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香港広東雨物語 雨の中の天使

どんなにつらいことがあっても、決して希望を捨ててはいけない。かならず、みんなうまくいく。 そういって励ましてくれる人がいたら、それはあなたにとってかけがえのない大切な人です。


月曜・国境越え

1994年9月、香港。
月曜日の早朝。メイフーの街は雨だった。
頼りない折り畳み傘に身を隠すようにして、地下鉄MTRの駅まで歩いていった。手にはスポーツバッグひとつ下げて。
ここ1年間つづいている、いつもの月曜の朝だった。プリンスエドワードで乗り換えてカオルントンへ行き、そこで、KCRという地上の鉄道に乗り換える。そこから約40分、国境の駅、羅湖(ローウー)に着くと、鉄道を降りて香港出国のイミグレーション手続きをすませて、国境の橋を歩いて渡るのだった。

昨日は飲みすぎた。ジョーダンにあるバーで深夜2時までウォッカを飲んでいた。3時間の睡眠は42歳の体にはきつかった。

KCRの電車に乗ると、たまたま空いていた、駅のベンチのようなプラスティックのオレンジのシートに座る事ができた。降り止まぬ小雨はニューテリトリー(新界)の地区をしっとりと落ち着かせて見せていた。
2日酔いと睡眠不足は、広東語の会話の続く電車内でもわずかの睡眠をもたらしてくれた。
羅湖(ローウー)に着いて電車を降りると、ホームの改良工事のためか、ホームから改札に向かってたいへんな混雑だった。どうやら改札で規制をしているようだった。5分くらい待たされては20メートルほど進むというのの繰り返しだった。
蒸し暑さと周囲の広東語の喧騒で気分は最悪だった。もちろん最大の原因は昨夜の深酒なのだが。

香港側の出国手続きを終えると、橋に向かってたくさんの荷物を抱えた香港人が走っていった。
あまりの混雑に走る気力もなかった。ふたたび、国境の橋の上で、尺取虫のような行列の行進に加わった。
国境の遥か下によどむ黒い川は、蒸し暑さに異臭を放っていた。川の両側には高いフェンスと鉄条網が張り巡らされていた。
(97年になっても、これはなくなることはないのだろうな。)
ぼんやりとそう考えていた。

橋を渡った後、右側の消毒薬の匂いのする検疫の部屋で、身体に異常がないむねを記入し、判をもらう。形ばかりの検疫手続きだった。経験上は健康を害することはむしろ中国出国時にあることが多いとも思われるが。
今度は外国人の入国手続きの窓口のある左側の階段を上り、先ほどの検疫の用紙を渡した。この手続きにどれほどの意味があるのかは理解を超えていた。
イミグレーションの列は、圧倒的に日本人が多かった。やはり、これから経済特区深圳(シンセン)や広東省内の日本企業の工場へ出勤するのだろう。
窓口の係員は、まるでカルタ取りのような手つきでキーボード入力している。パスポートの名前とパスポートNoの打ち込みに大変に時間がかかっていた。迎えのバスは深圳の駐車場8時30分発だった。時計はもう8時を廻っていた。やっと手続きが完了した。多次入境と書かれた中華人民共和国のビザは入出国の判でいっぱいになっていた。
係官は手続きを済ませると無表情にパスポートを投げ出した。
税関では手荷物は一応X線検査をしていた。だが係員はおしゃべりをしていて、画面を見ていなかった。
足早に通路を横切り、すこし動きのぎこちないエスカレータを降りた。匂いに息を止めて水浸しのトイレに寄った後、雨のシェンツェンの街へでた。何を待っているのか、たくさんの人たちがそこにいた。タクシーの客引きはしつこくつきまとってきたが、 “ムサイ”(いらない)といって追い払った。
汚い服を着た子どもが物乞いに寄ってきた。決して乱暴には扱わないが、無視をした。
駐車場には“SANKO ELECTRIC”とブルーのペンキで大書されたバスが停まっていた。
重いからだを引きずるようにバスに乗った。香港人スタッフと日本人のエンジニアがすでに10人ほど乗っていた。
中ほどの固いシートに転げるように座ると、わたしは思った。
(俺はいったいこんなところで、 何をやっているんだろう。)


