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能力差別という隠れた課題

人類の差別には、大きな流れがありました。
階級差別、人種差別、性差別、の流れ。
長くの貴族制から民主主義の現在へ。
黒人や黄色人種への平等の権利へ。
女性の制限への緩和へ。
そして顕在化してない大きな差別があると思います。
それは、能力差別です。

私たちは、まだまだ実力で成し得るのは公平だと思われている社会に生きています。
努力した結果に高めた能力で得たことは正しい、能力がないのにコネや運だけで来た人を疎んじたりします。
裏を返すと、能力が高いというだけで富や地位を得られるのは、果たして公平なのかとする考え方もあります。まだ多くの人は気づいてませんが。

最近の米国の雰囲気は、アメリカン・ドリームはもう古い感じします。
成功者を讃えるアメリカは過去のこと、努力で得た地位やビジネスを持つ成功者をバッシングする傾向にあると感じます。
昨今のトランプ人気は、弱者の代弁をしている要素があると感じます。
東海岸などのエスタブリッシュ能力者を毛嫌いしています。これは階級差別のようでいて、能力差別が本質だと思ってます。
能力主義の強い米国こそ、顕著です。


ここから視点を変えます。
能力主義を超えた思想であるはずのスピリチャルやチャネリング界隈においても、能力主義に苦しむ結果が生み出さられている気がするのです。
高次元の存在からの話である、現実は意識次第であるとする考えは、意識の高い人が良い結果になる能力主義になる側面があることになります。
グズグズ考えてしまう人が劣等である、だから私はダメなんだ、そういう受け止めになる人が出てきてしまいます。

もちろんこれは、高次元の存在の意図と反しますし、受け止める人の乗り越えるハードルともいえます。
ただ、うがった表現をすれば、
「愛の割合が高くなる能力」、
「波動を高くいられる能力」、
「良い解釈を出来る意識を持てる能力」、
「社会洗脳を自覚し、常識にのまれない能力」、
「過去に囚われず未来に希望を持てる能力」などなどと言い換えることも出来ます。

無自覚にも、この能力で捉えることで高次元存在の話を曲解してしまう結果になっているケースもあるのだろうと感じます。
まず、この能力主義とは何か、能力は何が差別で何が公平かが、共通認識になっていないまま、この話をしても通じにくいかもしれません。
かつては、「階級に差があって何が悪いの」、「だって人種が違うのだから差があるのが公平でしょ?」という時代に、階級差別も人種差別も共通認識にはなれませんでした。


現在において整理されていない能力差別があると私は思っています。
これを人類はどういう認識に着地していくかが、私は気になってます。

わかっていても出来ない人は存在します。
単純な二元論でも、能力差別を顕在化させた方がいい社会になるのか、今まで通り能力に差があるのを突かない方が健全なのか、まだ私にはわかりません。

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