仕事の意味とは?人間にとって仕事とは何なのか。
人間にとって「仕事」とはどういう意味を持つのだろうか。
言うまでもなく、仕事に対するイメージは一人ひとり違う。仕事をめんどくさいものだと思う人もいれば、楽しいものだと感じている人もいる。人間の義務だと言う人もいれば、お金や生活のために仕方なくするものだと答える人もいる。
一般的には、仕事は「できることならしたくないもの」と思われているといっても過言ではないだろう。日曜日の夜に「明日仕事行きたくない」と呟く人のほとんどは「できることなら働きたくない」と思っている。
あるいは、お金さえあれば仕事なんてせずに毎日遊んで暮らしたい、といった考えを持っている人が大多数である。仕事に対する考えは人それぞれなので、「人間は仕事をしないとダメになる」だとか「働くことは大事だ」という価値観を押しつける気はない。
仕事はめんどくさい、できることなら働きたくない。そう思うのも当然であり、そうした考えを持っているのが人間らしさともいえる。しかし、仕事についてもっと深く踏み込んで考えてみると、人間にとっての仕事とは、実は「生きる意味」なのではないかと最近思うようになった。
だが、これは私個人としての「仕事観」に過ぎないので、誰かに共感を求めたり押しつけたりする気はないし、同意してもらいたいと思っているわけでもない。読み進める人は、「そんな考えもあるんだなぁ」と寛大な気持ちで読んでみてほしい。
仕事は人間の生きる意味
まずはじめに、「仕事が人間の生きる意味」とはどういうことか?
結論から述べると、「人間は仕事があるから、人間らしく生きられる」という意味である。つまり、人間にとって仕事は充実した人生を送るために必要なものであり、「仕事をしない人間は、人間らしく生きていない」というのが私の持論である。
もう少し噛み砕いて説明すると、仕事とは会社に勤めて8時間労働し、その対価として給料をもらうものではない。もちろん、フリーランスで企業から業務委託の形で働いて収入を得るものでも、自営業としてビジネスをはじめることでもない。
仕事とはもっと広い意味として考えるものであり、私はその人の「やりたいこと」がその人にとっての「仕事」という意味で解釈している。そのため、極論を言えば、ただゲームをしているだけでも、それがその人にとっての「やりたいこと」であれば仕事だといえるし、映画を見るのも旅行に行くことも仕事だといえる。
世間では「仕事=働いてお金を得ること」という解釈が一般的である。ゆえに、働いていない人は必然的に仕事をしていないと判断される。でもちょっと待ってほしい。
その解釈は一体どこから来たのだろうか?
なぜ働くことが仕事になるのか?
社会で労働と見なされていないものは、お金を稼げても仕事にはならないのだろうか?
さらに言えば、働かないでお金を得ている人は、仕事をしていないのだろうか?
逆に、働いていてお金を得られない人は仕事をしていないのだろうか?
ボランティアは仕事なのか、そうではないのか?
頑張って事業を成功させ、毎月何もしなくても一定の収入が入ってくる起業家は仕事をしていないのか?
「仕事=働いてお金をもらう」は間違い
「仕事」という言葉に対する解釈は、世間の空気感である。
仕事の意味について深く考えることをしない人たちが、働いているから仕事している、お金をもらってるから仕事している、会社に出勤してるから仕事している、と勝手に解釈しているに過ぎない。
世の中の常識や当たり前といった言葉の多くも正解や間違いで語れるものなどではなく、ただの世間の空気感で意味を持たされているに過ぎない。
言葉の一つの解釈に対して大多数の人が賛同すると、その解釈が世間の空気感によって「一般的」になり「正しいもの」になっていくのだ。
おそらく大多数の人たちは、人生でもっとも時間を捧げるのは仕事だろう。社会人になれば1日8時間勤務/週5日労働を淡々とこなしながら生きていくことになる。人によっては、7時間労働の人もいれば週休3日制の会社に勤める人もいるし、逆に休みは週1回の日曜だけで、毎日残業の嵐という人もいるだろう。
仕事がそれだけ人生の中で大きな割合を占めているのにも関わらず、仕事という言葉の意味の解釈について真剣に考えないのはどうなのだろうか。子どもの頃に教えられた「仕事=働いてお金をもらうこと」という解釈をいつまでも握りしめながら、「働きたくない」と嘆きながらも永遠と働き続けるのはある意味拷問ともいえる。