争議のあと

バスは予定より15分ほど遅れて深圳の駅前を出発した。小雨模様の空は鉛色の雲で覆われていた。
ここ1年の間に、駅前のビルを初めとして、青緑のハーフミラーばりの新築の高層ビルがいくつも増えていた。
建築中のビルには日本のゼネコンによる、新宿の高層ビルの技術をすべてつぎ込んでいるかのようなものもあった。その一方で、竹をビニールのバンドで結束しただけの足場で、煉瓦積みによりかなりの高さの建物を建築している現場もあった。
曲がり角に、このところ姿を見せなくなった鄧小平と、ジャイアントパンダの巨大な看板が飾ってあった。
やがてバスはインターチェンジから、広州への高速道路に上った。
たしかに高速道路ではあるのだが路面の凹凸ははげしく、リーフスプリングのサスペンションのマイクロバスの後部座席はかなりはずんだ。両側には遠い昔ディズニーランドで息子と乗ったビッグサンダーマウンテンを思い出させる作り物のような赤土の山がそびえていた。
バスの中ですこし眠った後、ふと目が覚めると、第2国境の上を通過していた。
帰りには一度ここで全員降りて、経済特区への入国手続きを行なわなければならないのだった。これは経済特区への地方の人々の流入を防ぐ意味だときいていた。
とは言っても、日本人はパスポートを持って見せるだけで、ほとんど素通りできるのであったが。


『仕事仕事って、もう、いい加減にして。あなたにとって家族ってなんなの?』
『引っ越すことにしたわ。わたしは大介を連れて福島に帰るわ。』
『いちおう、連絡だけはしておこうと思って。大介が5月から学校へ行かなくなってる。いじめられてるらしい…。』


煙草を吸いながら、わたしはぼんやりと日本にいる妻の和美の言葉を思い出していた。いま、工場の会議室で土日もなく工場に出勤している日本の若手のエンジニアと工場長が激論している最中であるにもかかわらず。

「だから、もう我々だって我慢の限界だって言ってるんですよ。」
「まあ、それは分かる。私たちだっておんなじだ。」
「同じじゃないでしょう。ポストだって給与だって違う。俺の同期で高崎工場に勤務している奴と、基準労働時間がどれだけ違うか知ってますか?中国にいれば、1.7倍ですよ。それで、円高で香港ドル建ての給与は目減りしてるんだから、やってられないですよ。しかも、やつら研究部なら、時差出勤だっていってフレックスタイムですからね。1時間時差があるこちらから電話しても、まだ出勤してませんだって。こっちにはゴールデンウィークもないってのに…。」
「まあ、そうは言ってもねえ。ねえ、坂井課長。こればっかりはすぐにはどうしようもないよねえ。」
古沢工場長は脂ぎった顔をこちらへ向けて同意を求めた。わたしは否定も肯定もせず、なおも煙草を吸っているばかりであった。
「坂井課長。煙草ばかり吸っていないで、何とかいって下さい。」
若手のなかでも最も元気の良い村上が食って掛かってきた。たしかにこいつは仕事もできるのだが、少々見境のないところもあった。
「ここで、私を含めてみんなで吠えてみても、今すぐどうにもなるものでもない。現に君たちも日本の組合員ではないのだから、機関として保護してくれるものはなにもない。」
「じゃあ、このまま我慢していろというのですか?俺達は中国で仕事をする事は決していやじゃない。むしろ活気のない日本の研究所より俺は好きです。しかし、比べるものがなければまだしも、奴等とあまりに違いすぎる。」
村上は憤然と机を叩いて椅子に座り込んだ。わたしはすこし間をあけて言った。
「待遇を改善するなら、就業規則と海外赴任時の契約事項を改定しなければならない、ということだ。ともかく、私たちに吠えていても仕方がない。問題と思われる点をレポートにまとめろ。あとは、俺と工場長が本社に掛け合う。」
憮然とした表情ではあったが、言うだけ言ってすこしは落ち着きを取り戻したのか、村上は、
「分かりました。まとめて提出します。あしたの朝までに。」
と言うと、3人の仲間とともに部屋をでていった。
「いやいや、どうしたものかね。」
わずかに髪の毛の残っている後頭部をたたいてぼやいた後、古沢工場長はインスタントコーヒーを自分で入れた。
(本来はこの人だって日本に居れば、運転手付きになっていたのかもしれないのにな)
「坂井くん。君はホントのところ、どう思うのかね。」
ふうと一息ついてから、古沢工場長はわたしに聞いた。
「彼らの主張はもっともだと思います。工場長や私こそもっと格差が開いているんじゃないですか?」
うん、と彼はうなづいていた。

