『DUNE 砂の惑星』は『Arrival』の複線回収になっているのか
少し前にドゥ二・ヴィルヌーヴ監督の『Arrival』という映画について書いたが今回は同監督による『DUNE 砂の惑星』というSF映画を追求してみたい.
この映画の注目ポイントは『Arrival』の複線回収のような世界観を持っているところにある.2016年に『Arrival』が上映され2021年に『DUNE 砂の惑星』が上映されている.
時間軸では『Arrival』が現代なのに対し『DUNE』は10191年が舞台となっている.
そして『DUNE』の中で特殊な能力として使われてるのが「ボイス」である.「言語」がキーだった『Arrival』に少し似ている.
「ボイス」は人を操ることの出来る言語として扱われており、主人公は「ボイス」によって命拾いをするのだが、この主人公もクセが強い.
主人公は何度か未来を見る行為をするのだが、未来を見るというのは「Arrival」を見た人ならば理解できるが、10000万年後の世界で複線回収を行っている.
しかし、10000万年後の社会で使われている言語は二次元言語であり、ヘプタポッドが使っている三次元言語とは違う単一化された言語である.
この言語は今の人々が使っている言語なのだが、ヘプタポッドの使う言語は三次元にすることで意味を明確に深くし、記号によって簡潔に使える事ができる.
その点では二次元言語を基調とする人類はヘプタポッドよりも劣っている.
過去に帰化する未来
この映画の中心的な話題は「香料」にある.そして香料を巡って対立する構造を作っている.
この点からエネルギーを巡る人間の行動には変化が無い事が分かる.18世紀から始まった産業革命時の争いの種は「石炭」の発掘にあり,21世紀は「石油」にシフトした.112世紀の世界では「香料」と人々の形成する社会構造は何ら変わっていない.
さらに皇帝を中心とした専制政治的、覇権国家的な構造を作り出している.映画のスタジオは宇宙全体になっているが構造は過去に遡っている.
技術力や文化が発展し、地球以外の生命体との接触が可能になった世界で繰り広げられるのは15世紀のスペインであり、18世紀の産業革命である.
人間という存在が既存の枠組みから超越したヘプタポッドのような生命体にならず個体種を持ちながら共同体圏を作っていく文化性にはバカバカしく感じるが人間の本質が見えているような気がする.
『DUNE』の続編が出るらしく、今改めて見た方も多いはずだ.『DUNE』が完全な個体作品ではなく少しばかり共通項を持っていると考えるとさらに面白く見ることができる.
『DUNE』の表す未来の社会は「幸福」なのか「絶望」なのか.