#スノーマン

私のことを皮しか知らない人や、私のことを信じてくれている人から見れば私は社交性に溢れ誰とでも仲良くなることが出来、楽しく過ごせると思われているようで、そんな風に言われることがたまにある。

しかしそんな風に見られている時は大概心の中は大汗をかきながら笑って過ごしている。
そう、私は人見知りである。

私はとても小さい町村の育ちで保育園から中学校までほぼほぼ同じメンツで10年以上育った。
だから高校に上がった時は毎日お腹を下し昼休憩には寝るふりをして過ごした。大学の時陸上部に入った時、他校との合同練習があったが練習が嫌というよりは知らない人と話をすることが怖くて競技場に着いてすぐに逃げ帰った。

そんな私が人に近づける方法は、向こうから名前を呼ばれたり、話しかけて来た時である。
そうなると、自分が認められた気分になるので距離を詰めることができる。距離を詰めてみて相手も悪い感触でなければさらに近づけるしそうなったら色んな会話も生まれ、冗談を言ったりいじったりすることが出来る。
なので大学生のころ私は仲良くなったら冷たくなるとよく言われた。決して冷たくしてるのではなくて自分の素が海辺の凪のように穏やかなだけだと気づけたのは割と最近である。

自分からはなかなか仲良くなれないというのは、他の人からもよくあることかもしれないが、私はよっぽどこじらせていると思う。
職場の後輩や、先輩の子供にも同様の選球眼を発揮してしまう。もはや選距離感眼である。
足りてる人からしたらそんなことなんで考えるのかと思われるかもしれないがひたすら人と話す時は距離感をみて自分の心を閉じたり開いたり。

もちろん克服はしたいし昔からしようと努力しているが結局できるようになったのは人見知り感が出ないように当たり障りのない会話を見つけて、声が小さくならないように笑顔を顔に貼り付けることだけだった。それがバレるのが嫌で他の人から誘われた飲み会にはほぼ必ずいって、知らない人と話したり、興味のない嫌な先輩がふんぞり返ってる職場のスポーツチームに参加したり、ファンだけど罵声と怒号が飛び交う全く自分の価値観を崩されるようなタイガースの応援団に入団したり。だから親友からはイエスマンだと言われる。

別にいいんだ。人からどう思われようと、むしろ他人は自分が思うほど自分のことを考えていないんだ。
こう考えればいいのだと思うがどうしてもそこまでの境地にはたどり着かない。自分の素を出しながらNoと言えるようなスノーマン(素Noマン)になればそれは成長なのかもしれない。

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