青山二郎を考察する

眼の哲学

青山の弟子:白洲正子、中原中也、小林秀雄、宇野千代、永井龍雄、柳宗悦、大岡昇平など。

青山の信仰とは、知識に依らず、眼を頭から切り離して、純粋に眼に映ったものだけを信じるという「眼の哲学」であった。やきものから学んだ眼力によって、骨董はもちろん、人間の真贋から社会批評まで、ズバリとその本質を言い当てる。青山の文章は、独特な比喩とともに難解なところもあるが、知識ばかりが横溢する現在、もっとも辛辣な文明批評となっている。
人は眼玉で見たものを頭で判断し過ぎる。眼玉で見たものを銘々の流儀に従属してみている。眼玉で見たものを眼玉で受け止めるべきと言う。

「私が言いたいのは、人が放心状態の時に物が映る、あの目玉の働きにも似ています。知り過ぎるほど知っている友達の顔を、突然そこに見ながら、茫然と彼は一個の人間の顔を眺め出します。何の観念も働いていません。頭は今完全に静止しています。この場合、眼玉が私でなければなりません。下等動物のような眼が、自我を持たぬ眼玉という私に変じます。「黙って坐ればピタリと当てる」眼です。」

そもそも青山二郎は「見て」いない。見るのではない。観じるのである。何を観じるかというと、物の正体を観じる。「見るとは、見ることに堪えることである」とも言うし、「美は見、魂は聞き、不徳は語る」とも言った。
 これでは鑑賞の言葉は効力を失う。言葉が外へ出てこない。語るようではお仕舞いなのだ。(ヴィッケンシュタインの言語ゲーム)禅僧に「貴僧が悟られた説明をしてください」と聞くようなもので、一喝されるだろう。青山が語った名文句「眼に見える言葉が書ならば、手に抱ける言葉が茶碗なのである」

民藝批判
「作為があっては工芸美術の真の価値を低くするという言葉は分らない。下手物は唯(ただ)下手物の世界であり工芸の自然物の美しさである。上手物は上手物の世界であり工芸美術の意識された美の世界である。」「古作品は寧ろ消極的な自然物の美しさである。上手物の世界は積極的な美しさだ。」
工芸は「無心」だけがいいのではないと云い、下手物と上手物を平等に見ており、作家という存在も擁護している。

そして、痛烈に云っているのが以下の言葉だ。
「民藝の理論を抽象化した物は、一つ見ればみな分るという滑稽な欠点をもっている」。

白洲正子の言葉
柳宗悦が、茶道があまり洗練され過ぎ形式化されて、本来持っていた自由さを失くしたことに批判的だったことを好意的に採り上げ、

ただし「だいたい茶器と民藝を分けるのがおかしなことなので、私は古今東西の美しいものなら何でもいいと思っている」と云い、柳の親友だったバーナード・リーチも美については同じようなことを云っている。
白洲は柳の民藝に一定の評価を与えながら、民藝が実際には地方工芸のボス的な者に利用されたことなども嘆いた。「それまで無心に作っていた人々まで混乱させてしまった」と。「いっそ民藝なんて言葉がなくなってしまったら、どんなにか風通しがよくなることか。そんな風に思う時もある」。
民藝には「先に理論だけが突っ走って、作品が追いつけなかったきらいがないでもない。」


青山語録
利休は前代未聞の目利きだった。

眼が生活の糧になろうはずがなかった。これには誰もが仰天した。利休はまず「茶」という場所を立てた。ただ何事もなくのむだけの茶である。だが利休はそこにとどまらなかった。茶にはあらゆる眼が配られた。茶室に器に花に掛け軸、茶杓、茶入れにはじまる道具立て、庭の椿からあらゆる場所に眼があり、眼にかなうと銘があたえられる。そしてこの案配が好みとなり、眼を代表していく。
この眼の行き処に価値がついた。打ち捨てられていた器に法外な値がつく。利休の眼にかなえば、自分の器だって一夜にして家宝になる。誰もが利休の眼を欲した。

茶の湯といえばいまではなかば作法に見えてしまうが、利休にとってはなによりも目利きの空間だった。ただひとつのこの空間に、先を争うようにあらゆる物がもちこまれる。器ばかりではない。政から謀までもちこまれる。そして利休の眼をもって事をはかった。

