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しのぶれど

この前の週末、大好きな東京の友人たちを、大好きな故郷の街に連れて帰りました。 

大好きな東京の友人たちの中には、先日の私がおよそ2,000字の未練を書き連ねたあの子も居て、ちょっぴりおセンチな私は、2泊3日に渡って故郷を案内しつつ、合間合間でふと物思いに耽るなどしていました。

大好きだったあの子のこと、片思いを片付けて手放そうと決めた今も心底大好きなのですが、大好きな東京の友人たちに注ぐ"友情"としての「大好き」と、大好きだったあの子に密かに寄せていた"恋愛感情"としての「大好き」は、似て非なるものだと自覚しているからこそ、旅行中の私は、1年の時間を掛けてすっかり身体に染み付いた"恋愛感情"としての「大好き」の慣性につられて、あの子だけに向けた声のトーンが高く軽やかになることがないように、あの子だけに向けた表情が緩く甘ったるくなることがないように、時折、自分を戒めながら、頬の内側を小さく噛んでいました。

が、特定の何かを意識しないように意識した時、その行為が破綻するのと同じように、恋愛感情としての「大好き」が滲まないように細心の注意を払えば払うほど、私はあの子のことが「大好き」だったと色濃く実感させられるのです。

おかげさまで、写真1枚で、動画1本で、通知1件で、胸がじくじくと痛む、情けない私にまた逆戻りしてしまいました。

ほとほと呆れます。

というより、嘘偽りなく言えば、最初から、"かつて「大好き」だった"のではなく、"進行形で「大好き」だけど「大好き」だったことにしたい"だけの私なのだと思います。

いずれにせよ、ほとほと呆れ返ってしまいます。

片思いを片付けると決めていたはずの私は、面白いほどに片付けが下手くそで、懲りずに新しい服を下ろし、懲りずにまつ毛を上げ、懲りずに荷物を持たれ、懲りずに道を間違え、懲りずに2ショットを恥ずかしがり、懲りずに髪をハーフアップに結い、懲りずに全てに一喜一憂していました。

そんな旅の最終日、空港に向かう前にみんなで仲良く神社をお参りして、そのついでに、みんなで仲良く100円の恋みくじを引きました。封を切って開いたら、吉でした。

吉を謳う恋みくじの最上部には、それぞれ違う恋の歌が添えられていて、私のに添えられていた百人一首の40番が、今の私にとっては何とも皮肉で、本当は願を掛けてでも結ばれたいのに、意固地になっておみくじを結べず、そのまま、未練と一緒に東京まで持って帰って来てしまいました。

今もお財布を開けるとおみくじと目が合います。

今朝、お財布の中を整理しながら、所在無さげなおみくじをもう一度開いて、百人一首の40番を口元で唱えて、あの子が好きだと自覚した日のことをぼんやり思い出しました。

百人一首 40番
しのぶれど 色に出でにけり わが恋は
物や思ふと 人の問ふまで

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