(四十)谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』を読む

先ず、Goo辞書から陰翳の解説を引用する。
1.      光の当たらない、暗い部分。かげ。
2.      物事の色・音・調子や感情などに含みや趣があ  ること。ニュアンス。

とある。陰翳とは、一般に2.を意味しているが、光と光がもたらす影とが調和して、趣をもたらすことも明記しておいた方がよいであろう。

光と影の明暗の調和は、音楽の如くであり、歌の如くである。歌を研究するものが、陰翳を理解しようと試みるのは、ある意味当然と言える。
 太陽の位置や太陽の光と熱の強さは時間と共に変化する。例えば、和室の違い棚を背にして座っていたとしよう。
 部屋に差し込む光の角度や強さは時々刻々と変わり、影の位置や濃さもそれに伴い変化する。これを観察するのは和室に居るときの楽しみの一つなのである。部屋の明かりをつけたり消したり、或いは座る位置を変えたりするだけでも楽しめる。例えば、床の間を背にして座ったり、縁側の手前に座ったりすることで、光の当たり方・見え方が異なるので、楽しめるのである。

一方、我々の生活は蛍光灯によっている。天井から吊るすシーリングライトと呼ばれる白色系の蛍光灯が部屋全体を照らしているため、およそ陰翳なるものがない。明るい生活なのかもしれないが情緒に欠ける。
蛍光灯が発達する以前は、電球の光が主であった。そして、電球が出来る前は蝋燭の火が普通であった。どちらも、蛍光灯とは異なり陰翳がある。蛍光灯の普及に伴い、陰翳というものが 日本から消えつつあるのである。

谷崎潤一郎は陰翳のない景色と陰翳のある景色は全く異なった世界を生み出すことを発見し、驚き、そして陰翳ある生活の善さを述べている。谷崎の『陰翳礼讃』から彼の見解の中で重要な句を抜き出してみる。
  唐紙(とうし)や和紙の肌理を見ると、そこに一種の温かみを感じ、心が落ち着くようになる。同じ白いのでも、西洋紙の白さと奉書や白唐紙の白さとは違う。西洋紙の肌は光線を撥ね返すような趣があるが、奉おう書や唐紙の肌亜柔らかい初雪の面のように、ふっくらと光線を中へ吸い取る。

  あおねっとりとしたつやのある汁がいかに陰翳に富、闇と調和することか。また、蒲鉾や、とろろ汁や、白身の刺身や、ああ云う白い肌のものも、周囲を明るくしたのでは色が引き立たない。
  第一飯にしてからが、ぴかぴか光る黒塗りの飯櫃に入れられて、暗い所に置かれている方が、見ても美しく、食慾をも刺激する。
  われわれが住居を営むには、何よりも屋根と云う傘を拡げて大地に一廓の日かげを落とし、その薄暗い陰翳の中に家造りをする。もちろん西洋の家屋にも屋根がない訳ではないが、それは日光を遮蔽するよりも雨露をしのぐための方が主であって、陰はなるべく作らないようにし、少しでも多く内部を明かりに曝すようにしていることは、外形を見ても頷かれる。

この様に、谷崎は紙の白色にも西洋と日本は異なるのみならず、日本の文物が悉く陰翳の下で美しさを発揮すると主張している。これは、炯眼と言うべきであろう。日本の文物が、陰翳の下で、美しく演出されるという観点はすこぶる正しい。
食べ物では、茶碗に盛った白いご飯、汁物、煮物、刺身、突きだし、と陰翳のもとで映える。
更には家屋自体、陰翳を作る日本家屋と西洋の家屋が異なる事を示している。日本の家屋には屋根があり、長い庇を形成している。場合によっては、庇を屋根とは別個に作る場合もある。これによって、陰翳を作るためである。西洋の建築物は、屋根が小さく、窓も小さいが光は屋根によって遮られることがない。

しかし、谷崎は西洋対東洋(日本&中国)という構図で論じている。これは一時流行した文化論であるが、必ずしも正しくない。
中国はある場合には、西洋と同じように、陰翳有るより無きをよしとしている。例えば、南宋の詞人辛棄疾が旧暦正月十五日(上元節)の夕方を次の様に歌っている。
  東風夜放花千樹、更吹落、星如雨。
 
この「花千樹」、「星如雨」は花灯(花飾りのある灯)の事を述べている。裕福な家が争うように竹竿に花灯を沢山つけて夜空に光っていることを言ったものである。ここには、富と権力を見せびらかす事が強調され、陰翳を重んじるという考えはない。
 一方、西洋は必ずしも、明るいだけを善しとしているわけではない。欧州では、レストランやカフェで暗さを楽しむことも行われている。

視点を一般の家屋からオフィスへと転じてみよう。ここでは、次の様な環境を提供している。
  ・一日中、室温・湿度が同じである。
  ・一日中、室内の明るさが同じである。また、室内の何処も同じ明るさである。
  ・皆、スチールの椅子と机を利用し、単色で凹凸のない、事務用のスチール家具が据え付けられている。

この様な環境では、陰翳を期待することはできない。一日中、「変化しない」人工的な環境で働いている。「温度、湿度、照度」が一定であることが快適なオフィスの環境であるかのような主張がなされているが、それは誤りだ。
動物は環境の変化に従って生きるように作られているので、環境が一定というのは、ストレスが掛るばかりだ。もっと、人間的な環境に替えるべきである。

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