(待遇の格差だけではない…)
わたしは床に眼を落とした。

『あなたはいいわ。仕事していれば。でも大介だって普通の小学生らしい生活をしたいのよ。運動会だって、キャンプだって、一度も行ってあげた事なかったじゃない。』

和美の叫び声にも似た訴えが心の中に響いていた。
その時、部屋の外で大声がした。ただならぬ雰囲気にドアを開けて廊下へ出た。
そこでは、香港人スタッフが中国人エンジニアを広東語訛りの北京語で叱り付けているところであった。理由はわからぬが険悪な様子にともかく止めに入った。
それをきっかけにして中国人エンジニアは(たしか品質担当だったと思ったが)ふっと階段を降りていってしまった。
「どうしたんだ。」
わたしは香港人の技術スタッフのエリック・ホウに英語で聞いた。
「まったく、奴等はなっていない。品質データを期日までにまとめれば仕事は終わりだと思っている。こんなに異常がでているのに。これがチャイナクオリティーだ。」
憤慨してそう彼はレポートを私に渡してくれた。
(いや、たしかにそうかもしれないが、レポートができるまで何故我々は気づかないんだ?その前にちゃんと指導したのか?)
これ以上今日は揉め事の収集役をやりたくはなかった。この言葉はとりあえず胸に しまっておいた。


煉瓦色の大地

翌日の火曜日も東莞(ドンガン) 市は雨だった。建築途中の道路脇の掘削跡は煉瓦色の泥流を生じさせた。
朝、いつものように宿舎にしているホテルに迎えのバスが7時20分に到着した。
ロビーから少し疲れた表情の日本人スタッフが無言で乗り込んでゆく。
その中に、紺のブレザーにグレーのスカート姿の、見慣れぬ若い女性が混じっていた。最近は中国の日本企業に納入業者の営業担当やエンジニアとして日本人の女性が来る事も珍しくなかったので、さして気にも留めなかった。

昼食前に、昨日の品質のトラブルを工程内で原因の解析と対策をおこなって、一息ついて自分の部屋で煙草を吸っていたところ、開いているドアをノックして、総務人事経理担当の佐山係長が顔をのぞかせた。
「あ、坂井さんいましたね。嬉しいお客さんをお連れしましたよ。」
愛想のいい笑いを見せて、彼は後ろに控えていた女性を案内した。
「ご紹介しましょう。今度、香港オフィスに入社された杉原比呂子さんです。情報システム担当として仕事してもらう予定です。」
「はじめまして、杉原です。よろしくお願いします。」
それは、朝バスに乗っていた女性だった。
「そうですか。私は工程技術担当の坂井といいます。よろしく。」
彼女が手を出していたので自然に握手をした。
「いや、みんな若手社員は喜んでましたよ。ことに、あのうるさい村上もね。」
「そうだ、村上からレポートを預かった。俺のコメントも書いておいたから、佐山、チェックした後で香港支社長と、日本の人事部へ送っておいてくれ。」
香港支社長のビリー・ラウは、ことにこういった問題は気にする男だった。ただでさえ、彼は香港人スタッフと日本人スタッフの給与の格差に不快感を抱いているのだから、このうえ、もっと待遇を改善しろなどど日本人が言っていると知れば、また一悶着あるのは必至だった。しかし、かといって放っておくこともできなかった。
「こんな状況の我が社へようこそ。君も見ておくといい。」
杉原という女性にわたしはそう言った。
彼女はすこし怪訝そうな顔をして、お辞儀をすると、佐山係長とともに部屋を出ていった。

