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利己心と利他心。自己満足に生きるのと他人のために生きるのはどちらが大切か?

自分にとっては意味があるけれど、他人にとっては意味がないもの。誰かに何かを伝えたくてやっているけれど、世間にとっては価値がないもの。

人間は生まれつき利己的な生き物だと言われているが、利己の裏側には、他人や社会のために行動を起こす利他もしっかり存在している。

人間が本当に自分だけのことしか考えず、いつどこでも自分の利益のことだけしか考えない利己的な生き物であれば、きっと私たちは今ここに存在していないだろう。

「誰かのため」「社会のため」という言葉は人の心に響くフレーズだ。「〜ため」という文脈で自分の行動を意味づけしていると、心の奥底から行動力が沸々と湧いてくる。

実際、人間は自分のために生きるよりも、他人のために生きるほうが力を発揮しやすい生き物なのかもしれない。しかし、人間は常に自己利益のために行動を起こしていることも忘れてはいけない。

人は常に利己と利他の狭間をさまよい、自分のためになることと他人のためになることの境界線を行ったり来たりしているのだ。


利己と利他

たとえば、一般的に芸術的な営みといわれていることを思い浮かべてみよう。

本を書くことや曲を作ること。絵を描くことや写真を撮ること。小説を書くことやモノを作ること。どれも自己満足的な行動に見えるものだが、どれも「他人のために」という意味づけができる活動でもある。

本を書くのは誰かに何かを伝えるため。曲を作るのは聞いてくれた人に力を与えるため。絵を描いたり写真を撮るのは見た人を感動させるため。小説を書くのは読む人を楽しませるため。モノをつくるのは社会をより良くするため。

基本的に、人がおこなう行動は利己的なものと利他的なものに分けることができる。言い換えると、自分のためか、それとも他人のためかということだ。


自分と他人、どちらのために生きるか

実際には、人がおこなう多くの行動の中には、利己と利他の両方の感情が混じっていることが多い。人は自分の楽しみのために本を書き、誰かのためにも本を書く。

利己と利他は対立するものではなく、互いに影響を与えるものなのである。つまり、利己心なくして利他心なし。逆もまたしかりだ。

いくら人間が利己的な生き物だとしても、自分のことだけを考え、自分のためになることしかしない生活を送っていると、そんな人生や自分に嫌気が差してくる。自分の人生だから自分さえ楽しめればいいと思っていても、利他的な本能がそんな自分に抵抗するのだ。

たとえば、お金のためだけに仕事をしている人が、やりがいや充実感という感情を感じられず、嫌気が差して仕事を辞めることが多いのがいい例である。

しかし、他人のためや社会のためだけに行動するのも、「自分の人生なのにどうしてこんなことしてるんだろう?」と嫌気が差してくる。芸能人が自由になりたいとか普通の人生を送りたいと引退するのがいい例である。

つまり、人間の利己と利他には互いにないものねだりな側面があるのだ。自分のためだけに生きていると他人のために生きたくなり、他人のために生きていると自分のために生きたくなるのだ。


利己と利他のバランスが大事

何か行動するときに大事なのは、自分の人生を生きていると実感する利己的な心と、他人や社会の役に立っていると感じる利他的な心をバランスよく持つことである。

利己と利他はどちらかを満たしているだけでは成立しない。利己の心を満たしつつ利他の心も満たさないと、自分の人生に意義が感じられなくなるのだ。

たとえ自分のために生き、常に利己心を満たす生き方をしていても、自分の行動が他人や社会にとって意味がないと感じてしまうと無気力になる。逆に、利他心を満たしていても、それで自分の時間がごっそり奪われてしまうのであれば、自分の行動が他人のためになっているとわかっていても、やはり段々と無気力になってくる。

さきほども述べたとおり、利己と利他はないものねだりなので、今の自分にないものを求めてしまう。だからこそ、利己的な心と利他的な心のバランスを保つことが大事なのだ。

ある場面では利己的に行動しつつ、それでいて誰かの役に立っている。これがもっとも満足度が高く、満たされた心の状態である。


人間は利己的であることを知る

決してやっちゃいけないのは、本当は満足していないのに、他人の役に立っていることで満足していると思い込むことだ。これはワーカーホリックになっている人間によく当てはまる状態だ。

そして、決して人間が利己的な生き物である事実から目を逸らしてはいけない。人間は本質的には自分のために生きなければ満足できないのだ。

自己満足は利己心と結びつき、利他心は「〜のため」にやってこそ満たされる。そのため、他人の役に立っていることと、自己満足は切り離して考えなければならない。相関関係がないものを結びつけて自分を誤魔化しちゃいけない。自分に嘘をつく生き方からは決して満足した生活は得られないのだ。

