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英語化は「貧困国化」であるということ

僕は最近、中野剛志氏の言論に関心を持って追っているのですが、そのなかで、中野氏が著者である施光恒氏と共に『英語化は愚民化』(以下、「本書」と呼びます。)の出版記念トークショーに出ている動画を見つけ、そのトークショー自体の内容が大変興味深かったこともあり、本書を読んでみることにしました。

本書のタイトル『英語化は愚民化』とは、なかなか強烈です。一般的には、英語を学ぶことは、視野を広げる、活躍の場を広げるということで、非常に肯定的に捉えられているからです。しかし、この本は、タイトルにもある通り、上記のような発想の延長として学問やビジネスを日本語から英語へとシフトしようという流れに対し、一石を投じたものです。結論から言えば、名著です。

大きく分けると、本書において特に強調されている内容は、①一般論としての、学問を外国語でやることの問題点、②英語化に伴って失われるであろう日本語・日本文化の具体的な良さ・強み、ということになるかと思います。ここでは、前者についてのみ概観したいと思います。

ただ、ここに書いてあることは、あくまでもごく一部でしかなく、さらに私自身の解釈も含んでいる可能性があるため、さらに気になる方は実際に本書をご購入されてご自身で読まれることをお勧めします。


現地語で学問をすることが、ヨーロッパ社会を発展させた

最近では、大学の授業を英語で行うべき、という動きが非常に盛んになっています。2013年の第4回産業競争力会議では、一流とされる大学においては、今後10年のうちに、5割以上の授業を日本語ではなく、英語で行うようにすべきだという目標数値が提出されているとのことです。実際の政府としての取り組みとしても、「スーパーグローバル大学創生支援」というものがあり、その補助金の配分については、英語で行う授業の割合が重視されるのだというのです。また、小学校においても、3年生から英語の必修化が始まっています

このような背景には、「村落共同体→国民国家→地域共同体→世界政府(グローバル)」という通俗的な歴史観が流布していることがあるとした上で、そのような歴史の認識は間違っている、と著者は言います。

現実は上記のような歴史観とはむしろ逆で、昔のヨーロッパでは、「普遍語」であるラテン語によってのみ、学問が行われていました。それが意味するところは、現地語とは別にラテン語も習得することができた特権階級、つまり当時のグローバルエリートに学問が独占されていたということです。つまり、ラテン語を理解できない大多数の庶民には、学問にアクセスする余地がなく、一切の知的な情報は完全に閉ざされていたのです。

しかし、宗教改革でラテン語の聖書がドイツ語やフランス語、英語などの「現地語」に翻訳されるようになったことを契機として、さまざまな学問が上記のような「現地語」で行われるようになり、庶民も努力すれば学問にアクセスすることが可能になりました。そして、まさにこのことが、ヨーロッパ近代社会の急速な発展を可能にした原因であった、というわけです。

である以上、今の日本における風潮のように、学問を日本語のような「現地語」ではなく、英語という「普遍語」によって行うように改革するということは、国民国家の飛躍的な発展を可能にしたその基礎を、自ら掘り崩すような営為なのです。

明治維新の成功の鍵は、日本語で学問をすることにあった

著者は、日本の過去においても「英語公用語化論」はあった、と言います。他でもない、明治維新の時です。その急先鋒は初代文部大臣でもある森有礼であり、彼は、日本が列強と伍していくためには、公の言語を英語として統一するべきであり、そのためには初等教育から英語を教授言語とし、政府機関での公用語も英語とすべきである、と主張していました。

しかし、そのような意見は、外国人の知識人達(イエール大学教授ウィリアム・D・ホイットニーなど)からはむしろ反対されていました。森有礼の「英語公用語化論」は、彼らから「母語を捨て、外国語による近代化を図り、それに成功した国など存在しない。学問のために外国語を覚えるとなると、その学習のために時間を割ける少数の特権階級だけが全ての文化を独占することになり、一般大衆との間に大きな格差と断絶が生じてしまうだろう」と喝破されていたのです。

また、「自由」や「独立」という言葉を西洋語から翻訳したことでも有名な福沢諭吉も、「英語公用語化論」には断固反対していました。彼は、英語を学ぶことの重要性自体は自らも強調してはばからなかったものの、森有礼の英語公用語については、「取るにも足らぬ馬鹿を言う」と一刀両断に切り捨てています。

そのような議論を経て、最終的に日本は、「英語公用語化」という道ではなく、日本語で学問ができるようにする道を採ったのです。このことの意義について、著者は以下のように述べています。

明治日本の場合も、「普遍」的で「文明」的だと思われた英語など欧米の言葉を、日本語に徹底的に翻訳し、その概念を適切に位置付けていくことによって日本語自体を豊かにし、一般庶民であっても少し努力すれば、世界の先端の知識に触れられるような公共空間を形成した。これによって、多くの人が自己の能力を磨き、発揮し、参加することのできる近代的な国づくりが可能となり、非欧米社会ではじめて近代的国家を建設できたのだ。

本書,p92

また、日本のように国語で学問を一通り学ぶことができるということは、それだけで大きな価値であり、世界的に見れば全く当たり前のことではありません。著者は、そのような例としてアフリカ諸国を挙げています。

 ガーナなどアフリカ諸国の多くでは、初等教育のはじめの段階は「現地語」を用いる場合が少なくない。しかし、初等教育の後半から中等教育にかけて、徐々に教授言語が英語に切り替えられていく。
 高等教育は、すべて英語が教授言語となる場合が多いため、英語ができない子どもには教育の門戸が閉ざされる。
 初等教育で落ちこぼれた場合。独学で知識や技術を身につけようにも母語で学べる環境は整備されていない。人文社会系、理数系、音楽や絵画・工芸など、いかなる分野であっても、言語障壁が能力を伸ばす機会を奪ってしまうのだ。
 つまり、言語の分断が、教育を受ける権利を制限するだけでなく、長い将来にわたる社会的・経済的不平等を定着させてしまっている現実がある。

本書,p115

言語とは先人から受け継いだ財産である

このように見ていくとわかるのは、日本語という国語、現地語で学問をすることができるということが、日本という国民国家の発展においていかに重要な役割を果たしてきたか、そしてそれがいかに当たり前ではないか、ということです。特に今僕がロースクールで学んでいる法学というのは、西洋から輸入してきた学問なわけですが、そのような学問をほぼ完全に日本語で学べているというのは、本当にありがたいことだと痛感させられます。

逆に言えば、「英語で学問をすべき」、「英語でビジネスをすべき」、「どんどんグローバル化すべき」という流れを推し進めていることが、いかに短絡的であり、いかに将来世代への負担を強いることになるのか、ということを、今を生きる私達がしっかりと認識しなければならないということでもありましょう。

先人達からこのような貴重な遺産を受け継ぎ、その恩恵を受けている以上、この遺産をまた後世にも残していくことが、今を生きる私達の義務である、とも言えるのではないでしょうか。

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