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天国の青い蝶


一時間半かけて大学に通っていた頃があった。

母方と父方のじいちゃん、
両方が同じ時期に亡くなって、
親が離婚。

父親が大腸ガンで入院。

全て2016年の、
夏から冬にかけての出来事だ。

住むようになったその家は、
僕が小さい頃からよくお世話になっている家。

幼稚園に通う前、毎日のように預けられ、小学校に入ってからも、毎週のように行っていた「ばあちゃんの家」だ。


家族はみんな、この家のことを、
「ばあちゃんち」と呼んでいる。


大学一年生の生活が後半に差し掛かる頃、
なんだか時間が早く動きすぎていて、
ついていけないと感じていた。

そんな中でふと、
行きたくなった場所が、ばあちゃんの家。

逃げるように、転がり込む感じで大学終わりにふとばあちゃんちに寄り、

この家に住んでもいい?と聞いてみたら、
ばあちゃんはすぐに「いいよ」と言ってくれて、その日から、ばあちゃんちでの生活が始まったのだった。




大学二年目の春。


やっと大学生活に慣れてきたころ、
さんぽをはじめてみることにした。



懐かしいところをたくさん歩いたら、
至る所にあった空き地も、
今は全て住居が建ってしまって、
虫が居ないということを知った。


ばあちゃんちの畑に、
昔、よくとんできたエゾシロチョウ。
思えば小学生の頃は捕まえて、部屋に放したりしていたな。


近所の公園に行って、
幼虫がたくさんくっついていた木を眺めても、エゾシロチョウの痕跡は無かった。



春、心が安らぐはずのさんぽで、
悲しくなる日々。

時間は確かに流れていると思った。



じいちゃんはもちろん帰ってこない。

しかしそれ以上に、
自分の居場所が一つ、
また一つと減っていく。

そんな孤独感のようなものが、
当時の僕にはあった。

仕方がないという気持ちだけでは、
心は休まらなかったのだ。

僕にとって近しい人が死んだのは、
初めてのことだったから。

朝さんぽから帰ってからは、
ばあちゃんとラジオを聴き、
居間で昼寝をしたりもした。

ばあちゃんもまた、じいちゃんの持ち物を部屋から居間に持ってきては、眺めて、捨てられずに結局居間に置きっぱなしにしたりして、昼寝をしていた。

ばあちゃんも、きっと僕と同じような心持ちだったのだと思う。




家に自衛隊の方が来て、
じいちゃんを表彰してくれた事があった。

じいちゃんは53歳までずっと自衛官だった。

僕が知る頃にはただのじいちゃんだったが、
あるとき、おもちゃの鉄砲を完璧なまでに使いこなすじいちゃんに驚いたのを、今でも覚えている。



自衛隊員のおじさんが僕とばあちゃんに敬礼をしたあと、僕が撮った表彰の写真を、ばあちゃんにカメラでみせた。

「良い写真だねぇ。でもばあちゃんは、あんたがこないだ撮った、テンだかなんだかの動物の方が好きだよ。」

そう言ってくれた。

そんな一言が、僕が生き物を撮り続けるキッカケになっているとは、ばあちゃんも思うまい。

2022年の夏、
ばあちゃんはスマホを買い、
家をリフォームした。

最近は、ばあちゃんにラインで写真を送る。

返事は、たまに来る。

「良い写真ですね」

とか、そんな感じだ。

心地よくも感じるし、
新鮮な気持ちにもなる。

思えばばあちゃんの言葉が、文字として目の前にあるのは、晩ごはんは冷蔵庫にあります、的なメモ書き以外で、見たことがなかった。

時は流れ続けているのだと、思った。



写真を眺めていると、なおさらそう思う。

時の流れは残酷にも見えるが、
しだいに美しくも感じられるようになった。

消えたように見えても、
世界はみな一緒になって、
時を旅している。

僕の考えというよりは、

写真がそう思わせてくれるからそうなのだ。

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