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香港・澳門-ホンコン・マカオ

※この話は、2009年の旅行を元に書いています。今は改装されている場所や、既に無い場所も含まれているかもしれません。

「香港とマカオに行ってみたいんだよね、興味ある?」と実家でつぶやいた。「えっ、行きたいっ。お父さんに話してみる!!」と、顔をぱっと上げた母の顔は、父に何を言われようと既に行くことを決めている、きらきらした顔だった。

この時、私はその直前まで外国に住んでいて、2年ぶりに東京に住んでいた。海外にいる時間が増えると、家族に会える時間は自ずと限られてしまう。毎回日本に滞在している時は、なるべく父と母に会うようにしていた。

「お父さんは仕事休めないっていうからさ、二人で行こ。れとちゃんと旅行に行けることなんて、滅多に無いもんね。」

「そっか、うん、じゃ、休暇合わせよ。」

二人の夏季休暇を合わせ、母娘の香港澳門ツアー。旅程はすぐに決まり、一か月後に決行することが決まった。

母も私も、はしゃいでいた。香港経由で、まずはマカオに滞在することにした。

香港に到着してすぐ、早速タピオカドリンクとスイカジュースを購入する。飛行機を降りて、火照って乾ききっていた喉に流れ込むタピオカドリンクの冷たさと、もちもちなタピオカの感触が心地いい。

「おいしいねぇ。」と母が言う。

「ねー。おいしいねぇ。」と私も笑う。

母と二人だけで旅行をするのは、初めてだった。椅子に並んで座る。カメラを二人の前に掲げて、私は言った。

「はい、イー!!!!」

二人で並んで、写真を撮る。皺の数だけが違う、輪郭も目も口も、眼鏡までもそっくりな二つの笑った顔。


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マカオには、フェリーで向かった。気温の高い地域で建物や乗り物に入ると、大抵気温の設定が低すぎて凍えてしまう。私は冷房から出てくる空気自体も苦手だ。ここも例に漏れず、何故か物凄く低い気温が設定されていて、長袖のカーディガンを羽織って縮こまった。それでもマカオに着くまでにはすっかり凍え切ってしまって、震えて足先が痺れていた。テンションまで下がってしまう。これが理由で、日本以外の気温の高い地域に滞在するのは苦手だった。

マカオに到着するとすぐにタクシーに乗り、ホテルに向かう。ホテルは、カジノエリアにあった。遠くから見えるホテル群のとんでもなく派手なぎらぎらしたネオンを目の前にして、初めてのマカオを実感した。

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翌朝、母と私は、二人ともキャミソール、ロングスカートにサンダル、そして首には保冷剤という出で立ちで、一日歩き続ける準備万端で外に出た。外に出ると、途端にむっと迫る湿気に全身を包まれる。気温も相当高い。

マカオの街は面白い。それまで見たことの無い、めくるめく不思議な世界だった。ヨーロッパの中でもヨーロッパ色の特別に濃い風景と、アジアの中でもアジア色の特別に濃い風景が思い切り混ざって共存している。

街の所々に見られるのが、クリームのパステル色に塗られたヨーロッパ風の建物。建物の壁の端は白枠か、彫刻が装飾されている。壁には、青い絵の具で絵が描かれたタイルが貼ってあるところもあり、とてもお洒落な印象だ。

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ヨーロッパ風の建物には、稀に強烈な色のペンキで漢字により案内が記されていることがあった。洋風の建物に鮮烈な赤い漢字。必要な表記だから書かれているのだろうけれども、なんだか、芸術品に描かれたいたずら書きを目撃してしまったかのような複雑な心境になる。

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アジア的に見える建物の数々には、二階以上の階に鉄格子だけで作られていて空中に張り出している四角い空間が設置されている建物が多くあった。まるで鳥籠のようだった。鳥籠のようなスペースには、大抵植物が設置されていて、隙間から葉っぱがせり出している。一つのアパートからは、犬が顔を出していた。

時に間隔を開けずに、計算も無しに建てられたことを感じさせるひしめき合う小さな建物達と、その周りを張り巡らされている電線は、アジアらしさ満点だ。私には、東京の足立区界隈の風景を連想させる。

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そして、相当に昔からあったであろう、ストリート名を表記したプレート。藍色で、漢字の名称とアルファベットの名称が併記されている。それらを囲う装飾も含め、全てが美しい。これがとても新鮮だった。

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公園に差し掛かると、太極拳をたしなむ人達がいた。今この街で生きる人々の風景は実にアジア的だ。

