要らぬ母性が邪魔をする
「みんなのママって感じ」とか、「良いママになりそうだよね」とか。このセリフって果たして褒め言葉でしょうか。
幼い頃から一貫して私を構成している、ふくふくとした柔らかな身体、あるいは染み付いた世話焼き癖や滲み出るお人好し感が、普遍的な「母」イメージとそれに付随する「母性」を想起させるのか、随分前から、「みんなのママって感じ」とか「良いママになりそうだよね」とか、そういう言葉を掛けられることが多かったように感じます。
思い返せば、幼稚園のおままごとでは、問答無用でお母さん役を宛てがわれていましたし、小学校のクラスの文集では、「良いお母さんになりそうランキング」の首位を飾ったこともあります。中学生の時もそう。高校生の時もそう。
大学生である今も、変わらずにそうです。
私は、いつも母性に付き纏われて、誰かのママのような振る舞いをしています。ただ癖付いてしまっただけで、無理をしている訳ではなく、どちらかというと無意識で、むしろ、健康的な身体や他人の為に動ける心・誰かを放ってはおけないタチは、私にとっての大切なアイデンティティですが、それに乗じて着いて回る母めいた役回りと母性に似た何かは、ふとした瞬間に私の首を緩やかに絞め続けている気がします。
幼稚園生だった時、本当はお母さん役よりも妹役がやりたかったし、小学生だった時、本当は良いお母さんよりも可愛い女の子として認められたかったし、中高生だった時、本当は"ママ"というあだ名への愛着よりも"お嬢"と呼ばれるあの子への羨望の方が大きかったし、ずっと、本当は"しょうがないなぁ"を言う側ではなく"しょうがないなぁ"を言われる側になれたらと思っていたのかもしれません。
そういう理想と現実の乖離が小さな歪みとして自分の中に蓄積されているような、甘えることをやりきれなかった子どもの時の自分に付き纏われているような、形容し難い物悲しい感覚に陥ることが時々あります。
やさしくてやわらかくてあたたかな私。
それはそれで愛おしいけど、いつか母性に邪魔をされずに誰かの胸に飛び込めるようになりたいと祈ってしまいます。
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