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「芸人であることは何もしんどくない」――人間の闇を笑いへと変換してきたダブルブッキング・川元文太が、映画製作に挑戦!

「法に触れないように生きていきます」――ツイッターのプロフィールにそんな文言を掲げている通り、人間の闇や社会の不条理をストレートに描くことでしか表せない“建前なき笑い”を生み出してきたお笑いコンビ・ダブルブッキングの川元文太。このたび、川元が映画監督としてデビューすることが決まり、その制作資金を集めるクラウドファウンディングを開始。いとうせいこうやスピードワゴンをはじめ、文化人・芸人仲間からもその才能を高く評価されている川元が考える映画とは? これまでの芸人人生も振り返りながら話を聞いた。

■ホリプロコム所属後、すぐに迎えた絶頂期

 「正直、生活はしんどいですけど、芸人をやっていることは何もしんどくないですね」
 
騒ぐでも慌てるでもなく、常に理知的な態度で一定のテンションを保ちながら、質問に対して率直な答えを返してくれる、お笑いコンビ・ダブルブッキングの川元文太。「これまでの芸能生活で辛かったことは?」という質問にも、それが普通と言わんばかりに、サラッとこのように答えてくれた。1998年にコンビを結成してから22年、芸人という職業を続けてきた理由は、まさにこの一言に集約されていると言っても過言ではないだろう。
 
学生時代からお笑い好きで、芸人になるために鹿児島から上京した川元は、「ひとりだと勇気が出なかった」と芸能活動に踏み出せず、5年間のフリーター生活を送る。その後、バイト先で知り合ったダブルブッキングの相方・黒田俊幸と意気投合。オーディションを受け、ホリプロコム所属を勝ち取る。世間から注目されるのは早く、特に川元は、2年目で当時の人気番組『進ぬ!電波少年』の企画「電波少年的箱男」の「箱男」役に抜擢されたほか、3年目にはテレビ朝日の深夜に放送されていた『虎ノ門』のコーナー「しりとり竜王戦」にも出場する。
 
「今にして思えば、あのときが絶頂期でしたね(笑)。ホリプロのオーディションには、黒田と、黒田が当時所属していた劇団のメンバーとトリオで受けているのですが、そのあと2人になって。そこからはすごいスピードでテレビに出られたんですよ。1年目から深夜番組にもけっこう出させてもらっていましたし、「箱男」があって、「しりとり竜王戦」があって。でも、「箱男」はマイナスばかりでした。1年目のときはわりとファンがいたのに、「箱男」で見せた態度のせいかみんないなくなって(笑)、劇場でもウケなくなりました。「箱男」は本当に……(当時の苦労話、愚痴が続いたので割愛)」
 
3年目に出演した『虎ノ門』の一コーナー「しりとり竜王戦」は、現在でもお笑いファンからは伝説として語られる大喜利企画。お題に沿った一言コメントを出場者がしりとり形式で繋いでいき、いかに面白いフレーズや絶妙な表現ができるかを競うものだった。板尾創路や千原ジュニアといった、現在は司会・審査員側に回ることが多い面々もプレイヤーとして参加。そこに若手ながら出演していた川元は、準優勝3度という結果を残したのだ。
 
「今でこそ東京の芸人も大喜利をやるようになっていますが、当時はあまりそういう人が周りにいなかったんです。僕もそれまで大喜利をやったことがまったくない状態で、あの企画に参加しました。そこでもいろいろありましたけど、まぁ結果が残ったので良かったです」

■賞レースから解放されたとき、気持ち的にはかなり楽になった

 その後も『爆笑!レッドカーペット』などでコント師として存在感を示し、2019年までエントリーしていた『キングオブコント』でも5度、準決勝に進むなど実力派コンビとしての地位を固めていく。だが一方で、テレビ番組やバラエティの現場で見る回数は残念ながら減少していった。その理由のひとつに、人間社会の不条理を見せるダークなコントが、コンプライアンスにひっかかるなどテレビの枠と徐々に合わなくなったことが要因に挙げられる。当初はテレビに合わせた内容も考えていたというが、川元はその不毛さにも気づいていった。
 
「『レッドカーペット』の頃は、めちゃくちゃテレビに合わせにいっていましたね。でもそれは、自分でやっていても全然面白くなくて……それこそ賞レースに出ているときは、自分たちのネタの方向性についてずっと考えていました。どうやったらテレビ向きになるのか、とか。でも、結局は合わせなくても良いかなというところで落ち着きましたね。実際、賞レースから解放されたとき、気持ち的にはかなり楽になりましたし、辞めずに済んだと思います。さらに言うなら、昔のようにテレビ全盛で、芸人がそこにしか居場所がない時代だったら、もうとっくに辞めていたかもしれません。今は配信とかあってそうではないので、良い時代だなと思います」

■映画は工場を舞台に、一定数存在する“クズ”を映す

 コンビでの活動と並行して、個人活動も積極的に行うようになった川元は、自伝『自己満足。』や、短編小説集『闇』を出版し、文筆業にも進出。『闇』の一編が原作となったウェブマンガ『闇~10年間、殺され続けた山下さん~』(シナリオ:したらなな/作画:野村エージ)がヒットを飛ばすなど、新たな客層を掴むきっかけになっている。そして今回、川元は映画界への進出を宣言。これは、芸人の動画制作などをサポートする株式会社ハイプレイスと、川元が所属する㈱ホリプロコム、日本文化の発信を行っている一般財団法人SynchroArt Foundationが手を組んだプロジェクトで、川元は、脚本と監督を担当。もともとは、仲の良い芸人を集めてショートムービーを撮影するという企画だったが、その話を聞きつけたマネージャーたちが「せっかくなので、映画祭にも出せるようなものに」と、本格的な映画製作に乗り出すことになった。
 
