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無駄な時間なんてない

今日は珍しく仕事が早く終わった。
格闘技ジムの練習に余裕を持って行けるほどに。
クラスに出て技術を磨こうか、そう思ったけれど。
わたしは今、夕食をたらふく食べて酒を飲んでいる。

飲んだくれてゴロリと横になるこの時間を、「無駄」と形容するのはたやすい。
確かに、着替えてジムに行けば、新しい技術をモノにできていたかもしれない。
一方、わたしはケガを負っていて、スパーリングができる状態ではない。
回復を早めるため、身体を休めてしっかり栄養を摂っている……そう考えれば、まったく無駄ではない。
※酒が怪我の回復を早めるかどうかは脇に置く。とりあえず、気分がいいのは確かだ。

なにかと「無駄」を削らなければいけない世の中だけど。
少なくとも、自分の人生くらいは、無駄なものなんか一つもないと思ってる。
簡単だ。見方を変えれば何だって有益だ。
例えば、この人なら人生を賭けられる、と思って心血注いだ相手にあっさり捨てられたとしても。
その人と過ごした時間を「無駄だった」と切り捨てたくはない。
それを通じて得た知識、経験、自分の心の動き。人は離れることがあるけど、知識と経験は死ぬまで残る。だから、目的を遂げられなかったとしても、無駄だったとは思わない。いつだって、強くてニューゲームのはじまりだ。

ケガをして対人練習ができない日々。
その時間を、筋トレやストレッチ、打ち込みに回す。何かができなくても、他にできる何かがある。そしてそれは、確実に自分を伸ばす。何なら「やらないこと」すらも、休息と割り切れば有益な時間だ。

だいたい、「そんなの無駄だよ」と声をかけてくるのは他人だ。
「ああそうだな、やり方を変えようか」
「いや、◯◯のためだから、無駄ではない」
……どっちでもいいと思う。ただ唯一、自分の頭で結論を出すこと。これさえ守れていれば、どっちだっていい。

生きている限り、全ての時間は何かの意味を持つ。
それを「無駄」と切り捨てるか、「役に立った」と前向きに捉えるかは、考え方一つで変わる。

自分を責めすぎず、物事を多角的に見よう。

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