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真実の海
詩の一文字一文字は、真実の一滴一滴。
詩は真実の雫を閉じ込めた、真実の海。
言葉は愛。
言葉は愛そのもの。
言葉は愛を伝えるツール。
愛を広げるために生まれ、光の花を芽吹かせる種。
言葉の意味とは言葉の意(こころ)。
その言葉の音や、記号がそのうちに持つこころの表れ。
今存在するあらゆるものは、
α(アルファ)でありΩ(オメガ)。
すべてがはじまりであり、終わりである。
今日ある命に感謝をして、
祈りの言葉を詠うことにします。
「めぐりの歌」(下書き)
一、
巡りめぐりて不死鳥となり
巡りめぐりて少女となる
巡りは等しくみなを攫って
巡りは鳥をも人をも攫って
巡りは等しくみなを攫って
巡りは恋をも哀をも攫って
巡りはどこへ行くのだろうか
巡りとどこに行くのだろうか
花枯れ山の向こうにも
葉流れ川の行方にも
あの不死鳥はいるだろう
あの少女とともにいるだろう
二、
巡りめぐりて私となりて
巡りめぐりてあなたとなる
巡
やはり「見方を変える」って楽しいですね。
「私たちは魚の”死骸(死体)”を食べているのだ」、
「電池の入っていない(もしくは、コードに繋がれていない)ラジオは”死んでいる”のだ」など。
新たな見方で世界を捉え直すと、生まれ変わったかのような錯覚を覚えたり。
魂と霊、この二つは同じだと思いますか?
それとも違うもの?
目に見えるものに入っている状態をスタンダードとするものを”魂”、
その逆(つまり、目に見えるものには入っていない)の状態をスタンダードとするものを”霊”というのかなと思ったり。
取り留めもなく考えるって、楽しいですね
-ひめごじょ-
実家のある土地は昔“ひめごじょ(姫護所)”と呼ばれていたらしい。
地名の由来はわからないが、古地名が失われることに伴って失われたものも多そうで、この土地に何があったのか少し興味が湧く。
雲の流れは速度を増して
こうやってすべての圧力に鈍感になって
窓の向こうに見える、似非ではあるがそれでも”自然”と呼べる風景に目をやると、
とたんに目も回りそうな速さで進む社会というものから自由になれたような気になれる。
あまりに速度が大きすぎる『社会』という集合体。
私はその速さに付いていけなくなってしまった。
すっかり落伍者だ。
今の社会の何が自分に合わなかったのだろうかと考えるが、
どうにも息が詰まり
少しずつ変わっていく。
少しずつ変わっている。
きっと
その変化に後れを取ると、急激な変化が一度に襲ってくるのだろうか。
〈文章が書けなくなって、読めなくなって〉
この言葉と言葉のあいだには
どれほどのものが詰まっているのだろうかとそのあいだに潜り込む。
この一字には
どれほどの広さがあるのだろうかと、その一字と二人きりの空間に入る。