昼食後、雨があがった。まだ空は重く曇り、うすくもやがでていたが、弱い風のために蒸し暑さはすこし和らいだ。
わたしは工場内の食堂のいつもの油分の多い食事もそこそこに、屋上に出た。
そこには若手日本人エンジニアと中国人エンジニアにまじって先ほどの杉原比呂子がいた。
わたしは彼らからすこし離れたところでベンチに座り、煙草に火を着けた。そして、屋上の向こうに広がる広大な雨上がりの景色を見ていた。
「すばらしい風景ですよね。」
背後に女性の声がした。比呂子だった。
「そう、思うかい。」
振り向かずにわたしはそう答えた。
(この景色をすばらしいといったのは、日本人では君が初めてかもしれない。) と、思ったが、口には出さなかった。
「緑の木々が地平まで赤土の大地の上に広がって、大きい池があって。そのまわりにエキゾティックな煉瓦造りの家が建ち並んで。」
「めずらしいからだろ。近くで見れば、ガラス窓が破れていたり、トイレは汚かったり、そんなにいいもんではないけど…。」
「そうでしょうか?…わたしこの風景見て思ったんですけど、東京の鳥小屋みたいなマンションに住んで、ものすごいローンを抱えて、満員の通勤電車に乗って働きにゆく日本人と、こういうところに暮らしている中国人と、どちらがより豊かで幸福なんだろうって。…仕事だってこうやって外国企業がたくさんきてるし、一生懸命働けば、年功序列の日本よりよっぽどはやく出世して、ここで暮らすのに困らない収入だって得られるし。」
「どっちが自由主義経済圏かわからないって?たしかにそういうところはあるな。君はなかなか面白い事を考えるね。文句ばかり言っている若い男たちより見込みがあるかもしれない。」
「さっきも、来るそうそうグチばっかり聞かされたから、反論したら、もう嫌われちゃったみたい。」
わたしは彼女のいる左の方を向いて、顔を見合わせて二人ですこし笑った。

「でも、もしかしたら、中国はいまがいちばん面白い時なのかもしれない。これからはたいへんだよ。通信はだいぶ良くなったが、すでに電力や排水などで問題が出始めている。ちょうど、30年前の日本と同じで、しかも桁外れのスケールでだ。」
わたしは煙草を消しながらそういった。
「かならずマイナス面はあるんでしょうけど、わたしは良い方を考えたいです。」
そう、かならず光があれば陰がある。彼女は続けた。
「坂井さんは悪い面からばかり見てるんじゃないですか?」
わたしは彼女の何気ないひとことに言葉を失った。
「それに…。」
彼女は言いにくそうに、
「たばこ、あまり吸いすぎないほうが、いいですよ。身体に良くないですから。」
そう言うと、くるりと振り返り、屋上の階段の方へ歩いて いってしまった。


