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エヴァンジェリストがエヴァンゲリオンを語る

毎月恒例? 月1回投稿(笑)

もっと投稿したい気持ちだけはめちゃくちゃあるんですけど……。


それでは、先日「シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇」を観てきまして、思うところがありましたので少し書いてみます。

毎回タイトルが大袈裟過ぎる問題はどうかご容赦を……(笑)


まず大前提として、私はエヴァンゲリオンに関しては超絶「にわか」でありまして、アニメ版は観たことがなく、TVで放送された劇場版3本を観たことがある程度……。

という私がわざわざ代金を支払って映画館で観てきた理由は、所用で渋谷へ行きまして、予期せず時間を潰さないといけなくなったから(笑)
その時にたまたますぐ観られるのが「シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇」だったから(笑)

そんな「にわか」が何を語るのか!と、コアなファンの皆様からお叱りを受けそうですが……。

超絶にわかな私だからこそ感じ取れたこともあるのかなと。

なので、にわかの感想を読んでやってもいいよという奇特な方がいらっしゃれば続きをご覧ください。


鑑賞後を一言で言い表しますと、

大号泣

同じスクリーンで一緒に鑑賞することになった、恐らくある程度エヴァファンであろうの方達を差し置いて、超絶にわかの私一人が大泣き……(笑)

終盤ほぼ泣いてました(笑)

シンジ君とお父さんのやりとりのあたりから。

終盤はどのシーンも理想通りというか、それを超える展開で、これまで苦しんできた登場人物皆が幸せになれる未来が用意されていて、しかも無理やりじゃなく、道理が通っているところが素晴らしいなと思いました。

私はそれがとても嬉しかったし、安心したし、心から良かったねと祝福できて、胸が熱くなってしまったんですよね。


そして、もう1点、心揺さぶられた点がありました。

それは四半世紀もの間、こんなにも社会現象を巻き起こし、様々な考察や議論がなされ、一般人もニュース等で情報に触れる程の作品が、こういう終わり方をするのかという点。

言いたかったのはこんなに普通の事なのかという衝撃。

結局はここに帰結するのかと。

私としてはその「言いたかった普通の事」の大切さにはエヴァとは関係なく気付いているつもりだったし、当たり前の事なはずだったけれど、改めて、しかも奇才と称される庵野監督から投げかけられる意味を考えると、なんだか泣けてきてしまったんですよね。

では、作品を通して私はいったい何を受け取ったのか。


エヴァの物語の中で重要なテーマの1つである「ATフィールド:心の壁」。

わかりたい。

わかってほしい。

愛したい。

愛されたい。

人なら誰もが、そう思っているはず。

孤独が好きだなんて言ってみたり実際そういう暮らしをしている人であっても、表面上強がっていたり、斜に構えているだけで、心の奥底ではそう思っているはず。

けれど悲しいかなこの世では願えば誰とでも心通わせられるわけもなく、身近な人程、わかって欲しい人程距離を感じたりして。

勇気を出して自分から相手の心に触れようと距離を詰めた時に、拒絶でもされたら辛すぎるし。

だから自分が可愛いし、傷つきたくないから、最初から見えない心の壁を作って、物理的にはパーソナルスペースを設定して、自分を守っている。


少し脱線しますが、宮崎駿監督の漫画版「ナウシカ」を読むと、

「個にして全、全にして個」

という考えが出てきます。
彼は粘菌や虫は種族としての意志があると考えていて、きっとそれは他の動物も、もちろん人も同じだと考えているんだと思っています。
私はこの考え方とても好きなんですよね。
目には見えないけれど、人も皆繋がっていて、人という種族としての大いなる意志があるんじゃないかなと思っています。
(いきなり突拍子もない事を言って、スピリチュアル系、電波ユンユン系と思われるかな(笑) 布教は全くしていないのでご安心ください(笑) )

映画版「ナウシカ」に関わっていた庵野監督なので、影響を受けられたのではないかなと想像しています。
人類補完計画とは、ナウシカで言うところの粘菌のように液状になって、境界が無くなって、1つの人という完全な生命体になるのが目標なのですよね?
シンジ君は人が一体化して完全体になることを目指すのではなくて、個々の人として在りつつも、精神的に1つになれる方法を模索する方を選んだ。


人は見えない部分で本当は繋がっていて、皆お互いに愛し愛されたい、分かり合いたいと思っている。

そう気づけたら、顕在意識でしっかり認識できたら、シン・エヴァンゲリオンの中で描かれた、「前時代的で牧歌的な農村での共同生活」のような理想郷が実現できるのではないかと思うんです。