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しばらく歩くと、聖ポール天主堂跡に辿り着いた。

多くの人が上る長い階段の先に、天主堂が見える。纏わりつくようなぬるい空気の中、階段を上る。

天主堂は、物凄く大きな壁一枚だった。

以前火災等に合い、壁以外は全て焼失してしまったのだと言う。しかし、壁一枚なのに、その立派な佇まい。重厚な壁、柱、彫刻、天辺に立つ小さな十字架。思わず見入ってしまう。ただの壁一枚なのに、よく倒れないものだな、とも思ってしまった。後ろにまわると、下の方は補強されているものの、上の方は、壁がそれだけで建っているのが確認できる。

「凄いねー。良く崩れないで建ってるねぇ。」と母がつぶやく。

「ねぇ。それにしても立派だね。」


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天主堂を下りると、そのままドミニコ教会に向かう予定だった。途中で、面白そうな店がたくさん並んでいて、目移りしてしまう。

スイーツショップ、おでん屋。まるで、屋台を店にはめ込んだような店舗達。気軽に寄ってつまみ食いをしたくなる。特におでんは串にささって店頭に並んでいて、食べやすそうだ。ついつい食べたくなる衝動に駆られる。

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「ねぇ、おでん、つまみ食いしない?」と思わず母に聞く。「いいね、いいね。」母もまた、カレーの香り漂うおでん屋に興味深々だ。

二人でカップ一杯分を購入した。好きな種類のおでんを選ぶことができる。カップにたくさん入ったおでんの上にカレーソースが注がれる。外はものすごい暑さだというのに、あつあつのカレーおでん。カップを持つ手も熱い。

串を取り出してつみれのような物を口に運ぶ。熱い。はふはふっと空気を入れ込みながら、ゆっくりと噛む。熱い汁が中から沁みだす。おでんとカレーソースは絶妙なハーモニーを醸し出していた。本当に美味しかった。

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おでんを食べ終え少し歩くと、聖ドミニコ教会はすぐ目の前にあった。

天主堂と同様に、四角い建物の上に三角形が据え置かれた凹凸の多いその建築物は、薄いクリーム色の壁に白いレースのような装飾が施されていた。緑色の窓枠が行儀良く配置されている。

この周辺はとても整備されていて周辺のビルも十分にきれいだったけれども、クリーム色の光を放つ聖ドミニコ教会は一際美しく浮きだっていた。

それにしても違和感。まるで、ポルトガルから建物をアジアの風景にすっぽりはめ込んだような。異世界のオーラを放っている。

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続いてモンテの砦に向かう。マカオという街は、本当に観光に適している。丁度いい距離の場所に面白いと思えるものがたくさん集まっているのだ。

砦への坂を上る。段々と風景が高くなっていく。高い気温に圧倒されて二人とも息をあげている。

「疲れた?」と母に聞く。

「ううん、大丈夫。」

しかし、モンテの砦に辿り着いて、木陰のベンチにすぐ腰を下ろしたのは、私の方だった。

モンテの砦は、天主堂のすぐそばに位置していた。高台になっていて、街が一望できる。天主堂もそこから見ることができた。

そして、目の前に現れるホテル、リスボン。とてつもない存在感だ。この放射状の形と禍々しい金色の外観が、何度見ても私には違和感しかない。しかし、あのホテルがあるからこそ、マカオがマカオであることを感じられるのだけれど。癖になる外観だ。

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砦を下りるとマカオ最古の寺院と言われる媽閣廟(マーコミュウ)に向かった。絶え間ない熱気を受け続けて、歩くのが辛くなってきた私たちを、線香の香りが包み込む。顔をあげると、三角形で茶色の大きな線香が大量に吊り下げられているのが目についた。

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入口で親しみを感じる獅子舞に出迎えられる。日本でもよく見る顔だ。

その近くではおじいさんたちが道の真ん中にできた木陰で胡坐をかいて座り込んでいた。漢字が記載された新聞を読んでいる。

寺院に入ると、大きな岩の数々に出迎えられた。人よりもずっと大きい岩達だ。それぞれの岩には中国らしい書体で様々な漢字の文字が刻み込まれている。鮮やかな色で絵が刻まれているものもある。

寺社には所狭しと三角形をぐるぐるに模した線香がぶら下がっていて、煙が立ち込めていた。仏壇のような場所には眩しい程の色とりどりの装飾が施されていた。多くの観光客で溢れかえっている。


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ゆっくりと境内を見て回る。

くすんだ赤色に彩られた寺社内と、やまぶき色の線香だらけの境内。どこを眺めても、光と影のコントラストが美しかった。

マカオには、その不思議な風景を一度見てみたくて行ってみたいと思っていたのだけれど、もう一つ魅力的だったのが食だった。「食の都」と色々なガイドブックに記載されていた。

