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平凡な舞台俳優が海を渡ると決めるまで (後編)

前編では僕の中で海外志向が芽吹いたきっかけを書いたが、後編の今回はその芽が育っていく流れを書きたいと思う。

パリの焦燥

2019年2月、僕は舞台「海辺のカフカ」出演のためパリに来ていた。ちなみにそこで僕はキャリア1年目にして岡本健一さんと2度目の共演を果たしている。村上春樹原作x蜷川幸雄演出はパリでも相当な話題となり、国立ラ・コリーヌ劇場前には当日券を求める列が連日できていたという。

日本人も村上春樹さん本人を始め錚々たる顔ぶれが観に来たが、その中に無事NYの演劇学校入学を果たした岡本圭人や当時イギリス留学中のウエンツ瑛士さんらがいた。
世界に飛び出した彼らが纏う雰囲気はなんだか一味違う気がする。「いやぁついて行くのも大変で」と謙遜しつつも表情には充実感が漂っている。
初めての海外公演で浮わついていた僕は急に自分が恥ずかしくなった。

「一刻も早く向こう側に行かなくちゃ」

彼らの姿が25歳の僕を焦らせた。


パリ公演準備の様子


ロサンゼルスの熱病

パリ公演に続く東京公演が終わると季節はもう初夏。
武者修行のつもりで僕は初めてロサンゼルスに上陸した。ハリウッドの演技スタジオに1ヶ月半ほど通いながら、とりあえず「あっちのリアル」を自分の目で見てやろうと意気込んでいた。

エンタメの首都では2種類の人間を見た。
世界中から集うドリーマーと試写会の壇上にいる生のハリウッドスター。
前者の僕は後者に将来の僕を見た気になっていた。
今思うと何がリアルかと呆れてしまう。

すっかり熱に浮かされた僕は、それから東京での仕事の合間に夢中でLA通いを始める。そういえば渡航費の足しにするため深夜バイトも連続で入れていたっけ。


ところが物事は思い通りには運ばないもの。
2020年春の始まり、いよいよ拠点を築き始めるつもりで行った3度目のハリウッドでまさに映画のような事態が起こる。

コロナ禍の幕開けである。

ひっくり返った世界に現実感を持てぬまま様子見を続けたが、報道に渡航制限というワードが出たのを機に帰国を決意。まぁLAも一夜にしてスーパーから商品が消えて街全体が殺気立っていたし、今考えるとビビってたんだろう。

そういえば米国滞在中に圭人の卒業公演を観にNYにも行く予定だったが、こちらも止むを得ずキャンセル。フライトも宿も取ってはいたが、当時NYの感染状況は世界最悪、正直やばすぎだった。公演も確か中止になっていたと思う。


東京の冷静

さて帰国後。
強烈な冷や水をかけられた格好だったが、振り返るとそれが逆に良かった。ろくなロードマップもないままハリウッドを追いかけた僕は、この「どうしようもない期間」のおかげで冷静になれた。

そんな時、僕のレーダーにバンクーバーが引っかかった。
どうやら撮影が沢山あるらしい、アメリカより移住のハードルが低いかも、住みやすい街みたいだぞ…etc。
なんだか腰を据えて、丁寧に拠点を築いていけそうな気がした。

思い切ってバンクーバーに目標を切り替え、リサーチを重ね、様々なオプションを比較検討し、計画を立てていく。
準備を進める中で同じ様に海外を志す仲間も増えていった。

そして2022年5月、遂に僕はバンクーバーに降り立つことになる。
コロナ禍も2年が過ぎていた。


舞台「hana-1970,コザが燃えた日-」(ホリプロ主催、東京芸術劇場)
コロナ禍でも多くの素晴らしい作品に関わらせて頂いた。中央が筆者。


おわりに


今回は僕が海外を目指すに至るきっかけについて書いたが、図らずも前後編の大作になってしまった。
思えば初めて海外を意識してからバンクーバーに渡るまでに丸4年。牛の歩みだ。今回は書ききれなかったが、多くの方々のサポートや励ましもあってやっと現在に至るのだと改めて感謝の想いである。
移住から2年近く、バンクーバーは今僕のホームになろうとしている。まだまだスタート地点に立ったばかりだが、この場所でしばらく頑張ってみようと思うのだ。


バンクーバーに行ったばかりの頃(2022年夏)の筆者


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