言い訳

「だから、ここは日本じゃないんだから、そんなオペレータに判断させるような仕事は成り立たないんだよ。日本でやっているラインをそのまま持ち込んだって、品質も生産性もあがらないんだ。」
製造担当の久保寺課長が電話の相手に怒鳴っていた。
たしかに従業員の定着率も悪く、数ヶ月で半数のオペレータが入れ替わってしまう状況では、同じ品質、同じ設備を使ったときの出来高の生産性を日本と同じにすることは難しかった。最近、部材の調達が安定してきただけに、生産に遅れが出れば、外的要因によるものと言い訳できない状況になってきていた。
しかし・・・。
みんなでそう言ってやはり逃げ道にしているのではないか?日本とは違ういといって自分たちの努力不足を糊塗しているのではないか?
では、はたして日本でやっているように従業員教育をやっているか?製品に対する知識を高める研修をやっているか?-答えはノーだった。
何故やっていないのだろう。相手が中国人だからか?入れ替わりが激しく、人数が多いからか?言葉が通じないからか?
香港人も含むわたしたちは、どこかで彼らを根本的に差別しているのではないだろうか?
わたしは先ほどの比呂子の言葉が引っかかっていた。
(悪い面からばかり見ているんじゃないですか、か。)
わたしが担当している製品の試作ラインは、昨年、中国人の新人のエンジニア2人と立ちあげた。彼らは実に好奇心旺盛で、熱心に夜遅くまで仕事をして、予想以上の成果もあがった。そして、オペレータは15歳から20歳までの女性で、中国の各地から来ている娘たちだった。彼女たちは指示を的確に与えれば真面目に仕事をしている。中には自分で英会話を勉強して、英語でコミュニケーションできる子もいた。
すくなくとも、わたしには同年代の日本人の女の子たちより扱いやすかった。]
ところが、これが量産の製造工程になると、より定着率も悪く、きめの細かい指導をすることが難しいのだった。
わたしは、無意識にポケットから煙草をとりだそうとしていたが、はっと気づいて取りあえず吸わないことにした。
結局、生産の遅れに対して、有効策は見出せないまま午後の会議は終わりになった。
翌日の水曜日も雨だった。
今日も雲は厚かった。ときおりぱらぱらと強い雨が音を立てていた。

昼休み前、開いている部屋のドアをノックして、”May I come in?” という声がした。”Yes, please.” とこたえると、杉原比呂子があらわれた。
「なんだ。君か。英語が上手だからこっちのスタッフかと思った。」
「それは、どうもありがとうございます。一応、仕事が終わったので、といってもいろいろ教えてもらっただけですけど、それで午後、香港へ戻るので、ご挨拶に参りました。」
「この雨じゃたいへんだよ。会社のバスで帰るのかい?」
「いいえ、2階建てのシティバスを予約してもらいました。」
「ああ、それならまだ楽だな。でも、気を付けて。そうだ、ブレザーは置いていった方がいいよ。会社のユニフォームでそのまま帰った方がいい。この雨で台無しになる。」
「大丈夫です。紙でできてるわけじゃないですから。・・・でも、さっきは驚きました。わたしバスの予約を中国人のクラークの方に頼んだんですけど、そうしたらそこにいた香港人の女性の方がその話しはわたしの担当だって言って割り込んできて、すこし気まずい雰囲気になったんです。」
「ああ、そう。必ずしもそうってわけじゃないが、人によってそういう事もあるんだよ。・・・まあ、あまり気にしないことだね。」
「ありがとうございます。あ、あの、煙草吸われていないんですか?」
彼女は空の灰皿を見て聞いてきた。
「あ、ああ、すこし押さえている。どうせまた、吸ってしまうのだろうけど。」
わたしはふふっと笑って、
「ともかく、これからもよろしく。がんばって。」
と言った。すると彼女は、
「ええ、でも無理せず、自然にやります。」
といって微笑むとお辞儀をして部屋を出ていった。
昼食後、彼女が香港へ帰ってしまった後、午後3時くらいから雨足は非常に強くなった。
それも、それこそバケツをひっくり返したような、水飛沫が15センチくらいあがるすごい雨であった。
香港人のマネージャーは昨年同じような雨で下水があふれて、グランドフロアが汚水まみれになった話しをしていた。
その夕方、香港支社長のビリー・ラウから電話があった。
佐山から預かった日本人エンジニアの待遇改善要求の件は、そのまま日本に持っていってもらっては困る、ということだった。この件について話しがあるから香港のタイポーマーケットにある支社へ、金曜日に来いと言っていた。
いずれにしても行って話しはしなければならないと思っていたので、木曜日の夕方、香港へ戻ることにした。

