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他人の評価を気にしながら他人の意見を聞かない混ざり味


アスペルガー症候群を、改めていろいろ調べてみました。
自閉スペクトラム症ASDの一部とされて、ものすごく多岐に渡ります。
空気を読むことが苦手、特定の部分にこだわる、感情表現が困難、例え話が理解できず額面通り取らえる、集約すればこのような特徴ですね。

社会生活に困難をきかす事例がたくさんあります。他人の基準が理解できないということです。
こう考えると、逆の人の弊害も思い浮かんでしまいます。
多くの人は、他人の目を気にし、他人の基準に翻弄されて、社会生活にストレスある事例がたくさんあります。

自分の基準、
社会の基準、

突き詰めればこの2つの基準に折り合いの問題になるような気がします。

アスペルガー症候群は、自分の基準が強く、社会の基準を意識するのが難しい。
その症候群に当たらない人は、社会の基準を理解するがゆえに、自分の基準との折り合いにストレスがある。
自分のことを考えてみます。
私は他人の感情をわかる方だと思います。他人の評価を気にする部分もあります。だけど、こだわりも強く他人の考えによらない部分もあり、他人の意見を聞かず自分なりの生き方を選びます。
この自分の基準と社会の基準の混ざり方、ブレンド加減に無限なのが、答えを出しようのないことなのでしょう。


さやかさんの所でのクラスメイトの方々、それぞれの個性がガッチリ出てます。
字面だけなのですけど、文字の奥にある個性が底までたどり着けない深さを感じられます。
チャネリング情報に興味を持つ、こんなに狭い分野において共通した思考を持っているのに、個性はバラバラです。


コーヒー豆ショップ行くと、ものすごい種類の豆の数がありますよね。
コーヒーなんて似たようなもんだと思いながら嗅いでみたら、確かに違う、飲んでみたら明らかに違います。
だからこそ、自分に合ったコーヒーを追い求めてこだわる人もいれば、私なんかはコーヒーはかなり違うけどどれもおいしいからどれでもいいという趣向の人もいます。
では私がこだわりがない人かというと、別の分野で異常なこだわりがある人でもあります。

私たちは単体でありながら、単体が集合した社会に生きるこの世です。
ブレンド加減は無限にあり、どんな味のコーヒーになるかは無限であり、ベストなコーヒーや理想のコーヒーなんて決して存在しないですよね。
コーヒー味にこだわりトラブルのか、こだわらない無頓着さがトラブルのか、こう考えるとコーヒーの問題ではなく、トラブルかどうかの問題なのでしょうか。
自分の基準と社会の基準のブレント加減は答えを出しようがなく、ただできたコーヒーを味わって想いを深めていくしかないんですかね。

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