来てみて実際、その通りだ、と思った。あちこちにレストランが立ち並び、つまみ食いできるスポットがこれでもか、という程に見つかる。そして、それらが本当においしいのだ。

ただ豚肉を挟んだ有名なサンドイッチ、ラーメン、豆腐花、エッグタルト、すいかジュース、有名なものは全部食べて飲んでみた。どれも気軽で日本人に食べやすい味だった。母も私も、普段あまり食べない方なのだけれど、マカオでは試せる物は何でも試したかった。そして、本当に思う。マカオは「食の都」だった。マカオの食べ物のことを考えると、また行きたくなる。

その日は、夕食をとるため、ポルトガル料理店に入った。いくつかのテーブルしかないこじんまりした地元民の行くような店だ。私は観光客向けの店よりも、地元の人が行きそうな場所を試してみたかった。

おすすめだと言うタラのポテトパイと蟹のカレーソースを注文する。運ばれてきた料理は見るからにおいしそうだった。手で蟹を割りながら食べるため、レモン入りのフィンガーボールも用意された。

蟹の爪は私の顔程に大きかった。思わず、「見て、見て、」と爪と爪の穴から覗いて見せる。母は笑って写真を何枚も撮ってくれた。蟹には、玉ねぎがたくさん入ったカレーソースが、身の奥まで沁み込んでいた。

どちらも日本人好みの味で、二人とも夢中で食べていた。あっという間にたいらげてしまう。

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夜は、タイパ地区が美しいと聞いたので、タクシーでタイパ地区に向かった。

タイパ地区は、独特の雰囲気が漂っていた。ほとんど観光客は歩いていなかった。二人で静かに歩く。

静かな街。豆腐のような外観の、昔日本でよく見られたような低い家屋がたくさん並んでいる。綺麗にタイルで舗装された細い路地が入り組んでいた。子供用のカラフルなプラスチックの椅子が玄関先に並べられている家。路地の真ん中で伸びている猫。玄関先にテーブルを出して静かに夕食を食べている家族。道端の所々にワイヤーが張られ、干されている洗濯物。それらを仄かに、ぼやっと照らし出す、等間隔に配置されたオレンジ色のガス灯。

まるで、夢の世界に迷い込んだかのような風景だった。どこを歩いても、人の営みが美しかった。

しかし、この地区は、観光地には見えなかった。自分が観光客として、人々の生活に土足で入りこんでいるような、若干そんな気もした。

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翌日、また凍える寒さのフェリーに乗り、香港に戻った。

香港までは2時間程で到着した。

フェリーから降りて少々歩いたところで、喧噪と漢字の踊る看板のうるささを見て、途端に香港にいることを実感した。

ネイザンロードを北に進むと、チョンキンマンションというビルがあった。瞬間、香港という街のカオスっぷりをこのビルに見た。とてつもなく大きなビル自体が汚らしいだけでなく、エアコンの室外機のぶら下がり方、色の配置、全てが不安の塊だった。お化け屋敷を連想させる、おどろおどろしいビル。近寄ってはいけない気がした。でも、だからこそ、魅力的だった。

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香港は看板で有名だけれど、行ってみてその凄さに驚いた。自己主張が激しすぎる看板が、見えるはずの空全てを埋め尽くすように空中に張り出している。あまりに空中に張り出している看板に、どうして落ちてこないのか疑問に思うくらいだった。

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所狭しと並ぶビルは、どれも色が小汚い。無数の室外機が、これもどうして外れずに壁にぶら下がっていられるのか疑問に思う程に張り出していて、これらも汚い。いくつかの窓からはカラフルな洋服やタオルが干されているのが見えた。人の住むビル群は人工的に見えるべきものなのに、人間の営みの見えるこれらの建物はもはや歴史の一部と化していて、むしろ自然に見える。人間の巣…という言葉が脳をよぎる。

そして、ビルの谷間に突如現れる屋台街の数々。所狭しと並ぶ土産物、偽ブランドのシャツ、そして不思議な日本語がプリントされたたくさんのシャツ。ついついアメ横を連想する。色とりどりで目に楽しい場所ばかりなのだけれど、時に物凄い臭気が漂っていた。

どこに行っても熱気、活気を感じた。人間が皆強い。いるだけで力が与えられるような気がする。香港はパワフルな街だ。

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どこを歩いても楽しくて、いつまでも散歩を続けていられる気がしていたのだけれど、やがて蒸し風呂のような湿度と気温に打ちのめされ、デザート屋で一休みした。マンゴータピオカシェイクと、マンゴーがたっぶり乗ったゼリーをオーダーした。どちらも丁度良い冷たさで、マンゴーの甘さが口いっぱいに広がる。思わず顔がほころぶおいしさ。香港のマンゴーは本当に美味しい。

