見出し画像

こだわりが強すぎると一人ぼっちになる【他人への寛容性も大事】

一人でいる時間を長く過ごしすぎると、人は生活の中でのこだわりが強くなりすぎるという話を聞いた。

定期的に誰かと会ってコミュニケーションを取ったり、恋人を作って遊んだりしていれば、自然と他人への寛容な精神が養われ、自分の人生の中に他人が入り込む余地が残る。

しかし、一人でいる時間ばかりが増えすぎると、自分一人の人生を最適化することのみに特化した性格へと変わっていき、生活なさまざまな部分に対してこだわりが強くなっていく。

たとえば、朝起きる時間や食事の時間、帰宅する時間からお風呂に入る時間まで、すべて自分一人が心地よく過ごせるように最適化されていくのだ。するとどうなるか。毎日が自分のマイルールでガチガチに固まっているため、そこには他人が入り込む余地がない。

他人と仲良くしたり、恋人と時間を過ごすというのは、言わば自分の時間を差し出す行為でもある。だが、こだわりで最適化されすぎた日常はとても心地よいため、他人との時間と天秤をかけると最適化のほうが明らかに勝る。

そうしてどんどん他人と接することに億劫になっていき、他人と遊ぶよりも一人の時間、恋人と過ごすよりも一人の時間を優先するようになっていく。

一人でいればなんでも自分の裁量で選択できることでも、他人といればできることとできないことがある。そこに息苦しさを感じ、あえて一人でいることを選ぶ人も少なくないだろう。

 

こだわり=最適化されすぎた生活

自分専用に最適化されすぎた生活は心地よい。大抵のことは思い通りにいくし、やりたいこともなんでもできる。しかし、人は一人では生きていけないのも事実だ。

今は一人でいることが心地よくても、一生そのまま生きていくのか?と問われると疑問が頭に浮かぶ。だが、こだわりが強すぎると、他人との関係がうまく構築できなくなってしまう。

つまり、本当の一人ぼっちになってしまうのだ。一人の時間が好きという人でも、本当に誰とも接することなく生きていくのはつらい。本物の孤独は何よりも苦しいものなのだ。

若い頃は、まだ自分の生活にこだわりがない人が多い。友達と楽しいことをしながら過ごすのが生きがいの人もいるだろうし、恋人が自分のすべてになっている人もいるだろう。

でもある程度大人になってくると、自分のことや人生のことを大体理解できてくる。それがこだわりを生み出し、次第に他人への寛容性を失わせていく。

他人への寛容性がなくなると、ほんの些細なことでもイライラするようになり、どんどん他人と時間を共有することに抵抗を感じるようになる。一人でいる時間が気楽になり、他人といても疲れるだけで得られるものは何もないと勝手に決めつけ、人間関係の輪から自分を遠ざけてしまう。


経験こそが人間性を磨き上げる

現代は「生き方は人それぞれ」という相対主義を持っている人が多い。人間関係が苦手なら無理に人と関わる必要はない、嫌なことがあれば逃げればいい、生き方は人それぞれなのだから、という論理だ。

たしかに人それぞれ生き方は自由だが、苦手なことや嫌なことから逃げてばかりでは人間性が磨かれていかない。人生は経験で成り立っているものだが、その経験の多くは他人との人間関係によって成り立っている。

他人と接し、会話し、体験し、考え、怒ったり泣いたり笑ったりした経験こそ、人生を本当の意味で豊かにしてくれるのだ。そうした経験をたくさんしている人ほど他人への寛容性も深く、人を思いやる人間性が磨かれていくのだと思う。

一人の時間を過ごしすぎ、自分なりのこだわりが強すぎると他人との接触が億劫になってくる。それはつまり、人生経験がどんどん少なくなっていくという意味であり、経験が少ない人間は自分の世界だけに閉じこもり気味だ。

今はそれでいいと思っていたとしても、もっとたくさん人と接し、経験を積んでおけばよかったと後悔する日がいつか来ると思う。

 

人生を味わい尽くす

このエッセイは不特定多数の人に向けて書いていると同時に、自分自身に言い聞かせながら書いている面が大きい。

私も一人の時間が好きで、他人と時間を過ごすよりも一人で好きなことをやっているほうがストレスもなく気楽で楽しいと思っている人間だ。

しかし、やはりこのままではダメな気がする。もちろん、人によってはずっと一人でいいという人もいるだろうが、望んでいないにしろせっかくこの世界に生まれ落ちたのだから、つらいことや苦しいこと、楽しいことや嬉しいことなど、人生を味わい尽くすように色んな経験をしていきたいと私は思う。だからきっとこのままではダメなのだ。

いつの間にか自分の生活が最適化されていて、細かいところまでこだわりで埋め尽くされている今の自分の生活では、他人が入り込む余地がない。

「楽しいことだけやっていればいい」というのも同感だが、一人で完結する楽しいことだけをやっているのも考えものだ。人間は何とも難しい生き物である。

これからは少しずつ「こだわり」を削ぎ落としていこうと思う。柔軟性と寛容性を持った人間性。鎖で自分で自分を縛り付けるのではなく、もっと自由に気楽に、そして程よい適当さを持ちながら生きていきたい。

 ********

記事の感想や質問はTwitterのDMや質問箱、メールなどでご連絡ください。Twitterのフォローもよろしくお願いします。

********

【Twitter】
Follow @ddd__web

【Instagram】
https://instagram.com/ddd__web

【質問箱】
https://peing.net/ja/ddd__web

【メール】
uw.liberty.d0618@gmail.com

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?