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患者さんになった

2024年3月13日

患者とは:病気で医者の治療を受ける人。病気にかかっている人。

今日からわたしは患者さんになった。

主治医はとても言いにくそうに、そして気持ちを察するかのようにわたしに告げた。

「やっぱり…乳がんでした」

そこからはこれまで受けた数々の検査結果をとても細かく分かりやすく絵に書いて教えてくださった。もうそれなりに覚悟は出来ていたので淡々と聞くことはできたし、頭に落としこむことも出来た。病が判明し検査を受けているなかで、自分がこれ以上傷付かないよう悪い方に比重をおいて考える癖がついてしまったからかもしれない。そこにほんの僅かな期待だけちょこんとのせている状態。そんな気持ちもこれまで多く持つことはなかった。ホントにこれまでお幸せに生きてきたみたい。

何の根拠もない自信を多く持っている私は「大病はしない!」という自信も同様だった。コロナ禍でさえコロナに絶対ならない自信があったから、沢山食べて寝て運動して過度に恐れずそれなりに最低限の社会ルールは守りつつ楽しく過ごしていた。(だから22年の年末に罹患したときはとーっても驚いた!)

主治医と手術日を決めた。
4月17日(水) 前日から入院となる。
その日までにすべきこと、終わらせること、整えておくことが頭を駆け巡った。
大丈夫!そっとうなずく。

最後に「何の自覚症状もなくてこんなに元気な私が病気なんて嘘みたいです」と伝えた。主治医は「この状態で見つかったってことは初期中の初期であり絶対死なない。頑張って治療しましょう」と力強く言ってくれた。そうかやっぱりわたし病気なんだな。気持ちに寄り添い頼りになる先生で良かったと思った。

その後、専属の看護婦さんから入院にあたってのお話があった。看護婦さんという存在に安心したことと本格的に治療が始まるとおもったら泣けてきた。え、ここで?っていうような内容の節で…。笑えた。

そして「親に告知することが何よりもとっても辛い」と打ち明けた。少しだけ人生の先輩層であるその看護婦さんはご自身の体験と私の状況が重なった様で、とても親身に経験を交え、時に母の立場に立ちながら私の気持ちを解してくださった。こんなに沢山の時間を私にくれていいの?と心配になるぐらい。ありがたかった。

実家で暮らしている私。今年に入って1人で暮らす事を本格的に考え、夢中で探していた。理由はただひとつ。年老いた親に辛い思いをさせたくない。それだけだった。
辛いのはわたしだけで充分。わたしなら大丈夫。

旅行に行く体で手術をして、なに食わぬ顔で帰ればいっかー。当初は本気でそれを考えていた。

術前最後の外来が月末にある。「出来れば誰かと一緒にお越しくださいね」と看護婦さん。また辛くなると思うから…と。
それまでに親に告げるかどうしようか。
だめだ今夜もその答えは出そうにない。

家までの帰り道。

自転車に乗りながら頑張って口角をつり上げる。今年に入ってから毎日のルーティンになったことのひとつ。

澄んだ空に浮かぶ三日月と
ふんだんに輝くお星さまたち。
うわぁ~きれい!思わず大きな独り言(笑)
明日は快晴とよんだぞ!
頑張らずとも笑顔がこぼれた。

今日も辛いことだけじゃなかった。
いいことあったわ♡

ただいまー!

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