデオを英語&中国語(Mandarin)のバイリンガルの子どもと英語のモノリンガルの子どもに見せて、その内容を話させました。結果として、バイリンガルの子どもとモノリンガルの子どもの使った単語の数やレベルに差がないことが分かったのです。バイリンガルの子どもは、知らない単語があっても別の単語を使って柔軟に、クリエイティブに話をすることが得意ということも分かりました。

この研究リーダーのElena Nicoladisさんは「バイリンガルの子どもの親は、学校での長期的な成果について心配することはない」と述べています。バイリンガルでさえ大丈夫なのであれば、日本に住んで英語学習をする子どもの日本語がおろそかになることは考えにくいです。

3. 英会話の授業は「知的なトレーニングにはならない」?

最初に紹介した記事で、筆者は以下のように述べています。

かつての英語の授業では、英文学を読んだり、文化評論を読んだりして、その理解や日本語への訳出の過程で、英語や日本語の知識を駆使し、国語で鍛えた読解力を最大限発揮しようとすることで、言語能力が鍛えられた。
...英文を読んで日本語に訳す授業は、知識や思考力を総動員して知力を鍛える場になるが、英会話の授業は知的なトレーニングにはならない。
小中高を通した英語の授業で日常会話ができるような訓練をするとしたら、そこで行われるのは英語圏で生まれた子が幼児期までにできるようになる程度のことを身につけるための訓練に過ぎない。
脳が著しい発達を示す幼少期に、その程度の英会話力を身につけるために貴重な時間と労力を費やしてしまってよいものだろうか。

“かつての英語”の授業を経て、今現在英語を使って生活できる人がどのくらいいるのでしょうか。

「優れた海外文学に触れて、それを自分の母語に訳す」という典型的な学習方法はThe Grammar Translation Approachと呼ばれ1880年代から存在する古い教授法にあたります。語彙が増えたり、海外文化や歴史の教養がついたり、文法の勉強になったりともちろん良いこともあるのですが、ここで止まっているとおそらく知的“風”な人止まりだと思います。

大切なのはそこで読解したことを自分のものにすること。英会話の授業も、先生の力量次第でどれだけでも知識や思考力を身につけさせることができます。

”Higher Order Thinking”という考え方があるのですが、これは思考の複雑さをレベル分けして考えています。指導プランを考える上で参考にされるようです。

このレベル分けでは、シンプルな方からremember(覚える)→understand(理解する)→apply(適用する)→analyze(分析する)→evaluate(評価する)→create(創造する)の順に難易度が上がっていきます。

新しいことを“習得”する時には、上のレベルのスキルの練習が求められます。ただただ知識を覚えるだけでも、理解するだけでもなく、それを別のことに使ったり、新たなものを創造すること。

例えば、新しく学んだ表現を使って英語の日記を書く、読んだお話について感想を話す、最近気になったニュースについて情報を集めて自分の意見と共にプレゼンする、読んだ海外文学と同時期の日本文学を比較して評論を書くなど今わたしが思いつくだけでも色んな方法があります。

なかなか日本の授業では、そこまで時間を割けない現状はあるかと思います。それは、これまで中学校で初めて英語を教科として勉強し始めていたことも理由の一つではないでしょうか。学校教育の現場で小学校から始めれば、高校生の頃にはもっとハイレベルに英語の“運用”ができるようになっていると思いますし、幼いうちから勉強ではなく生活の一部として英語に触れたり、ゲーム感覚で英語を学び始めることは”英語アレルギー”になる人を減らせると思います。

余談ですが、日本人は“なんとなく”で伝わるし、それで良いとしている部分が大きく、物事についてもはっきりとした意見を持って表現できる人は多くはないのではないかなと思います。(それは、無意識のうちに「みんなと同じであること」が良しとされてきた風潮のせいかなと考えています。)

わたしが英会話スクールで働いていた時、外国人のインストラクターと会話をしていると「自分の意見」や「そう思う理由」を聞かれることが多かったです。なんとなくしか考えていなかったわたしはたじろいでしまったのですが、インストラクターたちはみんな自分の意見や意思をしっかり持っていたんですよね。

