見出し画像

何者にもならない、という選択

現在私は26歳で、もうすぐ27歳を迎えようとしている。
高校卒業後、特にやりたいこともなく、高校時代は不登校気味で勉強もしてこなかった。家庭にもいろいろな事情があり、周りの子達がしているように「そこら辺の私立の大学にとりあえず入学」ということは出来ないと親に言われた。

やりたいことを探す為に、そして正社員という重そうな責任から逃れる為に、フリーターになるという決断をした。
18歳の私には未来がたくさんあった。
時間もたくさん、あった。
それでもずっと思っていたのは、大学に行っている友人への羨ましさだった。

高校受験に失敗し、かなりランクを下げた行きたくもない学校へ入学した。高校時代は両親の不仲や兄弟間の軋轢にも疲れていたし、人間関係も上手くいかず、人生に絶望していた。

学生時代に多くのものに躓いて、学校が恐ろしいものになってしまった。だから尚更大学へ行くという選択肢を選びたくなかった。
それでも、普通に暮らしていそうな大学生を見ると羨ましいという気持ちが拭えなかった。


あれから10年近く経った今、私は派遣社員として働いている。
未だにやりたいことなんてないし、今考えても何かを懸命に努力しようという気にもなれない。
たまにゲームをしたり、音楽を聴いたり、映画を観たりするだけで、何も生まず誰にも貢献しない日々を送っている。
それでも、たまに昔の自分が疼きだし「あなたは何をやりたいの?」と問いかけてくる。

中学生の時に私を嫌っていた彼女は、名のある仕事をしているらしい。
何度も羨ましく思った。
何故お前が、と何度も思った。
じゃあもし自分がその仕事をしてみろと言われたら、私は嬉しいのだろうか?と思うとそれは違った。
たぶん、すぐ嫌になるだろう。というか、絶対選ばない職業だと思った。

結局どれだけ考えても何かをやりたいという気持ちにはなれなかった。
「感情とは別のところで何かをしてみたら良い」と人は言うけれど、それは私にとって一番したくないことだったし、何かを始めそれを仕事として生きていくのなら、本気で向き合えるものが良かった。
そう思えば思うほど、何も見つけられない焦りを感じた。
「これこそ望んでいたものだ」と言えるものに出会いたかった。でももしかしたら「これこそ望んでいた」という感覚こそ、無いものなのかもしれないとも思った。

それでもある時、考えが変わる出来事と出会った。

友人と会話をしていた時のこと。
彼は医療系の専門学校に通っていたので、その仕事を選んだ理由には何か大きな背景があると思い
「何故その仕事を選んだの?」と聞いたら
「親戚がこの仕事だったから」と返されて、びっくりしたのだ。

そんな感覚で学校に行っていいのか。
そんな感情で勉強して努力出来るのか。
そんな風に決めた仕事をなんとなくしていけるのか。
自分とは全く別の考えに驚かされつつも、私は「仕事」というものを、ひいては「人生」を重く考えすぎていたのではないかと思うようになった。

「本気で向き合えるもの」という考えはそもそも「人生は重く重要なことだから確実なものを選びたい」という感情からきているのだと思う。
でも、本当に人生は重要なものなのだろうか。
人間は生まれてから死ぬまでずっとひとりだ。
今の心理学を使っても、科学ですら、魔法でもない限り人の心を本当の意味で理解することなんてできない。
自分の心や体を他人が内側から操作することはできない。自分という存在を動かす事ができるのは紛れもなく今ここにある自我、しかない。
つまり「生きる」ということの責任は自分しかとれないし、どれだけ多くの人が「自殺はいけない」「幸せに生きよう」と言ったとしても、「人生」というものをどう過ごすかなんて全て本人次第で、何を選択してどう生きるかを他人が口を挟んで決定する権利は一ミリもない。
人生をより良く生きる選択の自由があるのなら、同じように捨てるように生きる選択の自由があるはずだ。
人生なんてどうなったっていいし、蔑ろにしてしまってもいいのかもしれない、と思う。

100年経てば大抵のものは消え去る。
嫌いな人も好きな人も大好きなあの映画も。
死んだ先には持っていけない。

重要だと思うから、簡単に選択できない。
もっと軽いものだと思えば、ただなんとなくやってみようとか、とりあえずこれを試そう、ということができる。逆に、何もしなくてもいいという選択も選べる。人生が重要ではないのなら、毎日の食事のために働き、少し幸せな時間を楽しめれば、誰にも貢献しなくても、専門性なんてもっていなくてもいいはずだ。

だから私は「何者にもならない選択」をとることにした。といっても、突然何かをしたくなればしてもいいし、しなくてもいい。名のある仕事をしなくてもいいし、してもいい。フリーターでも、派遣社員でも、ニートでも構わない。無理に「何者か」になろうとしなくていい。

そう思えれば、肩の荷が降りて、人生を楽しめるような気がする。

まだ、やりたいことはない。

強いて言うなら小説家になれたら楽しいだろう。
もし今から大学に入ることができるなら、海外の大学とかに行って、心理学か科学を学びたい。

そしてそれも、実行するほどの気持ちは持てない。
でもそれでいい。私は私のままで、「何者でもない」ままでいいのだから

この記事が参加している募集

#スキしてみて

526,651件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?