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叱るのか褒めるのか、それが問題です

子育ては、叱って育てるのか、褒めて育てるのか、どちらが正しいのでしょう。

多くの教育評論家は褒めて育てましょうと言いますね。
先の時代は子供なんてほとんど褒められなかったから、その反動だというのわかります。
しかし私は、𠮟るか褒めるかの2元論がオカシイと考えます。

𠮟るポイントと褒めるポイントが適切かどうかが重要です。
ポイントがズレていれば、叱っても褒めてもどちらもよろしくないと思います。
一言で言えば、子供は自分を適切に理解してくれているかを見抜きます。
子供だけでなく大人もすべての人間もそうですね。


ある実験と結果があります。
小さい子どもたちと積み木を用意しました。
子どもが自分から積み木に夢中になり、大きなすごい積み木が完成したとします。
親がすごいねと褒めたら、もう積み木をやらなくなった子が複数いたそうです。
別の子は、作るたびに親の評価を求めたそうです。
研究者による解説は全く忘れましたが、私なりの解釈を覚えてます。
親が中途半端に褒めると、自分の興味で始めた行為の価値が下がるように感じます。
夢中にやってることを他者が勝手に何点だと言うと冷める気持ちになりませんか?
また、他者の賞賛に快楽を覚えてしまうと、その快楽を求めるようになってしまい、本来の自分の渇望を失ってしまうともいえます。

この実験からの私の考察だからといって、子供が絵を書いて見せたときに、褒めもしないというのは違いますよ。
子供の個性もバラバラ、その時の感情もバラバラ、その時の行動目的もバラバラなのです。
なのだから、相手の様子をよく見て、的確な表現をしてあげるのが肝心だと思うのです。
よって、叱るか褒めるか、そんな二元論で語るのは、子供を馬鹿にしてます。
成長してるという発想が上から目線で子供は不快です。子供も親も対等です。

花やアクセサリーをあげれば女性は喜ぶとデートマニュアルを信じる男と同じ。
褒めときゃいいんだろうという親は、本心で叱る親よりタチが悪いです。
そんな男には女性は冷めるし、そんな親の子供はわかってます。
小手先の方法ではないのです。

また、「叱るのではなく親の気持ちを伝える」などなど教育評論家が言いますが、これまた手法です。
叱りたい意図をまわりくどく言ってるだけで、子どもにその気持ち悪さが伝わります。


手法に答えはありません。
相手の中に答えがあります。


タイトル詐欺ではありません。
「叱るのか褒めるのか」、(どちらが良いと考える)それが問題です。
ということです。

ここで本意を言います。
叱るのも褒めるのも、善意です。
せっかくの善意なのに、ズレてしまうのはもったいないのです。
みなさん、善意のかたまりなのです。
ズレてしまうことで、こじれてしまうのではないでしょうか。
(けなす罵倒するなどは最初から悪意です。悪意の暴走が虐待です)


偉そうな子育て論は、また続きます。
偉そうなのは反省しますので、
私を叱らないで褒めてください。

・追記
まきさんが紹介してくれました。
リンクの仕方、なんとか出来ました。


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