皆がお互いを思いやって、一生懸命自分の分担の仕事をこなし、助け合って笑い合って生きていく。

マルクス主義者の妄想みたいな世界観だけれど、少しは現実世界でも理想郷に近づけるんじゃないかなって。

そういう提案をされているのかなと受け取りました。


そして、物語全体を通して描かれる、様々な愛の形。

・突然居なくなった妻を想い続ける夫

・妻を想うが故に息子を遠ざけてしまう男

・対話できない父子

・母のクローンと息子の関係

・肉親や友人の愛を知らない孤独な優等生クローン

・父親(暗黒面)の光の面を担当するどこまでも優しい同級生

・共同生活から母性:母の愛を知るクローン

・愛する息子に自分の存在を明かさない母

・その息子の生きる世界のために特攻する母

・息子をマイナス宇宙から助ける母

・妻をしっかりと自分で見送り(葬り)たかった夫

・心中する夫婦

・皆の普通の生活を守るために行動する決意をする少年

・過去の世界の記憶を共有する唯一のカップル

全て「愛」についてなんですよね。

とっても「歪 いびつ」だけれど。

そこに心の壁も加わってどんどんすれ違ってこじれていってしまうけれど。

もし本当はお互いに分かり合いたいと思っているという前提条件を共有できていたら……。

すれ違わずに、もっと素直に想いを伝えられたのかもしれない。

身体を無くして物理的に1つになるなんて飛躍し過ぎなくても、今のこの身体のままでも充分、心の壁を取り払って、分かり合ったり愛し合ったりできるはず。


恋人を想う恋愛、母が子を想う愛、家族愛、周りの人を想う隣人愛、

もう一度見つめなおしてみようよ、大事にしてみようよっていう提案。

正に長きにわたって宗教や道徳の言ってきたことですね。

いたって当たり前、普通の事。

どうしてエヴァンゲリオンを通して、こんな普通の事を諭されなくちゃいけないのかと思うと、悲しいような嬉しいような気持になって……。

作品を貶す意味ではなくて、こんな社会現象を巻き起こす程の大作に、こんな当たり前の事を諭される「我々はいったい何なのか」「人はアホなのか」という意味で。

でもエヴァンゲリオンが諭すからこそ意味があるんですね。

いくら宗教や道徳で説いたって響かない。

もちろん響く人はいます。その方たちは素直な善良な人なのでここでは省きます。

大半の人はそんな正論を言われたって響かない。

アニメが、そして堂々と正論をぶつける方式ではなく、何か謎があるんじゃないか、どんな奇想天外な結末があるのだろうと思わせて、まどろっこしく伝える方式だからこそ、伝わる層(人)がいる。

だからエヴァンゲリオンであることに大きな意味があるんだと思います。


綾波レイちゃんはシンジ君がエヴァに乗らない世界を望んだ。

シンジ君はエヴァの無い世界線を選んだ。

皆の普通の生活を守りたかったから。

守りたかった普通の生活を謳歌する登場人物たち。

そしてエンドロールに流れる宇多田ヒカルの曲

Beautiful world

It's only love

なんて綺麗な終わり方。


今ある普通の暮らしの有難さ。

今まわりに居てくれる人への感謝。

皆に支えられて、自分も誰かの支えになって、生かされている。

そこに目を向けたら、気付けたら、見える世界が変わるかも。

この世界はもっと美しく見えるかも。


そんな事を私は受け取って、今思い出してもまたなんだか泣きたくなる。



そして心に浮かんだのが、トップに掲載した、ヒエロニムス・ボスの「快楽の園」。

この作品は天地創造から終末・地獄までを描いた連作の祭壇画。

三面鏡のような作りになっていて、左右の作品を閉じると鏡の扉の部分になる仕掛け。

左右の作品の裏=扉の部分には天地創造の静かな無の状況が描かれ、扉を開くと左からエデンの園→快楽の園→地獄と進んで、扉を閉じると天地創造の無の状態に戻る。

この構造から、実は輪廻を描いているという説もあって、西洋絵画なのに輪廻の概念が含まれているという解釈も興味深く、気になってしまう作品。
(それについてはまた書きたいなと思います。)

大好きな作品の1つです。

今の世界は中央に配されたメイン作品のユートピアから右側の地獄への過渡期のような気がしています。

もしすっかり地獄へ進んでしまったら……

エヴァのような世界もあり得るのかも。

ユートピアのままでいられる世界線を選ぶのは、私達の意志なのかなと思ってみたり。

選べなかったら、世界は崩壊し、また無に帰って、一からやり直し。

無限ループ。

私が好きな絵画作品とエヴァが繋がったように感じたのも、面白い偶然。


そして奇才と称される人ほど、純粋な理想郷を胸に秘めているものなのかもしれないなと、気付けたことも収穫でした。

それについてはまた別の機会に話してみたいと思います。

毎度の事ながら長ったらしい文になってしまいすみません。


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