もちりぃぬ

生きづらい世界へ産まれてしまったひとです。 毒親に育てられ全てがそこから狂いだしました…

もちりぃぬ

生きづらい世界へ産まれてしまったひとです。 毒親に育てられ全てがそこから狂いだしました。 双極性障害二型(躁うつ) HSP 発達障害(疑惑、診断なし) これらを併発してどう生きていくかを語ります。 他にも何気ない日常を書いていきます。 拙い短文小説なども……。

最近の記事

リストカットがSOSのサインだと知らなかった頃

今私は辛いのだ、とSOSが出せないことがある。 私は何年にもわたり、リストカットをしていた。 それがSOSのサインだったのだ、と知った頃から今もまだ後悔し、過去の過ちの1つだったと思っている。  私は毒親から育てられ、顔色をうかがう生活に疲れ切ってしまっていた。 私がリストカットの方法を知ったのは今では手に入るかどうかわからない“完全自殺マニュアル”という本で、どうして家にあったのかは知らないがそれは私にとって救いに見えた。  けれど現実は少しの救いもくれなかった。 死に

    • 毒親育ちが子なし夫婦となったきっかけ

      毒親育ちは愛情を知らない。 いつまでたっても子供の時のまま、親の愛を求め続けてしまうのだ。 そんな私に愛を与えることなど不可能だ、と考えている。 愛とは何か、それを渇望し模索している中でわからない何かを与えることが怖かった。 他にも私が健康体ではないから、ということもある。 精神的な病の遺伝、暴力の連鎖なども足枷になってしまう。 こんなことを言ってしまうのは何だが、不妊の方には申し訳ないことに"子供ができない"ことに多分無意識のうちに安心してしまっている自分がいる。 け

      • 毒親に育てられた子供の頃

        がんじからめ。 その言葉につきない。 どこにも行けず、何もできない。 私の幼少期のいい思い出は黒い絵の具で塗りつぶされている。 後の毒親の行動がすべてのいい思い出を塗り替えてしまったのだ。 いや、もともといい思い出なんかなかったのかもしれない。 昔の写真には人の良さそうに見える両親と私。決まって私は真顔かふざけている。 けれどどれも思い出せないのだ。 記憶にない過去がそこにある。 モラスハラスメントなどという言葉がかけらもない時代、それは亭主関白の一言で終わっていた。

        • 今もリメイクを希望するゲーム、スーパーマリオRPG

          私は子供の頃によくスーパーファミコンで遊んでいた。一番最初の思い出。それはやはり任天堂のソフトである。 スーパーマリオブラザーズから私のゲーム人生はスタートしたと言っても過言ではない。マリオとヨッシー、そしてルイージ(彼に至っては出演歴の少なさが目立つ中、ルイージマンションで初めての主演には驚いたものである。 クッパ(彼については後述する)にさらわれたピーチ姫を救い出す。カラフルで印象的なBGMとヨッシーのかわいさにハマっていった。ステージによっては取り残されるヨッシー。

        リストカットがSOSのサインだと知らなかった頃

          毒親育ちの日常と子供を持たない夫婦二人暮らし

          初めまして。 私は俗に言う"毒親"の元に産まれました。 "普通の家庭"で生きる人よりもスタートラインが遠く、曲がりくねり、高い壁を乗り越えて生きています。 そして30代になってからようやく、アダルトチルドレンという言葉を知りました。 双極性障害だと判明したのもこの頃からです。 なおかつHSPだと自覚し、発達障害についてもグレーゾーンではないかと思っています。 そんな中で立ちはだかる"普通の家庭"を築くことが出来ない、というまたもや高い壁が目の前に現れました。 結婚していれ

          毒親育ちの日常と子供を持たない夫婦二人暮らし