リチャード・ドーキンスの「利己的な遺伝子」という本の中では、「人間は遺伝子の乗り物に過ぎず、子孫を繁栄させるという遺伝子の目的に沿って人間は行動している」と述べられている。

つまり、人間が自己満足や利己的な行動をとるのは自然なことであり、他人のために生きようとするのは不自然なことなのだ。


利己的な心と利他的な心を結びつける

もちろん、他人のために生きることが自分の利益につながることもあるだろうし、それにより子孫繁栄のチャンスを増やせるケースもある。だが、仮にそうだとしても「行動の裏には自己利益の追求がある」という側面は排除できない。

たとえどれだけ「他人のため」と言葉で言っていたとしても、その裏にある自己利益から目を逸らすべきできはない。現代では自己利益を追求する人を揶揄する風潮もあるが、それは人間を含めた生物への理解と知識が足りていない。ある意味、生物への冒涜でもある。

感情論的に利己心や自己利益の追求を揶揄したところで、人間の存在意義や目的を変えることはできないのだ。私たちは、利己的な生き方や自己利益を非難するのではなく、それが生物の自然な行動であることを理解しなければならない。

そして、利己的な行動が他人や社会の役に立つようにする。つまり、利己心と利他心を結びつけなければならない。利己的な行動が他人のためになることもある。考えるべきはその方法である。

他人の迷惑にならない限り、利己的な行動や自己利益の追求は決して悪いことではないのだ。


利己的な行動と利他的な行動

さて、一般的には利己的な行動は自己中心的として揶揄されることが多く、利他的な行動は優しさや思いやりが軸になった行動だと思われているだろう。利己的で自己中な人間は周りから批難され、利他的で他人想いな人間が周りから好かれる。

たしかに利己的な人間は自分の利益ばかり考えていてうざったい奴が多いが、だからといって利己的で自己中なのがダメなわけではない。何度も言うように、そもそも人間は遺伝子的に利己的な生き物であって、すべての生物は自己保存と複製を目的に生きているからだ。

自分の場合はさらにそこに懐疑主義としての認識が織り込まれているため、利他的な行動をする人間のことをすんなりと受け入れることができない。もちろん何か嬉しいことをされれば嬉しく思ったり喜んだりするが、でもその裏では「この人は本当は何を考えているんだろう?」と裏の意図のようなものを探ってしまう。


利己的な人間の定義

私は周りからすれば利己的な人間に映っているだろうと思う。普段から好きなことばかりしているし、自分の時間を邪魔されたり侵害されたりするのが一番嫌いだ。自由のためならどこまでも利己的な姿勢を貫く意思も持っている。

でもそれは「自分さえ良ければいい」と思ってるわけじゃない。というのも、利己的や自己中心的には2つの意味があると思って行動しているのだ。

利己的かつ自己中心的な行動の定義としては「周りへの迷惑を顧みず、自分の利益のことだけを考えた行動」だと言えるだろう。多分「自己中」と聞いて頭の中に思い浮かべるのはそんな人だろうと思う。他人に迷惑をかけ、自分さえ良ければそれでいいと思ってるようなクソ野郎、それが一般的思われている自己中心的な人間だ。

しかし、さきほども述べたように、「自分さえ良ければそれでいい」という態度は利己的や自己中心的の一つの側面でしかない。自分が思ってる自己中心的な人間はそれとはちょっと違っていて、利己的かつ自己中心的に行動しながらも、利他的であるかのように行動できる人。それが自分がイメージする自己中心的な人間である。


利己的な行動が利他的になる

さて、利己的で利他的、自己中心的で他人想いというのは一見すれば矛盾したものに思うだろう。でも実際はそうではなく、これらは互いに根底の部分で密接につながってるものである。利己的だから自己中心的になるわけではないし、自己中心的だから利己的な人間というわけでもない。

利己的な行動が利他的な行動になり、自己中心的な行動が他人想いの行動になる。だから自己中心的でいることを悪いとは思っていないし、利己的な人間のことも批難しないし否定もしない。人間は元々そういう生き物であって、それでいて社会や他人と相互接続しながら共生することも可能だからだ。

利己的から利他的、自己中心的から他人想いという矢印の流れについて詳しく説明していこう。一般的に思われている利己的で自己中心的な人間は「自分さえ良ければそれでいいと思っている人」と述べたが、その側面での自己中心的な人間はほんとクソ野郎だし一切近づかないほうがいい。付き合うだけ時間の無駄で時間とお金と自由を搾取されるだけでメリットは何一つない。

でもそれは利己的かつ自己中心的な人間の一側面であり、利己的な人間の中にも他人想いな人間がいる。利己的な行動が利他的な行動に、自己中心的な行動が他人のためになる行動になることが現実の世界ではよくある。これは一体どういうことだろう?


