父親の浮気発覚から1年後に生家を失ったけど質問ある?(17/20)
『再会』
父親の浮気発覚から2年4ヶ月後
上記のnoteの続きです
▼新しい環境での1年間
家族がバラバラになり、ある意味で「第2の人生」ともいえる新たな環境での最初の1年は、あっという間に過ぎていきました。母は訪問介護の仕事を休み無しでこなしていましたし、ボクも大学に通いながらアルバイトを掛け持ちしていました。
家には、テレビも電子レンジもエアコンもありませんでしたが、逆に「無い」ことによって、現時点ですでに持っているものを大切にし、ひとつひとつの物事に対して感謝の気持ちを強く抱くことができました。
加点方式か減点方式かの違いだと思いますが、個人的には「持っているもの」や「できること」に着眼する加点方式が好きです。目が見える、耳が聞こえる、自分の足で歩ける、それだけでも自分はありがたみを感じます。
一方で減点方式だと、「持っていない」や「できない」など、「無い」ことばかりに意識がいってしまい、だんだん憐れになってしまう気がします。
話を戻しますと、のちにテレビと電子レンジは母の職場の人から譲り受けることができ、リビングでテレビが観られること、冷凍食品が手軽に食べられることに感動しました。
大学では面白い出会いもありました。新学期になって履修登録した英語の授業の先生が、実はご近所さんだったのです。先生の家に遊びに行ったり、授業を手伝ったり、良い関係を築くことができました。
大学での昼食は、主に次の3種類でした。
【普通】学食のたぬきそば/うどん(260円)
【贅沢】近隣のラーメン屋さんや洋食屋さん(平均750円)
【質素】家で作ったおにぎり2個orピーナッツバタートースト1枚
引っ越したばかりのころは質素な昼食が多く、あるとき学食でおにぎりを食べていると、調理場のおばさんに「よかったら、お味噌汁どう?」と気を使って頂いたことがありました。
酷いときには水だけで我慢ということもありましたから、そこから比べれば、1年でだいぶマシになったと思います。
小さいころから食べることが好きだったので、美味しいものを食べることがモチベーションになっていました。当時も今も、「好きなものを、好きなときに、好きなだけ食べられる」状態を生活の目安にしています。
この目安が、最低限のお金には困っていないし、忙し過ぎないし、精神的にもきつくない状態だと思います。
▼お金に対する価値観
引っ越しをした直後は、ひたすら我慢をして、お金を節約する生活を送っていました。しかし、アルバイトを始めたことで、お金を稼ぐことの楽しさや大変さを知り、お金の使い方が潔くなりました。
自分なりにお金の価値観を見出すことができたといいますか、自分や周りがプラスになることにはお金を惜しまず、逆に無駄なお金はほとんど使わなくなりました。
何に価値があって、何が無駄なのかは人それぞれですので、「△△にお金を使うやつはバカだ」と、特定のネガティブな用途を挙げることは控えたいと思います。
ただ、ポジティブな用途を挙げるとすれば、ボクは本をオススメします。自己投資として費用対効果がかなり高いです。知識が増えると視野が広がり、問題を解決しやすくなります。また、ブログやSNSでアウトプットすることで、そこからまた新しい知識を得ることもできます。
「どのようにお金を使えば額面以上の価値を得られるか?」を考えられるようになったのは、一度にいろいろなものを失った経験があったからこそだと思います。
▼祖父との再会
生家を失って1年が経過し、新しい環境での生活にもだいぶ慣れてきたころ、見慣れない番号から電話がかかってきました。
電話帳に登録されていない番号なので放置していましたが、その後も時間を置かずにちょくちょく同じ番号から電話があったので、次にかかってきたら出てみることにしました。
このしつこさは、まさか……
かつて、真夜中に電話してきた父の浮気相手から罵声を浴びせられた嫌な記憶がよみがえりました。もし、あの女だったらどう対応しようかと思案したのですが、見慣れない番号の正体は……。
「あ、もしもし。叔母さんだけど、元気? 久しぶり~」
意外なことに、しつこい電話の正体は、縁を切ったつもりでいた叔母でした。週に1日は母と介護を交代するという約束を破り、母からの祖父に対する伝言もすっぽかした、“あの”叔母です。
その叔母が、わざわざボクに電話をかけてきたということで、祖父母に何かあったのではないかと心配になりました。
「今、おじいちゃんがウチに来ていて、あなたに『会いたい』って言っているんだけど、どう?」
「おじいちゃんが千葉から来ているんですか?」
「そうなの。今おじいちゃんに代わるから、ちょっと待ってね」
そう言うと、叔母は祖父に電話を代わりました。
「もしもし、じいちゃんだけどよ。今、叔母さんのウチに来てるんだよ。お前、会いに来られないか?」
千葉での生活や祖母の体調も気になっていたので、叔母の家に行くことにしました。しかし、祖父や叔母の態度次第では、自分の心のなかの鬼が再び姿を表す可能性があり、何かの拍子に不躾な態度をとってしまわないだろうかと不安になりました。
複雑な気持ちで叔母の家に行くと、玄関の前では、祖父がひ孫と一緒にボクの到着を待っていました。
「おぉ、よく来てくれたな。ずっと待っとったよ」
引っ越しの際、祖父母にはもう一生会うことはないと覚悟していました。縁起でもない話ですが、次に会うときは、どちらかが亡くなったときだと考えていたのです。