『運動会の練習も行ってないの。・・・いまさら、あなたに頼る気持ちなんてないけど・・・。』

(運動会・・・か。たしか今度の日曜日なんだよな。)
その日、宿舎のホテルのバーでジントニックを飲みながら数日前の会話を 思い出していた。


ふたつの約束

ビリー・ラウはレポートをデスクの上に投げ出すと、椅子の背もたれに寄りかかった。
「このレポートは英語で書いてある点については評価できるが…」
彼は煙草に火を付けると続けた。
「この内容は支社としては通すわけにはいかない。」
わたしはサイドデスクを挟んで足を組んで椅子に腰掛けていた。
「あなたのいいたいことは、解かっている。ただでさえ、ひとりあたり年間2000万円近くかかってしまうのに、さらに手当てをつけるなんてとんでもない、ということでしょう?」
わたしはラウにそういった。
「そうだ。ひとりの給与の分だけでも中国ならばオペレータ50人はやとえる。」
「それだけの仕事をしているのか、といいたいのですか?」
気を使った会話は時間の無駄だった。わたしは直接的にこう質問した。
「ここに名前のでている奴等については、むしろその点では問題はない。おまえも含めて。」
ラウは煙草の煙をふうっと吹き出した。
「それ以外の、最近大勢で来ている奴等や、ゼネラルマネージャークラスの奴等は問題がある。会議といえば、日本人だけでやるし、FAXやEメールも日本語で直接本社やタカサキプラントに送っている。CCもこちらにまわってこなくなった。出張者も含めた日本人の人数が増えただけ、コミュニケーションプロブレムが発生している。」
ラウは、つけたばかりの煙草を揉み消した。
「サカイ。日本式に一律にそういう奴等にも手当てを出すべきなのか?」
彼は一瞬皮肉な笑いを浮かべた。
「ここは、日本ではない。我々は現在サンコーエレクトリックホンコンの所属だ。給与体系や特別手当に関してはあなたが決められることだ。公平に査定してください。
ただし、わたしはこのレポートは日本の事業本部長と人事部には送ります。あなたも今の意見を書き加えるべきだ。そういうことを奥に秘めていることこそ、コミュニケーションプロブレムそのものではないのですか?」
わたしは冷静にそう答えると、ラウはにやりと笑った。
「いずれにしても、人員を送り出す日本側の問題としても、問題提起をするべきだと思う。」
わたしがそう言ったあと、少しの間があって、彼は良く通る声で言った。
「よし、わかった。わたしはわたしなりの意見をこれに付け加えて、本社へ送ることにする。忙しいところありがとう。」
ラウは話しは終わったとばかりに立ち上がった。
「そうだ、こちらの工場の製品の検査ラインで、K.H.リーがおまえを待っている。行ってくれ。」
「わかりました。それでは、また。」

ドアをあけてふうっと一息つくとわたしは12階の社長室から、4階の品質保証部門へ降りていくためにエレベータホールへ行った。
すると、そこには同じ階にオフィスのある杉原比呂子がエレベータを待っていた。
「あら、こんにちは。今日はこちらへいらしてたんですか?」
3.5"フロッピーディスクケースと、パイプファイルを抱えてにこやかに彼女は話し掛けてきた。
「ああ、こないだの村上たちのレポート、君も見たろう。あの件で支社長に呼ばれた。」
「そうだったんですか。それは、…いろいろ大変なんですね。」
彼女は言葉がみつからず、とりあえずそう言ってくれたようだった。
「杉原さんはどこに住んでいるの?」
かなり揺れの激しいエレベータに乗ったときに彼女に聞いた。
「クォリーベイのアパートです。ここからは遠いんですけど、ここに就職する前の7月から、やっぱり日本での就職浪人だった女の子と一緒に住んでるんです。」
「女子学生冬の時代か…。でも、遠いといっても東京で働いてること考えたら通勤はずっと楽だよ。」
「そうですよね。いちばんの問題は家賃を払うと生活費が足りなくなるってところですね。」
「切りつめれば、なんとかなるだろう。働きに応じて稼げるようになるさ。きっと。…7月からならこっちの生活は慣れた?」
「まあ、なんとか…。やっとこっちの英語が分かるようになりました。でも、広東語と北京語も少しは話せるようになりたいので、今勉強しているんです。あと…。食べ物はだめですね。日本人観光客向けのちゃんとしたレストランならだいじょぶなんですけど、地元のファストフード、大快活っていいましたっけ、あそこはやっぱりちょっと油っこくて…。」
「で、結局、俺もせっかく香港にいるのに、毎週週末は日本料理を食べに行ってるんだ。値段は高いけどね。」
「えー。教えてくださいよ。給料日になったら行きますから。」
「今日なら都合がいいんだけど…。ご馳走しようか?就職難民の就職を祝って。」
「え、ほんとですか?」
彼女はうれしそうに笑って、小声で、「やったあ!」と呟いた。
エレベータが生産管理部門の6階に着くと、彼女は、
「じゃあ、お仕事終わったら12階の内線1212に電話してください。覚えやすいでしょ?」
といって、 降りていった。