ガイドブックに、ビクトリア・ハーバーでジャンク船に乗れるという記載を見つけ、ハーバーに向かった。ジャンク船はすぐに見つかった。色々な国籍の観光客が乗り込む。ほぼ満席だった。

出港すると、吹き付ける風が心地よい。ビクトリア・ハーバーには隙間なく高層のビルが立ち並んでいた。細長すぎて安定感が無く不安を感じるビルさえ建っていた。所狭しとひしめき合う建物達。狭い特別区、激動の歴史。この半島で生きる、ということはどういうことなのだろう。たくさんのビジネス用高層ビルと、遠くにキノコのように並ぶ住居用高層マンションの数々。

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その日、香港に住む友人に会う予定になっていた。彼女はケイといった。彼女と私は、アメリカの留学先で知り合った。留学生活中一年間、同じ留学生寮に住んでいて、よく一緒に遊んでいた。この一年間は、私の人生で一番内容の濃い一年間で、彼女はその思い出の中で大きな存在だった。七年ぶりの再会だった。

ハーバー近くにある日系ショッピングセンターで集合し、飲茶を食べることにした。七年ぶりに会う彼女は全く変わっていなかった。留学中には見ることの無かった、香港のビジネス街の風景にぴったりのビジネスカジュアルな黒いスカートが似合っている。

すぐにアメリカの寮生活の昔話に花が咲く。そして、会えなかった今までを語り合う。母も楽しそうな私たちを見て、なんとなく横で頷いていた。

外に出ると、ビクトリアハーバーのシンフォニー・オブ・ライツの時間だった。おしゃべりの止まらない私たちは、ショーを横目にひたすら話し続ける。母は夢中で写真を撮影していた。

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翌日は、最後の日だった。

「せっかく香港に来たんだから、おいしいものをいっぱい食べて帰ろう!!」と言う母に私は大賛成で、私たちは博物館だとか、公園だとかに目もくれず、ひたすら食事を楽しむことにした。

そして、また飲茶のお店に入った。カジュアルな観光客向けの店だった。蒸し器に入れられた飲茶が湯気とともに次々と出てくる。

エビ餃子、肉まん、シュウマイ…。どれも熱々で口に空気を含めながら食べていく。おいしい飲茶だった。一緒に出てきたジャスミンティーも香り高い。香港も、何を食べても間違いが無い。香港もマカオも、何を食べても外れ無しなのに、それでいて価格がそれなりに安いことは本当に嬉しいことだった。怖がらずに何でもオーダーできる。

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旅程の最後は、ビクトリア・ピークだった。この場所について調べると、必ず百万ドルの夜景、という言葉が記載されている。香港を一望できる有名スポットだ。

ビクトリアピークへは、ピーク・トラムというトラムで上っていく。その傾斜がかなりきつい。椅子に対して段々と重力を感じるようになるのだけれど、それが正直心配になる程の傾斜だった。するするとビルの横をすり抜け、それらのビルが小さな背景に変わっていく。

既にトラムの中から見える景色は素晴らしかった。無数のビルがひしめき合って立ち並び、その向こうには山が見える。

ピークに着くと、早速土産物屋が並んでいた。商魂たくましく、凄まじい数の色とりどりの商品が並んでいて、見ているだけで楽しい。

展望台に出ると、丁度もうすぐ日が沈む時間だった。夜の影が街を覆っていく。

街に隠れていた不規則な光が徐々に表れ始める。徐々に暗闇が濃くなり、最終的には光だけが浮き上がる黒いキャンバスができあがった。

百万ドルの夜景。自己主張の強い物凄い数の光が、ばらばらに統一感なく視界一面に輝いている。大きな街。

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美しい夜景をぼんやりと眺める。生ぬるい夜風がそよぐ。

「楽しかったねぇ。またどこか、一緒に行けるかな。」と母が少し寂しそうに言った。

「うん、また行こう、どこでも。今度は、お父さんもね。私、まだしばらくは日本にいるから。」

そしてまた、二人で写真を撮った。

今日という日の、貴重な記念。


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こんにちは、LETOです。

この話は、2009年の旅行記です。

最近、コロナウィルスのニュースの合間に香港のニュースを聞くことが増えました。ニュースを見る度、ケイの事を考え、そして香港に暮らす人々を思い出します。

あの時私が見た香港。近いし、行ける機会があったらまた行こう、とカジュアルに考えていた香港。

平和で、人々が幸せそうに生きていた、カオスでパワフルでお洒落な街。

いつかまた、あの街に住む人々が、安全に、平和に、そして自由を謳歌して生きていける日々が戻ってくることを心から願っています。

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