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丸山眞男の日本思想『思想のあり方について』は現代の今と変わったのか

1961年に岩波文庫から刊行された丸山眞男氏の『日本思想』は日本政治思想史の中でも特に注目される考え方で『思想のあり方について』はⅢ項より述べられている.

ここで注目なのが日本の学問を「タコ壺」と呼びヨーロッパの学問を「ささら」と評している点である.一見なんら関係のなさそうな名詞だが構造に着目してみると日本の学問の問題点が明るみになってくる.

まずタコ壺というのはタコが敵から身を隠すために狭いところとして使うものであり穴が空いていては使い物にならない.一方でささらは中華鍋の洗浄で使われる通り先の部分が枝分かれし手元の部分は一括りになっている.ここで言いたいのはタコ壺というのは入ってしまったら外の世界は見ないような学問であり、ささらは枝分かれしているが根本の部分で一つのまとまりができている事である.

丸山はここで特徴的な例として19世紀の後半の学問の例を提示している.19世紀前半がヘーゲルやシュタイン、マルクスやベンサム、コントといった学者が挙げられるが、後半では専門性に特化した学者が増えたことを述べている.

この時の社会学の考え方も「the social science」から「social science」に変化したと述べており、言葉の概念を大きく変えていることがわかる.

そしてこの19世紀は日本が開国し明治維新が起こされ欧米に対する大きな憧れを日本が持っていた時代である.蘭学といった文学は正にヨーロッパの学問形態を輸入してきたもので常に最新の情報を欲しがっていた.

しかしこの時の学問への姿勢が間違っていたのではないか.と丸山は疑問を投げかけている.最新の情報により素晴らしい学問ができるようになっても個々の持つ思想的原動力は異なるもので明確に確立されていないのではないか.ということである.

要は基盤のない枠組みだけのスマホに色々なデコレーションをしているような感じだ. 

ヨーロッパの学問が日本に入ってきた時には既に専門化された分野で進んでおり学問の概念は勿論「social science」の方になっている.それにより日本の学問の形態は専門化された学問であるという認識が広まりいつしか普遍かしていってしまった.そのため今の学問形態も個々に独立し、そこには共通性や基盤がない.

すると何が起こるのか.

学問に対する無意味さや嫌悪感である.近年学校に行かない子供が増えたことで話題になっている.勉強をしたくないから学校に行きたくない.そんな理由もあるだろう.不登校だけではなく、英語学習も将来何の役に立つのだろう.微分積分ができて何の役に立つのだろう.と疑問を持つ学生は少なくないはずだ.

その問題を先生に投げかけて納得する答えが返ってくる可能性も低い.それは学問の基盤がないために表面の学問では何ら意味を感じないからである.

自己実現のために必要な学問を今学んでいるという認識が共通理解の基にあれば学問の対する嫌悪感は生まれるはずがない.

ここまで学問の基盤として述べてきたが、基盤というのは「哲学」に他ならない.

ドイツでは物心つく前から哲学的教育が重宝されているそうで常に身近な存在だという.対して日本における哲学というのは宗教感や難しく必要のない学問という認識が強い.

アメリカの大手IT企業が徐々に哲学分野を専門とする人材を会社に置き方針を決めようと試みているが日本で全くそのような動きがないのは必要性を感じることができていないからであろう.

正に基盤がない国なのである.

「哲学」と聞くと堅苦しいイメージを持つが実際は「philo」=「愛する」「sophy」=「知」という「知を愛する」というギリシャ語から来ている.知を愛する学問をしない国民は学問に対する意欲はなくなり知識への欲求はなくなる.

今リスキリングが日本の資本主義の中で最重要課題になっているが正直うまく行くとは思えない.人々の中には無理やり感が根にあるため結局は意味もわからず勉強して終わりになってしまう.

こういった問題点を見ていくと丸山眞男の『思想のあり方について』が発表された1961年から日本の学問体系は何も変化することがなかったと言える.この問題は知を愛することができなくなった国民にとって大きな負荷になってしまう.哲学的教養は個人の幸福だけではなく国の未来にも大きく影響を与えるものであり今後古代の哲学者が解いてきた道を日本独自に探していく必要がある.

本書でも取り上げられている和魂洋才は失敗してしまったかもしれないが江戸時代以前に確立された思想は日本的なものであり日本人のための思想だ.

幼少期から哲学を習うように日本でも故人の思想を教え考えさせる必要があるのではないだろうか.それは教養でも素養でもなく、基盤であり人生を豊かにするために望む考え方を今後数十年,数百年かけて一般化していく必要があるのではないだろうか.

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