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空気みたいな存在なんて歳取ってから感じられればいい/青春物語25

「ねぇ永尾さんが歌うみたいだよ」
お菓子をほおばってる私を見て天野ちゃんが言った。
そのうち(勝手にしやがれ)の前奏が聞こえてきた。

壁ぎわに寝返りうって 背中できいている
やっぱりお前は 出て行くんだな

行ったきりなら しあわせになるがいい
戻る気になりゃ いつでもおいでよ
せめて少しは カッコつけさせてくれ
寝たふりしてる間に 出て行ってくれ
アアア アアア アアア…
  阿久 悠 作詞/ 大野克夫 作曲

「おお熱唱してるよ。今の心境か?」
天野ちゃんはおどけて言った。
「なんだか切ないよ。4年も付き合っていたんだよ」
そう言いながら私は少し涙目になっていた。

「しょうがないじゃん。出会いがあれば別れもあるんだからさ」
「そうだけど。どうせなら添い遂げたいじゃない。4年も一緒に居てさ」
「そんなのタイミングだよ。結婚する相手じゃなかったってことだけだよ」
「情は湧かないものなのかな?」
「湧いていたから4年もいたんでしょ。でもそれは愛情じゃないよ」
「そうかな。お互い空気みたいな存在になれたらいいんじゃない?」
「空気みたいな存在なんて歳取ってから感じられればいいんだよ。今は情熱的な愛を感じなきゃ」
「天野ちゃんって意外だわ」
「そう?桜田ちゃんが保守的なんじゃない?」
彼女はそう言ってケラケラ笑った。

永尾さんが歌い終わって私の方にやって来て言った。
「ねぇ桜田さん。本当に帰らなくていいの?」
ここに一緒に来てから初めて言葉を交わした。

「うん。だってもう帰れないもん。誰かに送ってもらうにもみんな飲んでるし」
私はそう言ってビールを一口飲んだ。

「ごめんな。俺が無理に連れて来ちゃって」
「違う違う。私が一緒に来たかったんだよ」
「俺、桜田さんが自宅通勤だってこと、すっかり忘れていたよ。家に電話した?」
「したよ。ちょっと怒られたけどね。大丈夫だから今夜は飲み明かそうよ」

陽水の(心もよう)が聞こえてきた。
萩原さんが歌っていた。

さみしさのつれづれに 手紙をしたためています あなたに
黒いインクがきれいでしょう
青いビンセンがかなしいでしょう
     井上陽水 作詞・作曲

「うちの会社、職場結婚が多いんだってね」
「らしいね。俺の部署、殆どそうらしいよ」
「管理部もだよ。総務課も経理課も両方」
「まぁどこの会社でも多いんじゃない?ずっと同じ空間に居ればさ」
「結婚しても社宅に住んで、ずっと会社のシガラミの中だよね」
「決してシガラミじゃないよ。敢えてその人その人の人生だからいいんじゃない?」
「私は何となく嫌だな。そう言うの」
「そう?俺、社内恋愛って憧れるよ」
彼は私の顔を見て笑った。

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