▼杜撰な介護
家にお邪魔すると、リビングルームに通されました。ボクと祖父がソファーに隣り合って座り、テーブルを挟んだ向こう側に叔母夫婦が座りました。
引っ越し以降の出来事について聞きたいことがたくさんありましたが、もっとも気になっていたのは『祖母の現状について』でした。
「おじいちゃんに会うのは1年ぶりくらいだね……」
「ああ、そうか。もうそんなになるか。どうだ? 元気にやってるか?」
「うん、まぁね」
「そうか。母ちゃんも元気か?」
「休み無しで働いてるよ。おじいちゃんたちは?」
「んん、まぁ、なんとかやってるよ」
「新しい家はどう?」
「建て売りの家だから、あまり良くないんだよ」
「そうなの?」
「ああ。立てつけが悪いしよ。音も響くんだよ」
「それで、おばあちゃんは元気?」
「んー、ばあちゃんはなぁ……。ワケがわからんようになってしまったよ」
「ワケがわからんように」とは、一体どういう意味なのでしょうか。認知症が悪化して家族の顔も認識できない状態なのか、寝たきりの状態なのか、どこかの施設に入れられているのか……。
悪い想像ばかりが頭のなかを巡りました。
「ワケがわからないって、どういうこと?」
「俺にもよくわからないんだよ」
しっかりしてくれよ、じいさん……
「どういう状態なの?」
「ばあちゃんは認知症だろ? だからなぁ」
「認知症には波があるからね。身体は平気なの?」
「圧迫骨折したんだよ。家のトイレで転んでよ」
「圧迫骨折!? それで、おばあちゃんは今は大丈夫なの?」
「んん、何とかな」
呆れて何も言えませんでした。誰も祖母のトイレに付き添っていなかったのでしょうか。母には「おばあちゃんに何かあったらどうするの!」と言ってパートを辞めさせ、片時も目を離さないように強要していたクセに。
▼改めて思い知った伯母の粗雑さ
祖母が圧迫骨折をしたと聞いて、伯母に対する怒りが爆発しそうになりました。しかし、この場にいない伯母を誹謗しても仕方がありませんし、それはかつてボクと母が伯母にされたことだと思って、グッとこらえました。
「誰もおばあちゃんのトイレに付き添っていなかったの?」
「んん……」
祖父は渋い顔をしてうなずきました。
かつて母は、祖母の認知症を少しでも改善させようと、日常のなかにさまざまな工夫を凝らしてきました。昔のことを思い出させるようにおしゃべりをする回想法や後出しジャンケン、一人ジャンケンなどを行って、祖母の頭や手を刺激するように努めてきたのです。それなのに、注意を払っていれば防げたようなミスを起こして骨折させるなんて……。
動かなくなることによって認知症が進行したら、どうするつもりなのでしょうか。どうしていつもこの人たちは、母の苦労をことごとく無に帰すようなことをするのでしょうか。
「父ちゃんはどうしてるんだ? 連絡はあるか?」
「知らない。連絡も何もないよ」
「そうか。まったくしょうがないな」
あなたの息子ですけどね。
「オヤジは千葉へ顔出すの?」
「んん、たまに来るよ」
父は自分の親の心配はしているみたいで、少し安心しました。それにしても、祖母の圧迫骨折が気になります。すでにこの時点で伯母が杜撰な介護を行っていることが推測できますが、一応、千葉での介護を聞いてみました。
「おばあちゃんの介護はどんな感じ?」
「前にこっち(横浜)の家にも来ていた人、なんて言ったか、ほら……」
「ヘルパーさん?」
「そうそう、ヘルパーさんが週に何度か来てくれるんだよ」
かつて「介護士ごときに家のことに口出しなんかして欲しくないわよ!」と失礼なことを言っていたのは、紛れもなく伯母です。母には散々文句を言ってヘルパーさんや看護師さんを嫌っていたくせに、いざ自分が介護する側になるとヘルパーさんに協力してもらっているなんて、ことごとく言葉と行動が一致しない人です。
▼父との再会
祖父との再会から約1ヶ月が経った成人の日の朝。引越しをしてから音信不通だった父から「成人の日、おめでとう」というメールが届きました。普段の口数の少なさがメールにも表れています。たった一文でしたが、父からのメールは1年7ヶ月ぶりのことでした。
一応「ありがとう。頑張るよ」と返信しましたが、まだ父に対してどのように接するべきか、気持ちの整理がついていませんでした。浮気相手のことだって、「悪かった」とは言われましたが、こちらとしては「だから何?」という感じです。女からは謝罪もありませんし、ボクは顔すら知りません。
それからまたしばらくして、今度は「近いうちに会えないか?」というメールが届きました。歩み寄ろうとしているのでしょうか、父のなかで何かが変わったのかもしれません。複雑な思いを抱えながらも、ボクは父と会うことにしました。
数日後、指定された場所で待っていると、約束の時間ちょうどに父が現れました。
「久しぶり。ごはん食べた?」
「いや、何も食べてない」
「何か食べたいものはある?」
「何でもいいよ」
約2年ぶりに見る父の姿。そういえば、こんな容姿をしていた。こんな声をしていた。しゃべり方も変わっていない。
「遠慮しないで、いっぱい食べな」
「うん」
「元気でやってるのか?」
「なんとかね」
「お母さんは?」
「まぁ、元気だよ」
どこかぎこちない会話でしたが、この日、久しぶりに父親という存在を感じました。この世でたったひとりの自分の父親というものを。
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