善神か悪神かを選ぶ民主主義の想像
想像します。
本当に国民の生活の為に動く政治家がいたら、どうなるでしょう。
今よりやや豊かな生活ができ、税金も安く治安がよくなったとします。
それに及ぶには、その善良な政治家は命懸けの努力でしょう。
それに対して国民はどう思うのか。
自分達の幸せな生活は自分のおかげだと傲慢に思うでしょう。
上手くいってる生活は自分のおかげ、上手くいってない生活は政治のせいと考えるでしょう。
現に今そうです。
そりゃ政治家もやる気がなくなりますね。
国民の為に死ぬ思いで動いたのにそうならば、自らの保身に走るでしょう。
もしあなたが他人の為に動いたのに、その相手が無視するなら、もう自分の為に動くでしょう。
私たちは日本では戦争もなく生活できてます。
もちろん政治のおかげではありませんが、当たり前に思い過ぎてます。
豊かさの度合いは人それぞれですが、良い側面は当たり前で、悪い側面は何かのせいにしてます。
想像します。
自分が日本を操作できる善神か悪神か決まってない神だと想像します。
人々は、困った時に自分を頼る反面、解決して日常を送るうちに当たり前になっている。今の日本の風土や文化を当然だと思っている人々です。
神からすれば、勝手に生きてるのだから、勝手にすればいいと感じるでしょう。
事実、自分の在りようのまま自分である宇宙であるのだから、そうなります。
嘆けば嘆くほど自分が起こしてるのです。
どうせ上手くいけば感謝するのは一瞬で、すぐ傲慢になります。
現に、息をして心臓が動いているのを当たり前のように感じ、日々あれがしたい分かってほしいと嘆いている。
そりゃ勝手にすればと悪神の立場になるでしょうね。
神を悪神にしているのは私たち自身だと考えます。
本日、私の選挙区である東京15区の補欠選挙が行われています。
なぜ補欠選挙か。前任者が犯罪行為をしたからです。
民主主義の上で逮捕者を選んでいる、そんな有権者に選ぶ権利があるのかと感じます。
当然に私は前任者に投票はしませんでしたが、民主主義の制度では私も責任の一端があります。
有権者に投票する資格はないと考えます。するけど。
今の制度上、確かに浮動票に力はありません。
しかし組織票も同じ国民です。自分に利を優先する残念ながら誰もがする普通の考えです。
誰もレプティリアンやイルミナティを責める資格はないと感じます。
悪神が善神にならなかったのは私たちの問題なのでしょう。
私たちが自分自身の加害者です。
高次元の存在が「好きにしていい」とは、自由に自分で選べることの意味の反面、自分で自分を苦しめてる自由を好き好んでしている意味も内包してます。
想像します。
私が創造神ならば、自分の至らないことを、他人のせい、政治家のせい、高次元のせい、ましてや自分のせいにしている限り、分裂して分裂していくエネルギーになってると自覚するのだろうと。
当たり前じゃないことが当たり前だとするエネルギーが、分裂する存在を結ぶ微かな繋がりなのだと。
そのエネルギーが逆転して元になるのだと。
そして、当たり前のようなことが当たり前じゃないとするエネルギーが、これもあれも自分だと認識し戻るだろうと。
想像します。