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「愛」をテーマにした作風の研究

 最近、自分は愛着障害の傾向があるんだなと思った。家や小学校には一切愛を注いでくれる人がいなくて、ずっとゲームの世界に籠って生きてたんで、大人になってみればめちゃくちゃギスギスした人になってしまっていたんだ。「疲れた」とか「心が痛い」という感覚すら感じない人って、なんかヤバそうな人じゃない?

 人間関係もマウントをとってくる人か、同調圧力でコントロールしてくる人かしか周りにいないという事態に気づき、でも「無条件の愛」というディズニーアニメみたいなファンタジーを他人に求めるわけにはいかず、悩んでいる。

 愛が欲しければ愛を示すべきだと思うので、やっぱり「愛」について研究したいと思った。私は副業が無名0円アーティストなので、やっぱりアートに愛を入れて探究したいと思うんだけれども…… 絵筆が進まないんだな。

師匠の存在

 「仮に挫折したとしても嫌うことはないですよ。安心してください」と言ってくれた人がいる。なんだか超照れ臭いんだけれども、乙女心に直撃するくらいド直球の無償の愛……

 私はこのフロントエンド師匠にどんな愛を示せるだろうか?前提として、フロントエンドエンジニアとして失敗した私は、実績としての愛を示すことにまず失敗している。ここからどういう展開をすれば「ディズニーアニメ並みのハッピーエンド」を描けるだろうか。

師匠へ示した愛について

「いらすとや」に分かりやすいイラストがあって、なんだかビビッときたんだ。流石だと思う。みふねたかし氏は我々アーティストの頂点の一人に入れてもいいと思っている。

 さて、私が師匠に対して示していたと思っていた愛はコレ。具体的に「師匠として尊敬しています」だとか「先生を財産だと思っている」とか、恥ずかしいくらいのメールを送っている。

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 でも、今から思えばあまりにも重い。自分の失敗から縁を切られたくない思いが先行しすぎて、「見捨てないでくれ」と相手をコントロールしている。だからこちらになってしまっている。

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 無条件の愛をくれる人間というのはとても希少な存在。残念ながら、今の世の中は「効率」とか「収益」といった物欲を中心として回っているから、まず「無条件」とか「無償」というのは疎まれがち。だからこそ、「逃したくない」という気持ちが強く出過ぎて、愛ではなく拘束をしてしまっていたんだと思う。

 とても反省している。ここから私は何ができるのだろうか。提案や意見はTwitterなどで送ってもらえれば嬉しいと思う。我こそは真実の愛を教えてあげられる……とまではいかなくとも、「こうじゃないかな?」というアイデアでも嬉しい。

誰か愛をください!!よろしくお願いします。


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