利己的な行動に潜む内的動機

たとえば、「他人に優しくする」という行動を考えてみよう。

おそらくほとんどの人は「他人に優しくできるのは利他的な心があり、他人想いな人だからだ」と思っているだろう。もちろんそうした人もいるだろうけど、自分のために他人に優しくする人間も少なからず存在する。同じく、「ほかの誰もやりたがらないことをやる」という利他的な行動であっても、利己的で自己中心的な人がその役を買って出ることもある。

行動だけを見れば矛盾しているように思うだろうし辻褄が合わないだろう。利己的な人間がなんでわざわざ利他的な行動をするのか、自己中心的なくせになぜ他人のためにわざわざめんどくさいことを引き受けたりするのか。

この内的動機がわからない人は利己的な人間については理解できないだろうし、そもそも理解しようともしないだろう。「自己中心的=自分のことしか考えていない」と短絡的に結び付けてしまう。

もちろんそれも一つの事実ではあるのだが、見るべきは行動ではなく、その行動に潜む内的動機のほうである。


自分のためが他人のためになる

古代の実践的な哲学であるストア派の人たちは、「思慮・勇気・正義・自制」を行動原理としていた。これらは「徳」と呼ばれ、ストア派は徳に沿って生きることを目的としている哲学だ。

たとえば、ストア派が人に親切にするのは他人のことを思っての行動ではなく、そうすることが自分のため、つまり徳に沿った行動であると考えているからこそ他人に親切にするのである。

困っている人がいれば助けるのも、他の人がやりたがらないことを率先してやるのも、すべては「徳に沿って生きる」という目的のためになされる行動であり、そこに潜んでいる内的動機は利他的ではなく利己的、他人想いではなく自己中心的な考えが基点となっているのだ。

私はストア派の思想に大きな影響を受けたこともあり、実生活での行動原理もストア派に非常によく似ている。自分が正しいと思うこと、自分のためになること(自分が良ければいいという意味ではない)を指針としている。

自分が良ければいいという動機と、自分のためという動機はまったくの別物だ。根底では自分のために行動していたとしても、それが徳に沿った行動である限り、その行動は自然と他人や社会のためになる。

逆に、他人や社会のためにならない行動は徳に沿っていないため、それは単なる自己中心的な行動として片づけられてしまう。利己的な行動は、動機こそ利己的ではあるが、その二次的影響は他人や社会のため、つまりは利他的な行動となるのだ。


利己的な意思に徳を加える

利己的な行動が利他的な行動に、自己中心的な行動が他人のための行動へ。エゴイズムがアルトゥルイズムへつながり、利己と利他は対立するものではなく相互に影響し合うものである。

そして、あくまでも「徳に沿った」という前提がある場合にのみ限るが、利己的で自己中な行動は悪いものではなく、むしろ推奨されうるものでもある。

実際、自分は利他的な人間だとか、他人想いな人間だと思われている人のほうが信用できなかったりする。ストア派の利己的な意思は自分のためという内的動機を持ちながら他人のためになる行動をするが、優しくて他人想いな人間は裏で何を考えているかがわからない。

もちろんすべての人がそうだとは言わないが、人間は平気で嘘をつき、裏切り、惨めで、儚く、醜い生き物なのだから、言葉で何を発していようが心で何を考えているかわかったもんじゃない。

それならハッキリと自分のために行動してます、と述べている人間のほうが信用できたりする。これは人間性を測るヒューリスティックのひとつだ。

人間の本能は自己保存と複製にあるのだから、その確率を高める自己中心的な行動ほど信用できるものもない。ストア派ではそこに徳を付け加えることで他人と社会との共生を見出している。

一般論での「自己中で生きよう!」は本当に自分の利益しか考えていないクソ野郎ばかりなので信用できないが、自己中も少し視点を変えるだけでプラスにすることができる。

そのためには徳が必要なるが、「我慢=美徳」みたいな徳の皮を被った戯言なんかじゃなく、本当の意味での美徳を身につけることは究極的には自分のためになり、二次的な効果として他人や社会のためになる。

これこそ、利己的な行動の本質なのではないだろうか。


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