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人は老いる流転を毎日繰り返す

ちょっと忙しくて寝れてない某日.朝日が登り始め,益々眠くなってきた.ちょっとした達成感と寝なきゃなーという自省ともういいかなという諦めが全て混ざっていた.

「ちょっと外に出て日に当たろうかな」と外に出てベンチに座りながら少し考えてみた.今僕は寝ていない.なんなら半分寝てるかもしれない.世界は朝を迎えたが僕は朝を迎えられているのだろうか.今人間として限界を迎えられているんだな.味わい深いな.と思っていた.

でも僕の意識をAIロボットに移行すれば身体はチューニングしている限り半永久的な命と毎日寝なくてもいい毎日が得られるのかもしれない.

「でも少し嫌だな.」と思った.人間がそれほどの時間と作業に精神が耐えられるのか.

そういえば落合陽一「半歩先を読む思考法」の中で心の老いについて触れられていた.僕は成長期を迎えて少し意識がまとまってきたと言うかアウトプットできるようになったと言うか.

脳内回路では思想,思考の出力を行えるようになってきたのかもしれない.だからちょっとした記録用でこのnoteを使っているわけなのだが.

今はまだ心が若いから何に対しても先進的で相手の意見を聞いても「それでも」と言うことができる.落合氏も同じような事を著書で書いていた.

今が若くても思考は老いていく.思考は外的な影響を受けて常に流転していく.今の自分と昨日自分が全くの別人ということと一緒だな.その老いは止めることができない.今は若いから老いることへの後進的な思考になっているのかもしれないけど老い楽しい.

老いることで今とは違った思考の中で自分よりも若い人を見ることができる.

僕は人間には最終地点が存在するから老いることができるんだし、何かに情熱を持てるのかもしれないと思っている.これが半永久的な存在になった瞬間精神的な限界は100年ちょっとで他は何にも興味を持てず死ぬことへの意識が薄れて何のやる気が出なくなってしまうのかと思っている.

機械と人間のUI(ユーザーインターフェース)が薄れている現在、自分を人間として認識する材料は自分しかいない.僕のデータを完全移行したAI杉本が存在すれば他人は僕を僕と認識するだろう.いつの間にか僕がいなくなっていても僕の家族は僕と会話をできるし生活を共にできる.

そんな中生きている事に感謝することしか僕はできない.人を捨て機械に入った僕を受け入れる.当たり前の話のようで自分はウソだ.

自分としての自覚を持てる2023年朝日が登る公園のベンチより.

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