利休は当時、誰にも理解された大家だった。彼等は茶碗の真贋について、床の間の軸について、花の生け方から炭の注ぎ方に到る迄、利休の責任を事毎に要求した。

ここに茶であって茶でない、茶を入り口とする別世界が結構した。これが利休のはじまりだった。利休が眼を発揮するまでは、利休は一介の商人だった。物を扱うには見る目が必要だが、利休は自分の類まれな眼の存在に気がついた。十分に鍛えられていた。そして商いから展じ、さらに精神世界と結構する。それが利休の道だった。

町人から商人から武将から太閤まで、あらゆる人々が利休の立てた目利きの空間を欲しがった。おそらく利休にも野望があった。大陸からキリスト教にいたるまで、あらゆる場所に「眼」を利かせようとした。

茶室が陰ぼうの場所に利用され、利休を利用していた者達は、彼が凡ての密会の鍵を握ったと誰も思った。これ程怖しいことはない。あらゆる隠事(かげぐち)が利休という無欲な茶坊主を通して行われた。今や利休は冷酷無比な男としての中立者だった。

気がつくと、誰も利休を止められなくなっていた。だが利休に陰謀があったわけではない。ただ、どこまでも眼になってしまいたかったのだろう。

利休を語るにはまず「眼」、そして「全身の研ぎ澄まされた感覚」、そしてそれによって結構する「好みの空間」、この三つを同時に語らなければならない。そこにはじめて利休が傑出する。
「利休はトルストイ」と語る。利休の根本思想には茶道も礼儀もなく、その“なさかげん”が茶碗に残ったというふうに見た。そのアナーキズムさ、さらに茶に殉じた精神がトルストイか?

・金持ちの骨董弄りとは、何でも手当たり次第に買い集めて悦に入っているようなもの。人が来て誉めてくれれば、自分もそれを見直して喜んでいるし、人が貶めれば自分でもそんなものかと思って、好きでなくなってしまう

・発見とは、発見の前に発見すること。偶然に見つかるのも発見だが、何もなければ発見できないものを発見するのが発見

・ある人は、「美術品というものは存在しない。あるものは美だけ」と言うが、この考え方が裏返しになって、「美というものは存在しない。在るものは美術品だけ」というふうに、頭の働きよりももっと実際的な眼の働きというものを、頭が信じるようになる

・正しい眼はすべて最適な条件で、健康な肉体にかかっているというよりほかに、証明の法がない

・骨董屋の眼は、物を見たというのではなくて、それは趣味という一観念を模倣する思考の働き。眼は常に正しいからとして、模倣を強要され、我々の眼玉は信じられないほどに、段々と思考に征服されている

・「感じが来る」ところから、改めて「見えて来る」までの間が、一番骨が折れる。見えるということは、陶器の生命とするものが、人の顔のように、銘々各々が異なる様に異なる事が分かるということ

・見える眼が見ているものは、物でも美でもない。物そのものの姿。物の姿とは、眼に映じた物の、それなくしては見えない人だけに見える物の形、つまり、形ある物から、見える眼のみが取りとめた形

・ぜいたくな心を清算する要はない。ぜいたくに磨きをかけなければいけないのだ

・自分で自分が解らない、これだけが芸術家の源動力。そして、それを理解する鍵

・美とは魂の純度の探求。他の一切のものはこれに反する

・一度茶碗を愛したら、その茶碗は自分にとける。一度人を見たら、人が自分の中にとける。自分の血の中にそれらがとけるように、精神も受けただけのものは、自分の血肉の中にとける

・大衆は肉を食うが、大衆には胃袋がない。博物館に何十万人の人が行くが、彼らには思想がない。美を汚す理想がない、批評がない。だから罪はない

・美は見、魂は聞き、不徳は語る

・真贋というものは、賭け碁のようなもので、直観とは別のもう一つの感情と判断を必要とする

・未熟な芸術家の純粋な駄作は、駄作でも何でもなく、自然に消える時が来れば消えるつぼみ

・見るとは、見ることに堪えること。堪えるとは、理解することではない

・今に黙って食えるだけの金が手に入ったら、文章や画を売らないで、遊んで暮らすこと、これが生活信条

・芸術は衣食の手段にするものではない

青山二郎は「美なんていうのは、狐つきみたいなものだ。空中をふわふわ浮いている夢にすぎない。ただ、楽しいものがあるだけだ。ものが見えないから、美だの美意識などとうわ言を吐いてごまかすので、みんな頭にきちゃってる。」と言った。これも、「美しい「花」がある、「花」の美しさといふ様なものはない。」という小林の言葉に通じるものがある。

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