決心

「わあ、ひさしぶり。キリンラガービールってなかなか置いてないんですよね。」
「そうなんだ。一番搾りかスーパードライだね。やっと、ここを探し当てた。」
ビールをグラスに注いで、
「じゃあ、混沌と喧騒の香港へようこそ。」
といって、比呂子とわたしは乾杯をした。
尖沙咀(チムサチョイ)にある、“金沢”という日本料理屋だった。メニューは寿司から串焼き、蕎麦類まで何でも揃っていた。
「ここはメンチカツと、ぶり大根がうまいんだ。結局、ごく普通の食べなれた物が恋しくなるんだよな。」
「そういうものですよね…。きっと、砂漠でさまよって、食べ物も飲み物もなかったら、おむすびと麦茶の幻覚を見ると思うわ。けっして、フカヒレスープやサーロインステーキじゃないと思う。」
わたしたちは笑った。わたしにとって心から笑えたのは実に久しぶりのことだった。
そして、色々な話しをした。
「坂井さん、ご家族は日本にいらっしゃるんですか?」
当然、聞かれるであろう質問だった。特に避ける話題でもなかった。
「ああ、いる…というか、いた、と言うべきかな。」
わたしはビールをぐいっと飲んだ。
「一心不乱にこっちで仕事をしていたら、家内も息子もいなくなっていた。」
苦笑いにすこし顔がひきつった。彼女は、はっと済まなそうな顔をした
「…ごめんなさい。余計なことを聞いてしまいました。」
「ああ、気にしないでいいよ…。でも、このところ、俺は何のためにここにいて、こんな事をやっているんだろう、と思う事が多くなった。」
「仕事大変そうですものね。でも、坂井さんは私が見た限りでは自然に、というのか、あるがままにというのか、物事に立ち向かっているように思えましたけど。あ、生意気言ってごめんなさい。」
「そうかもしれないな。やっと、肩に力を入れなくても香港人や中国人と言いたいことが言えるようになったんだけど…。すこし、遅すぎたのかもしれない。」
「そうなれることに、遅すぎってあるのかしら?すばらしいことなんじゃないかな?」
「いや、さっきの話しさ。…別れた家内から、息子が登校拒否だといってきた。」
「え?…そうなんですか。」
「今度の日曜日が運動会らしいんだが、ずっと学校に行ってないそうだ。……いままでは、仕事なのだから多少の犠牲はやむを得ない、と自分に言い聞かせていた。だけど、こうなってみると、何だったのだろう、と思ってしまう。」
わたしは良く煮えた大根を箸で割って、口にはこんだ。
「坂井さん。差し出がましいとは思いますけど、悩まれることないんじゃないんですか?」
「え?」
わたしは比呂子の言葉に答えられなかった。
「坂井さん、息子さんのこと心配されているのでしょう?そうしたら、事情はどうあれ、日本に帰られたらいいじゃないですか。ここでいろいろ後悔しているより、ともかく会ってあげて、話しをしてあげたらいいんじゃないですか?」
「……。」
「それは、いまさら、とか、これまでのいきさつがあるから、とかいろいろあるとは思いますけど、ここで気に病んでいても仕方ないじゃないですか。そうしたときの結果を気にされるのでしょうけど…。
きっと、うまくいきます。必ず物事は良い結果になるようになってるって思います。」
比呂子はまっすぐにわたしを見て、真剣にそう言った。
「でも、運動会はあさってだし。もう間に合わない。」
「まだ、あした1日あります。エアの予約がとれなければウェイティングでも、ひとりなら必ずなんとかなります。」
そう力強く言ってくれた後で、
「絶対、諦めたらだめです。」
と言った。