「映画を撮りたいという欲求は特になかったんですけど、周りが“撮ってみたら?”と言ってくれて。小説はちょこちょこ書いているので、それをベースに映画にすることはできるかも、と思いました」
 
すでに脚本の第一稿はアップされており、物語はとある工場が舞台。そこで勤務する人々の人間関係を軸に、“努力してもしなくてもなんとかなってしまう人”を描くものになるという。もちろん、川元が得意とする理不尽で不可解な出来事や、人間の黒い部分にもスポットが当たるはずだ。
 
 「50人くらいが働いている工場を舞台にしています。50人もいれば社会と一緒で、一定数、クズっているじゃないですか。その中でうまくやるクズもいれば、そうじゃないクズもいる。工場で働くそんな人たちを描くことで、人間社会全体を映すようなものになればと思っています」
 
 小説や映画を創造することの魅力。それは、コントではできない作風や設定にチャレンジできることだと川元は語る。
 
「小説や映画の方が場面もすぐに飛ばせますし、そういう意味ではコントよりも設定は楽です。あと、コントだと自分で演じなきゃいけない。ただ、映画は撮り方が全然わかっていないので、なかなかイメージし辛いですけど……実際に撮影した映像を見ながらやっていこうと思います。今の懸念はキャスティングですね。こればっかりはクラウドファウンディングの結果にも左右されると思いますけど、主役にはひとりくらい、有名な人を呼んで来られるといいなと考えています(笑)」

■とにかく芸人の範疇から逸脱するのはイヤ

 活躍の場が広がっている川元だが、本人はあくまで、芸人であることを重要視している。何かに転身するための足がかりではなく、芸人という強い軸から派生するものが、川元にとっての小説執筆であり、映画製作なのだ。インタビューの最後に、そんな芸人であることのこだわりについて語ってもらった。
 
「小説の執筆や映画製作は、あくまで芸人としての活動の一環だと思っています。例えば今、バイきんぐの単独に作家のひとりとして入っているのですが、自分の中では芸人として参加している感覚で。というのも、小峠さんとふたりで話して、ネタを作って、というやり取りを積み重ねているので、そこはいわゆる作家とは違う立ち位置だと思っています。とにかく、芸人の範疇から逸脱するのはイヤなんですよ。芸人を辞めて作家になる気もないですしね……それこそ、売れなかったから仕方なく転職した、みたいに見えるじゃないですか。まぁ、そっちの方がお金が良かったりするんですけど(笑)、僕は芸人であり続けたいですね」

【リーズンルッカ’s EYE】川元文太を深く知るためのQ&A

Q.芸人になって良かったことは?

おそらく一般の人よりは女性にモテますし、抱けますね(笑)。あとはやっぱり、単純にウケたときの気持ちよさでしょうか。スベリ続けていたら続けてないと思います。

Q.趣味はありますか?

無趣味なんですよ。それもやっぱりお金の影響が大きいと思っていて、お金があれば、旅行に行ったり、買い物に行ったりしているはずです。でも、それがないから、ずっと家にいます。結局、スマホでYoutubeをずっと観ていて……例えば、動物の捕食シーンとか。シマウマが子供が生まれた瞬間、ライオンに食べられたりするやつとかです(笑)。

<編集後記>

『虎ノ門』の「しりとり竜王戦」をリアルタイムで観ていた世代で、その回答の切れ味に魅了されていた私にとっては非常に印象深い取材になりました(当時のエピソードもいろいろ聞くことができました)。インタビューのときに無駄口を叩くことが多い人間なので、川元さんのような、一定の低体温感を保ちつつ、面白いワードを次々と発せられるそのセンスには本当に憧れます。

<マネージャー談>

私自身、ダブルブッキングのマネージャーであり、熱狂的なファンでもあります(笑)。
川元が出すネタや大喜利の答えに、何度も鳥肌が立ったことも、あります!
コンプライアンスが厳しくなる今、川元の才能をどうにか、1人でも多くの方々に知ってもらいたく、今回の企画を考えました。
本人も初めて、映画脚本にチャレンジしますが、私が見てきた中では今までで一番努力していると思います(笑)。
短編映画を作り、世界の映画祭にエントリーし、世界的な監督になってもらうことを願っています!!

<プロフィール>
川元文太(かわもと・ぶんた) 
1974年12月24日生まれ鹿児島県出身。1998年に結成されたお笑いコンビ「ダブルブッキング」のメンバー。ネタ制作担当。コンビとしての活動以外にも、バイきんぐの単独公演に作家として参加するほか、小説の執筆や漫画原作などにも取り組む。
Twitter

〈クラウドファウンディングURL〉
鬼才!ダブルブッキング川元が本気で作る映画!【宣伝・配給・制作支援プロジェクト】(8月31日まで)

 
〈川元文太×いとうせいこう対談 ダブルブッキング川元がいとうせいこうさんに直談判!?映画監督として一体何のオファーをするのか!?〉

取材・文/森樹
写真/村松巨規


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