今住んでいるアメリカでも、例えば政治についての考え方などをはっきり表現する人が多いです。正解、不正解を気にせず自分の意見をオープンに話せて、その多様性が認められる文化っていいなと思います。英会話の授業ではそんな空気も取り入れやすいのかなと思います。

幼いうちから物事に対して「自分はどう思うんだろう?」「それはなぜだろう?」と考えられる力は、認知能力・非認知能力の両面で役に立つと思います。こういう力は、ただのインプット学習からは得られないものです。

4. バイリンガルの認知面のメリット

『子どもの未来を広げる「おやこえいご」バイリンガルを育てる幼児英語メソッド』で著者の小田せつこさんも、色々な研究をふまえて以下のように述べています。(著書の中でいつのどんな研究かもすべて紹介されてます。)

...認知面においては、バイリンガルはモノリンガル(一限後のみ使用する人)と比べると、遂行能力(executive function)が優れているという研究結果が出ています。遂行能力というのは「目的を遂行するために、目標設定と実行計画を考案し、遂行する能力」のことです。
その他の研究結果では、バイリンガル環境で育つ子どもは、モノリンガル環境の子どもに比べて、コミュニケーション能力が高いという結果が出ています。

また、以下のTED Talkの動画では遂行能力に加えて問題解決能力(problem solving)やマルチタスクのスキルもバイリンガルの人は優れていると提唱しています。

ここで議論されている対象はバイリンガルなので、第二言語として英語を学ぶ日本人とは環境は異なるかもしれませんが、「複数の言語を操る」という点で共通すると思います。

5. 最後に

結論として、そもそも日本語の習得がおろそかになるほど英語にどっぷりつかった生活を日本に住む日本人家族がすることは難しいです。また、日本人が幼いうちから英語を学習することは、幼少期にテストで測られるような語彙の発達の遅れは考えられるものの、長期的に見ればその運用能力で日本語のみを使う子どもと差はなく、学校での成績にも支障はなさそうです。むしろ、遂行能力、問題解決能力、コミュニケーション能力が幼いうちから自然と身につき、良いところばかりのように思えます。こういった学校のテストでは測られない非認知能力(non-cognitive skills)は目先のテストだけでなく長い人生で役に立ちます。

単語を覚えたり文法を理解することに母語の知識が役立つことに反論はなく、そういう点からしても大人になってから英語の学習を(再)スタートすることは素晴らしいことだと思っています。ただ、ある程度成熟した人が英語学習で苦労するのは、自然な英語の発音をする/理解するところであることも多く、こういった点は幼少期から英語に触れる強みかなと思います。幼少期に発音の習得が早い点については、最初に紹介した記事を書いた筆者の榎本さんも認めています。

日本の新しい英語教育について榎本さんは「英語の授業が英会話中心になったというと、何か良いことのように思う人が多いようだが、それによって英語の授業は頭を鍛える勉強ではなくなり、おしゃべりのスキルを身につけるものに変わり、勉強とはかけ離れた活動になったのである。」とおっしゃっていますが、”おしゃべり”ができるようになるには、知識はもちろん沢山の練習が求められます。習得するまでには時間がかかります。知識があっても”おしゃべり”ができない大人が英会話スクールにはたくさん来ます。ミーティングやプレゼンができても雑談ができない人もたくさんいるのです。

英語学習は日本語学習の敵ではありません:)これまでの学校教育のバランスを見直して調節をして、総合的によりよい成果を出そうとしているだけです。この流れをわたしは応援したいと思っています。

その一方、すべての授業を英語で行い、会話も積極的に取り入れた新しい教授法をとれる先生の育成は間に合っていないのではないかと心配しています。身近な人で急に英語を教えることになり困っている人も知っています。これはまた別の問題なので、この記事ではこれくらいにしようかと思います。

ものすごく長い記事をここまで読んでくださってありがとうございます、、!何かを考えるきっかけになれば幸いです。それでは!