しばらくの沈黙の後、わたしは言った。
「不思議なひとだね。こんな話し会社の人にはしないんだけど。自然に話しをしてしまった・・・。久しぶりに心からの会話をしたような、そんな気がする。」
「生意気な事いってほんとうに、すみません。でも、わたしもここに来るまではいろいろあったんです。」
比呂子はすこしうつむいてビールの半分はいったグラスを両手で握った
「いろいろお話しさせてしまったから…。わたしの話しも聞いてください。」
「えっ?あ、ああ。」
「ずっと、大学の研究室の助教授のことが好きでした。彼は周囲には隠して、許されない恋なのかもしれないって少し後ろめたい気持ちではいたんですけど。」

少しあいだをあけて、彼女は続けた。
「あるとき、・・・彼には婚約者が居たことがわかったんです。そうしたら突然別れようと言われて…。とても悲しかった。生きていられないって思った。でも、憎かったのに、離れられなかった…。そんなの解かりませんよね。彼も“遊び”というのとは違ったと信じていたのだけれど、それからは、自分も本当に好きだったのかわからなかった。背伸びしている自分に酔っていたのかもしれない。そのあと希望していた就職もできなかったし…。それで…思い切ってこっちへ来ることにしたんです。」
「…そうだったんだ。」
わたしは思いがけない告白に言葉をうしなっていた。
ただ、先ほどの彼女の励ましの言葉が、口先だけのものではないことだけは、深く理解できた。
「すこし酔ってしまったかな・・・。
別に、わたしは不幸な女ですって、憐れみを誘おうってわけじゃないんですよ。でもね、わたしはこっちへ来て、今までとぜんぜん違う環境で大変だけど、たくさんの、一生懸命生きている人たちにあえて、とても良かったと思ってるんです。
わたしの今までの悩みなんてとても小さいものだった。あきらめないでいれば、いろんな良いことが起こって、坂井さんとか、支社長とか、いい人達に出会えて、これからもっと素晴らしい人生になるって、今、そんな気がしているんです。」
彼女は顔を上げて、明るく笑った。
「きょうは、どうもありがとう…。なんか、新人の君にすっかり勇気づけられてしまったな。」
「とんでもない、こちらこそ、坂井さんに話しをして、胸のつかえがすうっと下りた感じです。」
「それじゃあ、そろそろ行こう。」

わたしはウェイトレスを呼んで勘定をするように告げた。
しばらくすると、ウェイトレスは厚い皮の表紙の紙挟みを持ってきた。わたしはそれに挟んである伝票をチェックしようとすると、比呂子がそれをさえぎった。
「きょうは、俺のごちそう、という約束だ。」
「いいえ、今日はこんな良いところ教えて頂いたんだから、わたしが払います。」
と言ってから彼女は楽しそうに笑って言った。
「何だかファミレスでのおばさん達のお会計みたいですね。」
こちらも釣られて笑ってしまった。
「約束だから。」
と言って、わたしはクレジットカードをウェイトレスに渡した。
支払いを済ませると、ふたりとも何かから解放されたような気持ちで格子戸の出口へ向かった。

外へ出ると、長く続いていた雨は上がり、蒸し暑さを和らげるしっとりとした空気が心の中にまではいりこんできた。
そしてわたしは前を行く比呂子の後ろ姿をみながら、心の中で決意していた。
(明日、空港へ行ってみよう) と。

END

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