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「掃除のおばちゃん」の向こう側

今日の市議会、休憩中(議事録の作成がされない時間帯)の出来事です。

とある議員(70代男性)が、日常清掃委託の職員の人数が多いのではないかという趣旨の発言をされました。

そのなかで、「掃除のおばちゃん、今日は10人もおったぞ。」と。

以前、noteしたことがありますが、
自分の中にはアンコンシャスバイアスがあるだろうと思うので、
決して誰かを責めようとしているのではなく、
穏やかに自分のアンコンシャスバイアスに気づき、
自分を大切に思うように、他者を尊ぶ社会になればいいなという、
ささやかな祈りを込めて、今日もnoteします。

「掃除のおばちゃん、今日は10人もおったぞ」

この発言の前に、
「日常清掃は5人で業務にあたってもらっている」と、私たち行政側が説明したことを受けての発言です。

「そんなことないやろう」とおっしゃって、
議会録を止めて話すことになりました。

でも、さすがに10人という人数は現実的にないだろうし、
思い当たる作業員さん全員でも10人になるかどうか疑問です。
議員も行政側の出席者もみんな首をかしげ沈黙。

何を根拠に「10人」の「掃除のおばちゃん」がいると言っているのか、
どうも本気でおっしゃってるような熱量でした。
重鎮の議員ですし、
さて、どうやってそれを否定しようか、
大きなクエスチョンマークがみんなの頭の中に浮かんだのです。

それともう一つ、気になった言葉は、「掃除のおばちゃん」です。

年齢だけで言うと、その議員はご高齢で、
お掃除の皆さんの方が若そうです。
たとえその発言した議員の方が若かったとしても、
「掃除のおばちゃん」には、心がざらっとします。

議事録は止っています。思い切って発言することに。

「それ、私じゃないですか?」

確かに私は、議会中、議員控え室をうろうろすることが多いです。
女性ですし、「おじちゃん」というより「おばちゃん」です。

10人もおらんやろ、というツッコミと、
「掃除のおばちゃん」と発言する気持ちの向こう側に
どんな気持ちがおありなのか。

決して言葉狩りしようというものではありません。
その言葉の向こうにある気持ちはどんな気持ちなのか自問して欲しい。
そして、みんながなんだか違和感を持っている雰囲気を
笑いというオブラートで、変えられたら、と。

なんとか、
全員が笑ってくれ、ほっとしました。

その議員は、「○○さんとちゃうわ」と、真面目に。
そうです、私はその日、議員に会ったのはその時が一回目。
もちろん違うんですよ。(笑)

その後、
清掃員さんのお名前で人数を数えるならまだしも、
見た目で数えようとされ始めたので、大慌て。
「ちょっと若そうな人もおるやろ、(一同うなづく)、それから・・・」
ちょっと待った!それ以上はあかん、太いとか細いとか白髪とか腰が曲がってるとか、見た目の特徴をあげつらえ、笑いにし始める!
その中に、障害者雇用の方もいるのです。

「あ、それやっぱり私じゃないですか?」

「いや、私かもしれへん」と隣の席の女性職員もフォロー。

もう一度、みんなが笑ってくれて、その話題は流れていき、
「いえ、5人ですよ」で終わりました。


言葉の向こう側にある気持ち

「掃除のおばちゃん」という呼称に、
親しみを込めているんや、とか、事実や、とか、
おっしゃる方もいると思います。

私はそれを真っ向から否定するつもりはありません。
そうかもしれません。

ただ、自分の娘がそう言われてると想像してみてください。
自分の妻でもいいです、お母さんでもいいです。
そのときに、
「親しみを込めてる」「事実だから」と言われ、
何も感じず聞き流せるのであればそれはそれで否定しません。

今回は10人じゃなく5人、という事実を伝えることが趣旨なので、
その「掃除のおばちゃん」呼びはそこで終わりました。


姉さん

私は掃除してくださってる方は、給湯室や廊下や階段で、
先輩として教えていただくことも、
困ったときにお姉さんのように助けていただくこともあります。

暑い日も寒い日も、
朝からいつもきれいに掃除してくれて、感謝しています。

私は、「掃除のおばちゃん」という呼び方をすることはありません。


職場に帰って同僚から、
あれはよかった、笑えた、と言ってもらいました。

ああよかった。


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