見出し画像

仮面舞踏会

「ご機嫌よう舞踏会。」

慣れないピンヒールを履き颯爽とレッドカーペットを歩く。仕立ててもらったパニエが言うことを聞かない。そんなパニエを黒いフリルがそっと包み込む。赤ワインを受け取り深緋色の唇をグラスの淵につける。グランドピアノの旋律が知らせる舞踏会の始まり。次から次へとダンスフロアへエスコートされる婦人たちを横目で見ながら唇を噛む。

後ろから聞こえるレッドカーペットを踏む音。
ピアノの音に紛れることなくはっきりと聞こえる音。後ろを振り向くと胸元に手を添えて35度のお辞儀をする「貴方」が居た。

「ご機嫌よう。一曲お相手願えませんか。」

その答えは決まっていた。通りかかったウェイターのお盆にはキスマークのついた飲みかけのグラスが
並ぶ。

「貴方」が差し出す蒼い血管が透けた傷だらけの手に塗装が剥がれて金属が剥き出しになった私の手を重ねてドレスの裾を優しく持ち上げる。向かい合って仮面の中で微笑み合う。翠の瞳がきらりと光ったのが見えたから。私も笑ったの。

今日は365回目の舞踏会。365回目の貴方からのエスコート。365回目のスケーターズワルツ。随分ヒールが擦れてきた。腕も手も腰も脚も全部雲の上から吊るされたまま。いつか貴方に、いつか貴方に触れてみたい。仮面をとった貴方を見たい。

私は誰よりも先に糸を切った。右腕がストンと音を立てて落ちる。身体を支えられない。貴方の左手を握れない。貴方と一緒にこの箱から逃げ出そうと思ったの。それなのに。エスコートする手には誰の手も添えられない。貴方の瞳が潤んだ気がした。貴方は一人で365回目のステップを踏む。私はカーペットの上で左腕を引っ張られたまま冷たくて脆い貴方の手を眺めていた。


もう貴方とは踊れないみたいね。
ごめんねだいすきよ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?