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毒親育ちが子なし夫婦となったきっかけ

毒親育ちは愛情を知らない。
いつまでたっても子供の時のまま、親の愛を求め続けてしまうのだ。

そんな私に愛を与えることなど不可能だ、と考えている。
愛とは何か、それを渇望し模索している中でわからない何かを与えることが怖かった。

他にも私が健康体ではないから、ということもある。
精神的な病の遺伝、暴力の連鎖なども足枷になってしまう。
こんなことを言ってしまうのは何だが、不妊の方には申し訳ないことに"子供ができない"ことに多分無意識のうちに安心してしまっている自分がいる。

けれどもそれは世間が許してくれない。
「お子さんはまだなの?」
「不妊なら治療してみたら?」
なんとデリカシーのない言葉だ。
そんな言葉を何回となく聞いただろう。

子持ちの友人や知人からは
「子供ができたらきっと変わるよ!とても幸せだよ」
と口を揃えていわれるのだが、これまた余計なお世話である。

幸せでないかそうでないかは子供の有無に限らない。
私には幸いなことに"愛"を与えてくれる包容力に満ち溢れた夫がいてくれる。
二人でいられたら充分に幸せなのだ。

むしろ二人の方が自由な時を過ごせる、とさえ思ってしまう。
二人だけで交わす晩酌や静かな朝を迎えることは子供がいればきっと難しいだろう。
旅行だって子供優先ではなく自由に行きたい所や、静かでないといけない場所、食事の場所も気をつかわなくてもいい。

"子供がいないこと"で世間の風当たりは強いが、それよりも自分を愛せるように少しずつ頑張って生きたいと思っている。
夫もそれを理解し幸い同調してくれている。
配偶者においては、私は恵まれている。

世間の声よりも私が私でいるために、こんな形での夫婦生活を過ごしている、と言っても普通の人にはきっとわかってはもらえまい。
でもそれでいいと思っている。

親からの愛などもう期待できない今、それを嘆くよりも今、夫に愛されていることでそれを埋めている。
夫を愛すこともできている。
このまま幸せでいられるのならばいいと私は思っている。

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