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『FUKUSHIMA 50』

『FUKUSHIMA 50』は東日本大震災時の福島第一原発の事故を描いた映画である.

2011年3月11日午後2時46分、日本の観測史上最大の東日本大震災が発生し、想定外の大津波に襲われる.太平洋側に面する福島県双葉町に設立された福島第一原発発電所が被害を受け、制御不能になった原発内部の暴走を食い止める為に奮闘した地元の作業員たちを描いている.

この映画が見せる自然災害の恐怖と人の雑踏、危機対策の未熟さは人間の現実への回帰を思い出させてくる.

人間は山を切り開き、多くの人工物を作ってきたが、自然災害には勝てなかった.人は自然の奴隷であると感じるのがこの映画である.

しかし、自然災害に対して最小限に被害を抑えようと奮闘するのが現場の作業員『FUKUSHIMA 50』である.

原子炉を冷やすための冷却装置が制御不能になり、燃料ウランが溶解ている中で奮闘した人々である.

原子炉の溶解をメルトダウンと言うが、これは放射線が直接外気に大量放出されている状態である.

さらに福島原発のメルトダウンは3機発生した.

この生死に関わる中、作業員の手によってベント(圧力の解放)を行い最小限の放射線排出で抑えようとしたのだ.

もしベント作業が失敗していれば全ての原子炉で水素爆発を起こし、大量の放射線が注水されずに排出され半径250kmの人々が強制移住を強いられる可能性があった.

半径250kmは盛岡市から横浜市に匹敵し、東日本壊滅の最悪のシナリオが考えられていた.実際はベントに成功し最悪の事態を防ぐことができた.(2号機は1号機の水素爆発の影響で原子炉建屋上部側面のパネルが開き、水素が外部へ排出された)

この映画で理解できるのは当時、東電や政府への批判を連日行い遠目で眺めていた人間がすべきだったのは福島原発の現場で死を覚悟しながら日本を守った人たちへの感謝であり敬意を示すことだった.

今、我々がこの土地に住めているのは原発事故の中で最善の選択をした現場の人々であって政府でも東電の本部でもなかったことだ.

あの日本当は、何があったのか.それを知るための映画だった.

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