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「大人になるための方程式」をオカマが考えてみた・・・#3



ふと電車に揺られながら、こんなことを考えていた。

「私は大人になれているのかしら。」




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どうやったら大人になれるのか。
いつになったら大人になれるのか。

正直よく分からない。
そもそも大人とは何なのか。

見た目が大人なら、それは大人と言えるのだろうか。
精神年齢が高ければ、それは大人と言えるのだろうか。


私の知り合いに、「精神年齢が低いよね」とよく言われてる"自称"美少女アイドルのオカマがいる。彼女がそう言われてしまうのは、いい歳超えて自分自身のことを美少女アイドルと言ってしまうからなのだろうか。それとも、よく現実逃避をして空想を語ってしまうからだろうか。どちらにせよ、それらが冗談だと仮定しても、周りから見た彼女は精神年齢が低いと見えてしまうのは仕方がないことだと思うし、実際に彼女は精神年齢が低いのかもしれない。

では、精神年齢を高めることが大人になる条件だとしたら、それを高めるにはどうしたらいいのか。

自分のことを「美少女アイドル」だなんて言わなければ、そして空想を語らずに現実を見れば、彼女は世間が決める年相応の精神年齢になれるのだろうか。

結論、なれるだろう。精神年齢なんて結局は他人が決めるものなのだから、それに合わせるように自分の振る舞いや考え方を変えればいい。そうすればいいだけの話だ。
しかし、世間の精神年齢に合わせるというのは、彼女の個性を殺してしまうのではないかと同時に思ってしまう。

そこまでして大人になりたいだろうか?

個性というものを捨ててまで精神年齢を高めることに意味があるのか?

「精神年齢が高い=大人」という方程式は本当に正しいのか。
自分の中にある何かがその方程式を拒絶している。


そして思った、「大人というのを定義するのは少しばかり複雑な気がする。」


大人とは何なのか、辞書で調べてみた。

辞書曰く、「一人前に成人した人」らしい。


一人前とは何を指すのか。また新たな疑問が生まれてしまった。まあ、今はそれについては議論するのはやめとこう。

そもそも大人という定義は、人それぞれで異なってくるだろう。見た目が大人なら大人だと考える人もいれば、精神年齢で決める人、年齢という数字で決める人とさまざまだと思う。


では、彼女にとっての大人の定義は何なのか考えてみた。

考えてみた結果。自立心がしっくり来る。自立して自分の力で何でもできるようになる。それが大人の証だと思った。(一人で何でもできるというのはいささか語弊を生みそうだが、)自立して自分の人生を自分の力で生きてる人のことを「大人」と指すのかなと思った。


では、ここでは大人とは、「自立した人」を指すとしよう。


彼女は、果たして大人と言えるのだろうか。

電車に揺られながら考えた。


結論、
まだ大人にはなれてないと思う。自立はまだできてない。ありとあらゆるところで人に頼りまくってる。頼りまくってて「1人じゃ何もできないの?」って言われる始末だ。最近では開き直って、「1人では生きれません」って言い返してる。

例えば、何かを決めるときに、「これで本当にいいのだろうか・・・。」と不安になることがある。そんな時はいつも、友人に相談してアドバイスを貰う。もっと正確にいうと、友人の言葉を借りないと自分の行動ができないのだ。もちろん、全部がそうだとは言わないが、その割合は結構高い。それくらい友人に頼りまくってる。もし、頼りにしてる人が彼女を見放してしまったとしたら、彼女はきっと生きていけないだろう。不安で押しつぶられて死んでしまう。


彼女のメンタルは確実にうさぎ並みだ。




☆☆☆☆☆☆☆☆


話が脱線してしまうが、彼女は少し不安症だと思う。何をするにもまず、不安になる。イギリスに行く決断をした時もそうだ。勢いで渡英の手続きをしたが、いざ時が迫ると不安で仕方なった。その不安を解消するために友達に励ましてもらった。相手からしたら、自分で決めたことなんだから、勝手にしろよって思うだろう。もちろん友達もそんな反応をした。

「私にどうしろというの?」と言う友人に、「とりあえず、励まして☆」と凄く自己中なお願いをしてしまう彼女。(彼女はメンヘラ気質があるのかもしれないと、今この記事を書きながら思ってる。)

ただ、その時の彼女は、自分のすることに肯定をしてほしかったのだ。他人から肯定をされることで、自分のやってることに自信がつく。無理やり言わせただけなのに、それでも不安な彼女は、「よし、私はできる!」って少しばかりの自信がついて不安が和らぐのだ。その”大丈夫だよ”には何の意味もないことというのは百も承知だけど、不安になった状態の彼女にはその言葉は、魔法の言葉なのだ。(テクマクマヤコンなのよね。)

ただただ肯定してほしいワガママな子どもなのよ、彼女は。


そうなってしまったのにも色々と心あたりはある。それは幼少期の話だ。(この話をするととても長くなるから、割愛する。また別の機会で話すこととする。)

人間の性格を形成するのは幼少期で決まるとよく耳にする。幼少期でどのように育てられるかが、その後の人生を大きく左右するらしい。それに関しては、何となく賛成できる。幼少期にどんな人と関わるかで人間の性格は大きく変わってくるだろう。

褒められて育った子供は必然的に自己肯定感は高くなるし、叱られてばっかで育てられた子供の自己肯定感は低くなってしまう。

幼少期に独りぼっちなことが多かった彼女は、不安に感じることが多かった。その結果、自己肯定感が低くなってしまったのかもしれない。もちろん、彼女自身、自分のことを自己肯定感の低いオカマだとは思ってないが、少なからずそういう側面があるのかもしれない、そしてそれが今の彼女につながってるのかもしれないと思った。

ただ、それを悔やんだところで、何も結果が変わるわけではなく、現実は「未だ自立できないオカマ」なのだ。

その現実を打開するためにも、彼女は動じないオカマになりたいと思った。

自立して、声を大にして「私は美少女アイドル」と言いたい。


そうなるにはどうしたらいいのか、彼女は考える。


「動じない=自信」ではないだろうか。

動じない自分になるのは、自信をつけることが大事だと思った。そして、自信をつけるには経験を積むことが大事だ。今テレビに出て堂々と話してる司会者だって、最初からそれになれていたわけではない。経験を積んで、今の堂々とした彼になれたのだ。そして、田舎生まれの”自称”美少女アイドルのオカマがイギリスで1人で生活できるまでに至れたのも、色々な経験をしてきたからだ。
できないこと・やったことないことが、経験をしてできるようになる。その経験が自然と自信につながってるのだ。


だから、経験しないといけないのだ。




ここで、
彼女(=私)は以下の方程式を導き出した。

大人になる=自立する=動じない=自信をつける=経験を積む


そして、その方程式から導き出される私の答えはこうだ、


大人になる=経験を積む


話は長くなってしまったが、私にとって大人になるというのは、経験することだと結論づける。




☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆



今日も最後まで読んでくれてありがとうございます。今日は真面目な記事を書いてみました。

これを読んでくれてる方も、自信をつけるために何か新しい挑戦(経験)をしてみてはいかがでしょうか?

レオみちゃんもいつか胸を張って「美少女アイドル」と言えるように頑張るわ♡


では、ごきげんよう。




レオみちゃん☆

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