私は、仕事の本質はそんなものではないと思っている。人間にとって仕事とは、生きる意味そのものなのだ。だからこそ、「仕事」という言葉を「労働」という意味の中に閉じ込めてはいけないと思う。仕事と労働は似て非なるものだ。
ワークアズライフとワークライフバランス
私は、やりたいことをやっている人は、みんな仕事をしている人間だと思っている。
最近は、仕事とプライベートを分けず、すべてが仕事であり趣味の時間と考える「ワークアズライフ」という考え方が人気となっているが、そもそも仕事は人間と切り離せないものであり、生活とも切っても切れない関係性だ。
ワークアズライフと対をなすのが、みなさんご存知の「ワークライフバランス」だが、ワークライフバランスは仕事を労働と考えることを前提にしている。仕事と余暇を完全に分け、生活をワークとライフに二極化しよう、というのがワークライフバランスの核である。
しかし、さきほど述べたように、仕事と労働は似て非なるものだ。一般的には、労働とは「お金を得るために働くこと」と定義されているが、仕事の本質はお金ではない。労働と仕事とごちゃまぜにしてしまうから、仕事でストレスを感じる人が多くなるのだ。
現代社会の解釈は「仕事=労働」となっており、仕事がお金を得るためだけのものになっている。しかし、そもそも人間は何かに束縛されるのを嫌う生き物だ。それが「お金のため」という理由で仕事に束縛されていると感じると、仕事がストレスになってしまう。
言うまでもなく、私はワークライフバランスには否定的だ。仕事は生活と切り離して考えるものではない。何度も言うが、人間にとっての仕事は生きる意味であり、生活そのものであり、アイデンティティであり、人間らしさそのものなのだ。
だからこそ、この世に生きていて仕事をしていない人間は存在しない。生きている限り、みんな何かしらの仕事をしている。再び極論を述べると、ゴロゴロすることが仕事の人だっているのだ。ゆえに、私の中では「仕事が嫌い」という人は、「人間でいることが嫌い」という解釈になる。
仕事は生きることそのもの
はじめにも述べたように、ここで書いていることはあくまでも「仕事」に対する私の解釈である。
人によっては「はぁ?仕事は働いてなんぼだろ。労働してお金を貰うことが仕事なんだよ」という反論をしたくなる人もいると思う。だからこそ、個人的な意見として私の仕事観をまとめてきた。「他人に押しつける気はありません」というスタンスで。
私にとって仕事は生きることそのものだ。職業的な仕事はもちろんのこと、好きな仕事、やりたい仕事、趣味としての仕事、それらすべて「仕事」という広い枠組みの中にある。決して「労働」というお金を得るためだけの小さな枠組みの中での話ではない。
現代では自分の仕事に対して誇りを持っていない人は多い。くだらない仕事、なくても誰も困らない仕事、やる意味がないような仕事を生活のためにやっている人もいる。デヴィット・グレーバーが言う「クソどうでもいい仕事」というやつだ。
しかし、どんな仕事であっても、その仕事に意味を見出すのは自分自身だ。それぞれの仕事に固有の意味があるわけではない。意味は常に自分で見つけていくものである。
「仕事は大変なもの」という一般的な価値観を押しつけられて育った大人たちは、仕事を労働にすり替えながら毎日働いている。それでは仕事に捧げている時間がもったいない。人生は有限でたった一度きりなのだ。
【まとめ】仕事に対する意識はいつでも変えられる
子どもの頃の「なんで?」という疑問は、大抵大人たちに「そういうもんだ」と誤魔化されてしまう。それなのに、大人になるとなぜか「なんで?と考えるのが大切だ」などと言われたりする。
矛盾だらけの現代社会の中で自分らしく生きるには、普段あたり前に使っている言葉の意味について、自分の頭で考えることが大事なのだと日々実感する。
仕事に対する嫌悪感も、実は子どもの頃の価値観をそのまま持っているからこそ感じているのかもしれない。仕事に対する意識や意味は、常に自分で変えられるものだということを覚えておこう。
仕事や働く意味についてもっと深く考えたい人は、以下の記事もぜひ読んでみてほしい。
仕事は人生を豊かにし、人間にアイデンティティを与え、生きる意味をもたらしてくれるものだ。仕事を嫌悪しているすべての大人たちに告ごう。
仕事は生きることそのものである。
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